自分を変える
■ 印刷版
 

文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年5月8日】法を正す時期の修煉は今日に至り、すでに終わりに近づいています。しかし、一部の同修は未だに自分の人心を探さず、トラブルに遭えば外部の原因を追求し、師父が按配して下さった心性を高める機会を次々と逃してしまいました。彼らは執着心が累積し、トラブルに陥って抜け出せず、法を正す進展について行けないだけでなく、衆生を救うことにマイナスの影響を与え、法を正す師父の妨げとなっています。

 私が住む地区では、この問題が特に顕著に現れ、一部の協調人にもこのような問題が存在していると思います。

 最近のある出来事に私は大きく心が打たれ、真に自分を変えて初めて問題を解決できると思いました。その出来事はこうでした。

 私は同修であると一緒に小さな売店を営んでいます。ある日、二人の青年がビスケットを買いに来店し、16元で二種類のビスケットを買いました。彼らは店を出て間もなく、再び戻ってきました。そのうちの一人の青年は、15元多く払ったと言い張りました。私のはっきりした記憶では、私はお金を多くもらっていませんでした。

 この時、買い物に来ているお客さんが徐々に増えていて、私たちはいくら説明しても、彼らは聞かず、15元を多く払ったとの一点張りでした。私は自分たちが利益を求める心をまだ放下していないことに気づき、常人とうわべだけの是非を論争すべきでなく、法の要求に沿って実行すべきだと思い、彼らに15元を渡しました。その青年はお金をもらってもまだ納得いかない様子でした。その時、もう一人の青年は自分たちが渡したと思った15元を私たちのブースに置き忘れたことに気づきました。彼は申し訳なさそうに、15元を私たちに返しました。トラブルはこうして大法弟子が内に向けて探し、自分を変える中で師父によって解消されました。

 毎回、問題やトラブルが起きた時は私たちの執着心を取り除くチャンスです。その問題自体をいかに解決するか、あるいは常人と是非をいかに争うかを考えず、自分自身を変え、法の要求に同化すれば、師父は根本からその問題を解消して下さいます。

 以前、問題やトラブルが出現すれば、私はいつも人を変えようとしていました。相手がいかに法に符合していないのか、法の文字通りの内容をもって人を変えようとしました。知らないうちにずっと外に向けて求めていました。修煉の中で遭遇するトラブルは、常人が思う是と非が重要なのでなく、内に向けて探し、自分が変わることが重要です。外に求め、他人を変えようとする考えは旧勢力の思考方式です。私たちはいつも旧勢力を否定すると口にしますが、しかし、旧勢力の思考方式さえも排除できなければ、旧勢力の思考方式に沿って物事を考えれば、どうやって旧勢力を否定しますか?

 私が住む地区の同修達は、協調に当たる同修達が自我を放下することを願い、真に地区全体の修煉に責任を持ち、法に責任を持ち、内に向けて探し、他人を変えようとせず、まず自分を変え、師父の法をもって自分を測れば問題が解決できると私は思います。

 なぜ法を正す時期の時間が再三に引き延ばされるのでしょうか。師父は巨大な苦労に耐えておられ、ただ私たちに修煉する環境、誓約を果たす機会を提供してくださっています。その苦労、犠牲は誰も想像できないでしょう。師父はなぜ耐えておられるのでしょうか? 師父は私たちを大切に思っておられるからです。後天的に形成された私たちの自我や人心が自身を妨げ、それらのものが取り除かれていないが為に法を正す時期の時間が延長され、師父はずっと耐えておられるのです。師父が耐えておられる苦痛は旧勢力によるものでなく、大法弟子が良く修めていないが故に未だ抱えている人心によるものです。もし私たちが真の大法弟子であって、真に師と法を敬い、本当に師父を大切に思うなら、自分の心を修め、自分を変えることに全力を注ぐべきだと思います。

 個人的な認識ですが、法に符合しない点があれば同修からのご指摘をお願いします。合掌!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/5/6/291055.html)
 
関連文章