文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年10月24日】私は一般の人からエリート知識人と呼ばれ、自らの仕事の領域において、国内外でも名を上げている専門家です。私が大法修煉を始めたのは健康のためでもなければ、仕事や生活に困ったわけでもありません。むしろその反対で、私はとても強い闘争心とあら捜しの気持ちで大法修煉を始め、最後に、ついに法輪大法が偉大な佛法であることを思い知ることが出来ました。
1997年、人の紹介で私は始めて法輪大法を知り、そして3回程『転法輪』を読みました。しかし当時、私は名利心が重く、あらさがしの気持ちを持って本を読んでいたため、当然大法の真髄を理解することはありませんでした。それに当時、私は仕事が忙しく、結局のところ、大法とすれ違ってしまいました。
あっという間に、1999年7.20になり、中国共産党が大法を迫害し始めました。その時、私は勤め先の中堅幹部で、そこの多くの法輪功学習者に修煉を止めさせようと説得する立場になりました。職場では、法輪功を修煉する人が多かったため、私にはこれらの修煉者のことを知る多くのチャンスがありました。私は、彼らが皆とても優しい人で、あれだけの不公平な扱いを被っても、泰然として事に当たることが出来ることに驚きました。私は『転法輪』を引き続き読み始めました。しかし、その目的は、やはり彼らの欠点を探し、彼らの修煉を止めさせようとするものでした。しかし、彼らは依然として修煉を堅持し、そして絶えず私に法輪大法の素晴らしさを教えてくれました。私も彼らの体が確かにますます健康になった事実に気が付きました。
ある日、一人の同修は私に一緒に法輪とう法を煉功しようと誘ってくれました。私は彼と勝負する気持で、始めて一緒に30分の第二式の功法を煉功しました。その後、同修達は次々と私に他の第4式の功法を教えてくれました。しかし第5式の静功は、私にとって大変難しいものでした。私は片足を組んでも、足を下ろせず、しかも激しい痛みが伴っていました。私は2年間かけて、ようやく両足を組めるようになりました。それと同時に、私は再び『転法輪』を読み始めました。しかし、私は相変わらず、とても強い闘争心を持って本を読んでいました。大法の奥深い法理を理解することはありませんでした。
ある日、友達がたくさんの中国の伝統文化に関する書籍を買っているのを見て、私はそれらの本を細かく読み始めました。その中に管子、荀子、韓非子、孔子、老子、庄子などの昔の賢人達の著作も含まれていました。私は始めて中国の伝統文化の広くて奥深い内包を知りました。そして、以前、自分は決してそれを理解しておらず、党文化の思考でそれを批判したのが間違っていたことに気付き始めました。それから私は長年に受けた党文化教育の数多くの弊害を反省し、『転法輪』は昔の賢人達の著作よりさらに奥深い法理が説かれていることに気付きました。そこで、私は次第に闘争心を捨て、平静な心で『転法輪』を読み始めました。読めば読むほど楽しくなり、読めば読むほど理解するようになり、体もますます健康になりました。
2005年、私は仕事の関係で海外に長く滞在する機会がありました。私は新唐人テレビの『共産党についての九つの評論』の解説を何度も見、また『党文化の解体』と『カール・マルクス、悪魔への道』の著作を読み、共産党が1776年にドイツで創立された秘密結社「イルミナティ」に起源を持つという歴史を知り、私はやっと夢から覚めたかのようになりました。自分は長年党文化の教育に深く害毒され、それが私の大法修煉を妨げた原因であることが分かりました。
帰国後、私は正式に大法修煉を始めました。そして、私は周囲の同僚や知っている人達に法輪大法が佛家の修煉法で、なぜこれほど残酷な迫害を受けているかを伝え、また彼らに大法修煉の素晴らしさ、そして、いかにして党文化の思考を捨て、自らの力で物を考えるか、いかにして自分の判断力を高めことが出来るかを話しました。私は主に明慧ネットを通して、同修と師尊のことを知り、それに自分と照らし合わせ、自分の問題点を見つけ、絶えず自分を高めるようにしています。
今、私は毎朝一時間半から2時間座禅をし、『転法輪』を二講ほど読み、その後五式の功法を煉り、最後に三冊の『洪吟』を読んで暗唱して、とても充実した楽しい生活を送っています。
自分の大法修煉の歴史を振り返って見ると、一歩一歩のすべては師父の見事なご按排のお陰で、やっと本日まで歩んで来ました。ここでは、師尊の慈悲なるご済度に心から感謝致します。