誰の前でも修煉者でいるべき
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文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2015年7月31日】私は長年修煉してきましたが、ずっと夫のことを疎かにして、日常生活の中で、特に言動において夫の前であまり修煉者としての良い姿を見せることができませんでした。それによって、夫は大法を支持することから排斥するようになりました。私は内に向けて探し、同修と交流し、一から夫に対して良い言動をするように努めました。すると夫は大法のことを更に信じ、更に支持するように変わりました。以下に、その過程を述べさせて頂きます。

 結婚する前の私は、家族や知り合いに好かれる娘でした。結婚してから、夫は私の理想から大きくかけ離れ、心は優しいのですが、気性が激しく、私はどうしても夫には教養が無く、上品さが欠けていると思い、彼を見下していました。時々、夫は怒ると、私に暴力を振るうこともありました。私はなぜこんな人と家庭を持ったのかとずっと悩んでいました。数十年の結婚生活はまったく気に入りませんでした。しかし、修煉してから、なぜ彼と縁を結んだのかやっとわかりました。

 私は2002年から法輪功を修煉し始め、慈悲なる師父は1週間のうちに、私に多くの奇跡を見せてくださり、私を大法に導いてくださいました。当時の夫は私の修煉を支持し、私は何の恐れもなく師父の写真を部屋の真ん中に置きました。夫は家に帰る度に、必ず新鮮な果物を買ってきて、師父の写真の前に供えました。私が修煉し始めてからまもなく、私の家は真相資料の拠点になりました。夫は真相資料を見て、「これは何か?」と聞き、私は「これは衆生を救うための資料です」と言いました。彼は一冊ずつ読み始めました。新たに真相資料が送られて来ると、彼は続けて読みました。

 2004年、『共産党についての九つの論評』が出版され、当時、皆はこの本を世人に見せるのは適切かどうかよく分かりませんでした。皆は、私の夫が大法のことを支持していることを知っており、彼に先に見せたらどうかと考えました。夫は一夜で本を読み終え、「一般の人に見せてもまったく構わないよ」と言いました。

 当時、公の場であれ、どこであれ、私が真相を伝えたい時は、夫は一度も私を止めませんでした。それだけでなく、私の真相を伝える仕事を手伝って、大法のことを非常に支持してくれました。同修が私の家に訪ねて来ても、夫はいつも歓迎してくれました。

 しかし、その後の2008年に、私の親戚が真相を伝えたことによって迫害を受け、刑務所に入れられました。私と夫は一緒に親戚の釈放を求めるために刑務所を訪ねた後、夫の心に恐れの要素が残りました。2012年、私たちの地区の数人の大法弟子が不当に連行されたあと、警官らは2回ほど私の家に来ました。1回目の時は夫は家におらず、2回目は私が居なかったのですが、夫はちょうど家にいました。夫は怖くて門を開けませんでした。私が帰宅してから、私に事情を説明しました。「彼らは家の外でビデオ撮影をしていた。私はあなたの事を思い、それに、家には真相資料がたくさんあったので、門をあけなかった」。私は夫の正義を認めました。その後、隣人は夫に私を避難させるようにすすめました。夫は逆に隣人が告発者ではないかと思い、今後同修から多くの資料を受けとる際はできるだけ密かにするよう、私に注意しました。

 以前の夫はこんな小さいことをまったく気に留めず、恐れる心もありませんでした。しかし、これらの出来事を経験してから、夫はとても気にするようになりました。しかし、私の家に訪ねてくる同修たちは、これらの小さいことに、あまり注意しておらず、例えば、私の家の門の前に立って、大声で真相資料を求め、しかもよく食事の時間に来て(他の時間に来たら私が居ないと思っていたので)、夫はこれを理解することができませんでした。夫は「あなたたちは世人より高い道徳観を持ち、他人のために考えるべきなのに、どうしてこんなことをするのか? どうしてこんなに利己的なのか?」と言いました。夫はこれらの同修たちを理解することができず、徐々にその不満が大きくなって、同修たちの来訪を喜ばなくなりました。その上、夫は私の一部の言動に不満を持ち、「あなたは修煉者としてふさわしくない」と言いました。

 その時、私は悟りました。師父は私たちが神の道を歩む人だとおっしゃっています。私たちは外では師父の要求に従い、細かいことに気を配り、衆生を救うためによく出来ていました。しかし、家に帰ると、私は夫を1人の衆生として見ないで、ただ自分の夫であると思い、夫の前で修煉者の良い姿を見せていませんでした。家に物が散らかっていても、私は整理せず、夫が時には手伝ってほしいと言って来ても、私は理解するどころか、かえって「夫が私の時間を無駄にしている」と思いました。夫に優しく対処できず、衆生としてきちんと責任を果たしていませんでした。私のこれらの行為は、法の要求に符合せず、マイナスの影響をきたし、それによって夫は私たちと反対の立場を取りました。

 その後、私はこのままではいけないと思いました。時間は人を待ちません。私たちの言動は師父の要求とは正反対です。師父は私達に衆生を救うよう要求されていますが、私たちの適切でない言動は世人を大法から遠ざけました。また、私たちの家族は私たちと縁が深いので、なおさら、私たちには細心の対応が必要です。

