【明慧日本2017年1月5日】師父は「浄蓮法中に生ず 慈悲にして香風を散らし 世上に甘露を洒ぎ 蓮は開いて天庭に満つ」[1]と説かれました。私は法を正す時期の泥より出づるも泥に染まらない蓮花になりたいのです。蓮花は人によい香りを放って清々しい気持ちにさせ、衆生に希望をもたらします。
一、大法は私を生まれ変わらせた
大法を修煉する前、私の家庭生活は難儀なことばかりで、心が疲れ果て、死ぬよりも大変な生活をしていました。結婚したばかりの時、夫婦は離れて暮らしており、3年かけてやっと夫と生活できるようになりましたが、悪い運命もその時から始まりました。この3年の間に夫は、飲み食い・女遊び・ギャンブルなどの癖が付いて家に戻りたくなくなり、家庭にも責任を負いたくなくなっていました。私が憧れる幸せな生活は、残酷な現実の中で壊されました。私は毎日泣いて暮らし、職場の同僚に自分の不幸を話していました。三十歳すぎた私は、白髪だらけのやつれた顔になってしまいました。夫の家族は夫を庇いました。姑と義姉は、交互に私が良くないとか、親孝行しないなどと責めました。
夫婦関係を維持するため、子供のため、私は頑張って彼らの要求通りに行いましたが、彼らは少しも認めてくれず、以前よりもさらに私をいじめ、理由もなく罵ったり、殴ったりしてやりたい放題でした。幼くて可愛い娘は、家庭内の暴力を何度も何度も見て、心が大変傷つきました。活発だった娘は内向的になってしまい、毎日怖がっていました。私はそれを見ると心が針で刺されたかのように痛くなりました。生きているのは少しも意味がないと思いました。頭と心臓に石が置かれたように重く感じ、常に息が出来ないような苦痛の中で、じたばたしていました。同僚は私に占いを勧めました。お寺や道観などすべて行きましたが、私の運命は少しも変わりませんでした。私の運命は悲惨な一生のままでしょうか?
1995年、ある女性が私に法輪功を勧めました。「私は佛を拝んでも、佛を信じても役に立たたなかったのに、気功を煉ったところで私の運命を変えられるのか」と思いました。面子のため仕方なく私は行きました。初めて師父の功法ビデオを見て、私は胸が高鳴り、ずっと待っていたものを見つけた思いました。私は法輪功を修煉すると決めました。その時、私は「皆さん法輪功を修煉しましょう。本当に素晴らしいですよ」と道路に出て叫びたくなるほど興奮しました。 学法を通して、恨みや悲しみなどの気持ちがなくなり、心も明るくなって、すべての苦難の源は業力だということが分かり、夫の家族を恨まず、毎日が楽しくなりました。
師父が説かれた「真・善・忍」の法理に従って、心から夫や夫の家族と付き合い、全ての人に対して寛容の心を持って対処するようになりました。夫には2人の姉がいて、2人は仲が良くないため疎遠になっていました。祭りの時、私はその2人の義姉を家に誘い、家族が仲直りできるようにするため、食事を作ったり、いろいろ忙しくしていました。夫の父が病気になった時、私はお金を出したり、力を尽くして全力で面倒を見たので、夫の家族は感動しました。気付かないうちに夫や夫の家族は、私を酷い目に遭わせなくなりました。私の家庭は和気藹々になり、近所に羨ましがられる家族になりました。
修煉する前、私は毎日夫の家族に対して小心翼々でしたが、彼らは私のことが気に入りませんでした。以前、彼らに対して親切にしていた目的は、彼らの愛を求める心があったのだとわかりました。常人の人生は常人の方法で変えられるはずでがありません。修煉後、彼らに親切にしても求めることはありません。本当に「求めずに自ずから得る」[2]です。
同僚は私を見ると驚いて「あなたはどうやって別人に変わったのですか? 顔色も良く、生き生きとして、精神状態もとてもいいです。以前、私たちはあなたのことを「祥林嫂」(魯迅の小説『祝福』に出てくる幸薄い女性)の生まれ変わりだと話していました。毎日沈んだ顔をして、くどくどと文句ばかりでしたね」と話しました。私は幸せそうに「法輪功を修煉したおかげです。大法はすべてのことを変えられます」と話しました。
二、周りの人達の変化
1999年、江沢民は狂ったように法輪大法を迫害し始めました。家族は皆怖がって、私の修煉に猛反対し、前より一層酷く私を苦しめました。文化大革命の時、夫の家族は大変酷い目に遭ったため、共産党の邪悪に対してはっきりと認識していました。
夫は私の本を破り、毎日私が修煉を続けるかどうかを問い詰めました。私が続けると答えるとすぐに殴られました。2002年のある日、夫は酒を飲んで帰ってきて、何も言わずに私の服をすべて脱がして、暴力を振るいました。どのくらい時間が経ったかわかりませんが、夫は汗だくになり、疲れて息切れしていました。私は少しも痛いと感じませんでしたが、それは師父が私の苦痛を耐えてくださったからです。私は「師父ありがとうございます。弟子はしっかり行えませんでした。弟子は大変後悔し、恥ずかしく思います」と心から師父に申し上げました。最後に夫は、離婚を切り出しました。私は縁が終わると思い、自然に任せました。
離婚後、彼の生活は順調ではなく、体調も良くありませんでした。常に私に電話をかけて苦難を訴えていました。生命は尊いものであり、夫婦になったこともあるため、縁があると思いました。彼も大法のために来たので、私は熱心に彼を啓発し、因果関係や輪廻の物語、および大法の素晴らしさを話しました。彼は徐々に大法をことを信じはじめ、三退もしました。ある日、彼は電話をかけてきて「トラックに乗っていて頭から落ちたが、私は少しも怖いと思わなかった。心を込めて『法輪大法はすばらしい』と念じていたので、結局無事だった」と話しました。彼は心臓に病気があったため、医者は手術でステント(心臓を支えるもの)を付けるように勧めましたが、彼は拒否して、心を込めて「法輪大法はすばらしい」と念じることにしました。現在彼は大変元気になりました。
