文/中国の大法弟子
【明慧日本2014年12月15日】ある夫婦がいます。妻(以下、Aさん)
その時、Aさんは動くことができなくなりました。バイクの若者が立ち上がってバイクを起こそうとしている時になっても、Aさんはやはり動くことはできず、ただ体が激しく痛いとしか感じませんでした。この時、Aさんはこう考えました。「私は大法を修煉しています。私には師父のご加護があるので大丈夫です。まして私達は人を済度しに行こうとしていました。これは大変よい事なのに、どうして動くことができないのでしょうか?」。そして心の中で「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい、師父お助けください」と唱えながら、若者とBさんに、目で合図して支えてもらい、道端に座りました。
その過程で、Aさんは腰がちぎれるような痛みを感じて、汗が出てきました。若者は緊張して何度も大丈夫かと聞いてきました。苦痛の中で彼女は師父に教えられたことを思い出しました。それは、どんな事が起きても他の人を先に考える必要があるということです。若者は恐らく急用があったのでしょう。彼もわざと人にぶつかりたくはなかったはずです。体の痛みは我慢しがたいほどでしたが、Aさんは若者に対して言いました。「私は大丈夫です。あなたは行ってください」。それを聞いた若者は行きました。