人と神の道は雲泥の差
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2014年12月15日】ある夫婦がいます。妻(以下、Aさん)法輪大法を修煉していますが、夫は修煉していません。

 ある日の夜、Aさんは自転車でお姉さん(法輪功修煉者、以下、Bさん)を乗せ15キロ先の村落へ真相資料を配布しに行きました。5キロあまり行った時、向かい側から走ってきた1台の大きなオートバイが運転手と一緒に、Aさんの体にぶつかりました。後ろのBさんは振り落とされ、道の片側に落ちましたが、被害もなく無事でした。

 その時、Aさんは動くことができなくなりました。バイクの若者が立ち上がってバイクを起こそうとしている時になっても、Aさんはやはり動くことはできず、ただ体が激しく痛いとしか感じませんでした。この時、Aさんはこう考えました。「私は大法を修煉しています。私には師父のご加護があるので大丈夫です。まして私達は人を済度しに行こうとしていました。これは大変よい事なのに、どうして動くことができないのでしょうか?」。そして心の中で「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい、師父お助けください」と唱えながら、若者とBさんに、目で合図して支えてもらい、道端に座りました。

 その過程で、Aさんは腰がちぎれるような痛みを感じて、汗が出てきました。若者は緊張して何度も大丈夫かと聞いてきました。苦痛の中で彼女は師父に教えられたことを思い出しました。それは、どんな事が起きても他の人を先に考える必要があるということです。若者は恐らく急用があったのでしょう。彼もわざと人にぶつかりたくはなかったはずです。体の痛みは我慢しがたいほどでしたが、Aさんは若者に対して言いました。「私は大丈夫です。あなたは行ってください」。それを聞いた若者は行きました。

 行きたい村落まではまだ遠く、Aさんは自分で起きられないし、Bさんは自転車に乗ることができません。どうしましょうか? 2人は交流した後に決めました。人を助ける事は、最も偉大で神聖な事です。これは何ものにも遮られないことです! 最初に決めた村落には行かないで、最寄りの所で縁がある人に資料を配布することにしました。痛みのため、行っては止まることしかできませんでしたが、諦めたくはありません。すると、ただ衆生を救うためという黄金のような思いが浮かんだだけで、さきほど、ぴんと伸ばすことができなかった腰は力を入れることができ、しゃがむことができるようになりました! このような体で、また同修のお姉さんを連れて、20キロあまり自転車で走りました! 他の人はこれは奇跡だと驚嘆しますが、彼女たちは心の中で分かっていました。これは修煉のためで、師父がこの災難を消して、救って下さいました!  2人は涙を抑えることができず、心の中で師父に感謝する言葉が見つかりませんでした!

 資料を配り終えて家に帰った後、Aさんは、これまでと同じように、家事をし、煉功しました。家族はなにも気がつきませんでしたが、彼女が受けた傷はとても大きかったのです!

 それから、Aさんの夫も転んでしまい怪我をして、地べたに横たわったまま動くことができませんでした。病院に搬送されて検査を受けたところ、第一腰椎の圧縮性骨折でした。手術に1万8千元を使って、100日間ベットに横たわり、家族は子供から大人まで何度も病院に走り、仕事中も不安でした。横たわっているうちに、上を向いていなければならないので、少しずつ全てを他の人に依頼しました。昼間付き添って話をする人がいる場合は、感覚的に時間は早く過ぎていましたが、夜になると、何度も繰り返し寝つけないので、彼は夜明けを待ち望みました。またさらに体の痛みも加わるので、心の中で焦り、1日が1年のように長くてつらかったのです。ずっと耐え忍んで、ついに歩くことができそうになりましたが、長く横たわっていたため、歩くことができませんでした。初めは歩くと、顔がゆがみました。1年後に、2回目の手術をして、腰の鋼のくぎと板を取り出しました。

 この時、妻のAさんは法輪大法が一般常識を超える佛法であることを実証するため、また夫にも幸せな修煉の道を歩んでほしくて、病院で骨のレントゲン写真をもらいました。写真で見ると、Aさんの怪我の部位は夫と同じ部位でした。

 夫と同じ部位、同じ傷でしたが、2人の選ぶ道が異なっていたため、その結果は雲泥の差でした!

 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/10/15/298992.html)
 
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