 内に向けて、私は自分の不適切な言動の根底にある原因を探しました。それは、後天的に形成された偽の自分、そして党文化によるものだと分かりました。自分が理に叶っていると思えば相手を許さず、闘争心、怨む心、名を追求する心、自我を実証する心等々がありました。また、意のままに夫の事を指摘し、時には大法の法理をもって強要しました。党文化の要素をたくさん探しだしてから、私は続けて内に向けて探すと、やはりそこに情が作用していました。彼が私の夫でなければ、私も夫にこのような態度をとらなかったでしょう。

 さらに深く掘り下げて行くと、夫への無責任な対応はやはり根底に「私」があることがわかりました。師父はこのようにおっしゃいました。「修煉したければ、人間の情を捨てなければなりません。もちろん、われわれは常人の社会の中で修煉をしているので、親孝行をするのも、子供をしつけるのも当然です。どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです。親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです。情というのは常人のもので、常人とはほかならぬこの情のために生きているものです」[1]

 原因を見つけたので、私は優しい心を持って夫に接し、真相を伝え、夫とよく交流しなければならないと思いました。私は夫に「私がいたら、同修は来てもかまわない」ときっぱり言いました。その後、夫は「来たら追い出す」と言いました。私は「それなら私たちは別れましょう。師父が教えてくださったことは『どんな時も他人のことを配慮すべきです』ということです。あなたが耐えられないなら別れましょう。あなたは非常に良い人でも、私や同修たちへの不適切な言動によって、あなたが師父に不敬になり、同修に優しくしてくれなければ、あなただけの問題ではなくなります」。彼はこれを聞いて黙りました。

 さらに私は彼にこう言いました。「長年修煉してきて、あれだけ苦しい日々を一緒に乗り越えて来たのに、今は、私が原因で、あなたを大法と反対の立場に押し出してしまいました。私には逃れられない責任があります。また、私が原因であなたがこうなったのなら、私は改めます」

 この話を聞いた途端、彼は言いました。「では、いくつかの例を挙げようか。私は2回ほど遠くへ出かけた時、あなたは私の帰りを迎えに来てくれると言った。しかし、あなたは来なかった。そして私が家についてから、半日後にあなたは帰って来た。私があなたの帰りが遅いと指摘したら、あなたは私に逆切れしたね。それに、なぜ迎えに来なかったかも説明しなかった。それでも真・善・忍を学んでいるのか? あなたのこの行為によって、私は大法、そして大法を学んでいる人を理解できない。あなた達が学んでいるのは宇宙の大法なので、どの門派とも比べものにならないだろう? あなた達は大法を学んでからこのような行動をとっても良いのか。私は大法の良さを知っている。しかし、なぜ私が学ばないのかを知っているのか? 私は気性が良くないので、きちんと実行していかなければ、大法に泥を塗ることを恐れていたからだ」

 私はこう言いました。「あなたは『轉法輪』を一度読んで、「異なる次元に異なる法あり」[1]という説法を知っていますよね。慈悲なる師父は門を大きく開き、学びに来る人の誰もを歓迎されています。世人の学校を例えにしたら、試験の時に満点を取る人、不合格の人、小学校から高学年に進学出来ない人、高校からさらに大学に進学出来ない人、または大学院や博士まで進む人もいます。しかし高校や大学に進学できないからと言って、先生の教えが悪かったと言えますか? 師父が求められているのは、真に修め、師父の要求通りに実行する修煉者です。私たち修煉者が世人と違うのは、内に向けて探すことができるからです。今回、私は大法を学んでいなければ、内に向けて探さなければ、あなたの間違いを認めることもできませんでした」

 夫は言いました。「あなたが間違ったのではなく、私が間違っていた。私の修煉者に対する要求が高かったからだ」。その後、私たちは、他の問題について細かく会話し、夫は真に分かってから、自分の間違いを認め、懺悔書を書きました。「私の大法に対する認識や理解に多くの偏見があったために、修煉者を誤解し、怒った時に修煉者を傷つけ、特に李先生を罵ったりするなどしてはいけない行動をしました。修煉者(妻)に真相を説明してもらってから、私はやっとわかりました。大法は衆生を救う美しいものです。今の私は大法に対する認識を高め、自分が大法に対して大きな罪を犯したことがわかり、後悔しきれません。今後、私は、すっかり悔い改め、これ以上大法や李先生を傷つけたりはしません。どうか李先生、私を寛大にお許しください。そして生まれ変わるチャンスをください。今後、私は必ず大法を支持し、大法弟子に協力していきます」

 夫は言葉だけでなく、行動でも見せてくれました。夫は故郷から私の80歳になる叔父を家に連れて来てくれました。叔父は元公安局の職員で、その後、この無神論の支持者である叔父も修煉を始めました。また、夫は親戚や友達の家を訪ねる時、いつも『共産党についての九つの論評』や神韻のDVD、または大法の本を親戚に贈り、親族の誕生日会の祝いの席で、中国共産党の歌が流れないように、自ら選曲しました。

 私は自分の経験をもって、私と同じようなことを経験している同修たちが、時間を惜しみ、家庭のバランスを取り、家の中でも細かいことに気を配り、もっとよく衆生を救う使命を果たせるよう、願っています。また、私は、必ず良く実行し、師父に安心していただけるように精進すると心に決めました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/7/10/312214.html)
 
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