公務員「党文化の毒素を一掃し 法を師に精進して実修する」(三)
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 【明慧ネット2013年9月16日】ある市から離れた所では、修煉者全体の状態があまり良くなく、法の学習グループはあっても、お互いに協力せず、法を実証することはとても難しく、ばらばらの状態でした。協調するために市内から同修が次々と数人行きましたが、排除される人もいれば、現状を改善できない人もいて、また効果がないと見て、撤退する人もいました。師父がBさんをそこへ行くように手配されました。そこに行ったことのある協調人が次のように現状を説明しました。「あそこの2、3人の力のある同修がそうさせたのです。重要なのは、そのような同修を変えることができれば、その地域もよくなります」。もちろんBさんに行かない方が良いと忠告する人もいました。なぜなら、市内からとても能力のある人が行っても何もできなかったからです。つまり「あなたは協調人ではないし、能力もない」という意味でした。

 Bさんは行きました。そこの本質的な問題を観察し、協調しながら、自分も修め、一連の解決方法を採り入れました。これらの方法はすべて同修のために考えたもので、大多数の同修の賛同を得ました。これで、その地域はほぼ協調でき、混乱状態も収束し、正常な修煉状態に入りました。その方法の一つは法を学び、交流し、本当の修煉とは何かを理解するということでした。みんなの力が発揮され、ほとんどの同修が急速に目覚め、撹乱する人の背後に潜んでいた邪悪な要素が解体されました。こうして、撹乱する人に罪を犯させず、他の同修も目覚め、自信を取り戻しました。今回のことはとても成功しました。Bさんもこのことを通じて大きく変化し、法の中で向上しました。

 今回のことはまた私の党文化の思想に衝撃を与えました。私は知らないうちに、師父の法からすでにある法理を探し出して直接引用し、それを仕事をする時の根拠にしようとしました。私は大法を常人の教科書の公式とし、実修の中でそれを模倣しようとしました。これは常人の中で中共の理論を学習する際に身につけた、深刻な党文化の思考の習慣でした。もしこのような状態であれば、「悟り」があるでしょうか? しかし私は党文化の非現実的で、硬直した考え方や豪語式の話し方に深く埋もれてしまっていました。当時、こんな簡単な道理もよく理解できていませんでした。

 大法のことをしていても、常人として大法のことをしていたのです。師父が法を伝え出されたその日から、何度も私達に内に向けて探すようにと警告され、また私達に実修の環境も按排してくださいました。しかし、私は大法の要求に従っていないため、このような結果となりました。「特に中国という環境で、邪党は中国の伝統文化を打ち壊し、邪党のもの、いわゆる党文化を作りました。党文化で形成された思考様式をもって宇宙の真理を認識するのは困難なことであり、場合によっては、一部の良くない考えと行為は世間の普遍的価値観と抵触していると認識することさえできません。多くの良くない考えに気づくことができないなら、どうしたらよいのでしょうか? 大法に従って行動するしかありません」[2]

 初めてBさんと知り合った時、彼女の修煉状態は私とそう変わりませんでした。しかし、彼女の変化はとても早くて大きく、彼女が他の誰よりも精進しているようには見えませんでした。Bさんはあまり「温和」でもなければ、しかも自分には自己を実証する心と仕事する心があると自身が認めていましたしかし彼女はまるで戦場の将軍が戦いの中で兵法を悟ったかのように、実修の中で法を悟ったのです。私の場合、教室で「理解」した兵法で、戦いができるかどうかは分かりません。Bさんが言った法理は実修の中である次元で悟ったものです。交流の中でそれほど強調しませんでしたが、法理が一層明白になり、心性が向上した後に正しい悟りとして現れ、師父が求められた通りに行い、師父が求められたものと圓容して、このように現れたのです。

 私は「悟り」の一層の内包が分りました。私を困惑させていたものが解けました。今まで歩んできた過程で、自分は党文化の毒素を修煉して取り除いていないことが分りました。法理をうまく話すA、C、Dさんがなぜ迫害されたのか、しかもなぜ何回も迫害されたのか、その理由が分りました。それは私心が重く、党文化の思考が多くあり、個人の修煉を軽視していたことに気づかず、その漏れを旧勢力に乗じられたのです。Bさんは変化が早く、大きく、それは自分のことを考えず、法と新宇宙の公のための要求に合致していたからです。法理ばかりを論じても、実修の中で正しく認識しなければ、それはあくまでも一種の感性的な認識に過ぎず、教科書で学んだ兵法で戦場に立ったことのない人と同じだと私は分りました。

 師父は私にBさんの正しい悟りを見せてくださり、いくつかの法理を認識させてくださいました。これによって多くの党文化の毒素を解体しました。私達の修煉の要素は千変万化、心性も絶えず変化し、その上旧勢力の妨害もあり、一律に論じて、問題を考えてはいけません。師父の法を常人の理論と同じように硬直した公式、定義にしてはいけません。このようにして、師父の法を悟ることができるのでしょうか? 異なる次元に法理がまだあるのでしょうか? どのように修めるのでしょうか? 分ったのが遅すぎて、衆生を済度することに影響しました。幸いなことに、まだ修煉するチャンスがあります。

 これは私が修煉して得た僅かな悟りです。正しくないところがあれば、同修の皆さんのご指摘をお願いします。

 (完)

 注:
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二十年説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/8/30/278840.html)
 
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