消極的な状態から抜け出し、修煉の信念を再び取り戻す
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文/中国の青年大法弟子

 【明慧日本2014年6月20日】旧勢力は一部の大法弟子に対して、如何に彼らを駄目にしていると思いますか? 殴打や拷問を使わず、もっと狡猾な方法を使っています。それは、あなた自ら元気をなくすようにさせ、精神面からあなたの精進の意志を壊し、やむを得ず大法を破壊するようなことをやらせ、あなたの罪を重くし、それによってあなたの関をもっと難しくしてしまいます。多くのことは認識できても、自分の気持ちをコントロールできないようにします。何故なら、大法に悪いことをすれば、気が落ち込み、以前の修煉状態とはまるきりかけ離れた環境に置かれたように感じ、精神的負担が益々重くなり、しまいに耐えられなくなってしまいます。

 そこにもう一つの大きな原因があります。それは、あなたは大法を破壊するようなことをしたことによって、自分に汚点を感じ、これ以上修煉において向上があまり得られないように思い、何もかも構わないようになり、自分の恥辱ばかりに注目してしまいます。以前なら、どんなに大きな試練があっても、心に大法があれば、自分は大法の粒子の一つである自覚がありました。旧勢力はあなたを大法と隔離させ、あなたの力量をなくすようにしています。

 これは旧勢力の大法弟子を迫害するもう一つの手段だと思います。それは直接あなたの体に害を与えず、もっと悪質な方法で、あなたの意志を混乱させ、益々消極になり、大法を破壊するようなことをさせ、それを理由にあなたを迫害します。私はそれが自分の業力によるものかどうかを分別できず、兎に角耐えきれず、叫びたくなり、修煉を諦めようという強い力に押さえられ、修煉を諦めれば苦痛もなくなるように感じました。

 幸い、私はずっと修煉を諦めようとしませんでした。この文章を書きだしたとき、私は内心の平穏と自信を取り戻し、大法に由来する力を心に感じ、自分の気持ちをコントロール出来るようになりました。しかし、この過程において私は二年以上の時間を費やしました。

 修煉者が消極的になれば、その周辺の人達は何もできません。何故なら、それは自分自身に対する一種の放棄であり、自己が救われることも自分で自身の信念を固めることによって完成され、その過程において認識の昇華が必要です。認識できれば、一瞬ですべてが変わり、認識できなければ、ずっと消極的な気持ちの中に陥って抜け出せません。

 この過程は私にとって少し長かったです。私は12歳から修煉し、もしかすると、その若さが原因だったかもしれません。その前、私は7~8歳の時に大法に接したことがあって、煉功もしましたが、修煉についてはあまり深い認識がありませんでした。修煉を始めてから11年間、私は多くの関を経験し、その後すぐに乗り越えました。しかし、一回だけ、私は惨めに倒れました。私は大法を破壊することをしました。神に見下される前に、自分自身でさえその恥に耐えられず、二年間よろめきながら今日に至りました。やっと、その執着を放下し、心の平穏を取り戻しました。

 この経験を書き出し、同修の皆さんと励まし合いたいと思います。一部の同修は未だ修煉に消極的な態度を取っています。やはり心に何か引っ掛かるものがあるでしょう。傷口は2、3日で治らず、心に引っ掛かるものも簡単に放下できないでしょう。しかし、その痛みを持ちながらも、修煉は絶対に放棄してはいけません。淡々と三つのことを実行していけば、いつの間にか自分の向上に気づくことができ、以前執着していたことも徐々に放下でき、最後には自分の次元が高まることによってそれに悩まされることも少なくなります。旧勢力の目的は不純です。しかし、修煉をし続ければ、師父もそれをあなたの向上する一つの要素に転化して下さいます。何故なら、修煉の過程で修煉者が出会うすべてのことは、良いことであれ、悪いことであれ、みなはあなたの向上の要素に転化されます。

 消極的に修煉している同修たちに言います。あなたが修煉を放棄したくないことは知っています。気持ちがあるだけに力が及ばないように感じていると思います。すべきでないことをしてしまえば、当然修煉も以前のようにすんなりといかないでしょう。関もなお難しくなり、耐えるものももっと多くなったでしょう。この時、疑わず、黙々と三つのことを実行していけば、ある日きっと「柳暗花明又一村」のように、乗り越えられます。すべての同修と励まし合います。

 不適切な部分があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/6/16/293468.html)
 
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