2000年、私は北京に法を実証しに行きました。帰って来た時、娘は社会がもたらした恐怖や圧力によって、勉強する意欲がなくなってしまいました。その時、娘はちょうど高校に通っており、圧力に耐え切れず、退学することを決めました。私は娘に大法の素晴らしさを話し、なぜ法輪功の修煉者は北京に行くのか、なぜ法を守るのかを教えました。そして師父が守ってくださるので何の心配もないと彼女に伝えました。数日後、娘は「お母さん、私は今とても幸せです。友達にいろいろな悩みがあることを見て、なぜ悩んでいるのか理解できません」と私に話しました。娘は大学に入り、やりたい仕事も見つかり、結婚して、すべてが順調でした。四川大地震の時、娘はちょうど四川に出張しており、私に電話をかけてきました。彼女は「お母さん、私がどこにいるか知っているの? 私は四川にいますよ。皆が私のことを心配したけど、お母さんは心配しないの?」と私に話しました。私は「そこの地震はあなたと関係ないでしょう。師父が守ってくださるからです」と答えました。
私は姉がいます。長年、姉に真相を伝えていましたが、姉は信じませんでした。私が法を実証するため北京に行くことについて、姉は理解できず、同修に恨みの気持ちが生じました。私が真相を知らない人に通報され、不当に1年の労働教養を受けさせられたため、姉は大法のせいだと誤解し、誰かが大法のことを話すととても怒りました。私が彼女の家を訪ねて、縁のある人に出会って真相を伝えると、姉はとても怒って周りに人がいるかどうか関係なく、大きな声で私を責めました。私は彼女への憎しみの気持ちが生じ、是非のわからない人だと思い、もう付き合いたくなくいと考えました。
姉は突然、糖尿病を患いました。ますます酷くなり、最後には合併症になりました。1メートル以内しか見えないので、歩く時人がそばにいなければならず、足も爛れてしまいました。医者は足を切断するように勧めました。姉は怖くなって、涙ながらに私が手伝ってくれないと恨み言を言いました。理由がなければこんなことが起こることはないでしょう。これは師父を誹謗中傷し、法を誹謗中傷した悪の報いです。私は心が痛くなりました。毎日外に出て人を救っているのに、家族が救われないということは、自分がしっかり行っていないからではないでしょうか。私への恨みごとは、師父が彼女の口を借りて、私を悟らせているではないかと思いました。私は心を調整し、絶えず大法の素晴らしさを彼女に話し、大法を修煉したことによって受益した人の例を挙げ、そして彼女を私の家に連れて来て、同修の修煉体験や心身ともに受益したことを聞かせました。
姉はやっと大法の真相がわかり、大法弟子が本当の良い人だと認識しました。彼女は過去の事を悔やみ、(明慧ネットに)厳粛声明を発表し、これから大法や大法弟子を応援すると表明しました。姉が心を込めて「法輪大法は素晴らしい」を念じていると、徐々に爛れた足が回復し、足を切断しないで済みました。目の手術をした時、彼女は絶えず「法輪大法は素晴らしい」と念じました。手術は順調に行なわれ、あまり痛みを感じることもありませんでした。そして目は速やかに回復しました。
兄の家族は、別の地区に住んでいます。兄の妻はこちらの病院で治療するため、よく私に電話をかけてきて、面倒を見てほしいと言います。数年前、兄の妻は咳や熱の症状が出ました。最初は風邪だと思って薬を飲んだり、注射をしたりしましたが、あまり効きませんでした。最後に高熱が出ると、我慢できなくなり、また私に電話をかけてきました。私は彼らをこちらの一番よい病院に連れて行き、レントゲンを撮ってもらいました。すると肺の部分に影が見つかり、医者はすぐ入院するように勧めました。私は彼女に「法輪大法は素晴らしい」と念じるように言いましたが、彼女は念じませんでした。入院の手続きを行い、熱を下げる薬を注射した後、全面的に検査を行いました。しかし、注射をしてもあまり効かず、熱のため震えながら、布団をかけて縮こまっていましたが、それでも寒いという状態でした。
夜になると、同じ病室のあるお婆さんは、自分が同じ症状だと言いました。そのお婆さんは肺癌の末期で、ただ死を待っているという状態でした。そのお婆さんには、親孝行な子供がいて家庭状況も良く、もっと生きていたいのに癌になってしまったと話しました。私はお婆さんに真相を伝えました。お婆さんは真相が正しいと言って受け入れました。お婆さんの娘は、感動して涙を流しながら手を握り「お母さん、やっと救われる方法が見つかりました。私はお母さんの面倒を見るためにヘルニアになりましたが、心配をかけないために言いませんでした。法輪功を修煉する友達が私に『法輪大法は素晴らしい』と念じるように勧めました。私はその通りに念じ、すでに回復しました。お母さんに伝えたかったけど、信じないと思って伝えませんでした」と話しました。私はお婆さんに心を込めて「法輪大法は素晴らしい」と念じると、師父は必ずあなたを救いますと伝えました。彼らは私に感謝をして、次の日退院手続きをしました。
兄嫁はこのすべての過程を見ました。私は兄嫁に「お婆さんの症状と同じなので、病院には方法がありません。今あなたを救えるのは、私の師父だけです」と話しました。その後、私は彼女に法を読んであげました。夜中になると、兄嫁はたくさん汗をかき、朝起きたときとても嬉しそうに「熱が下がりました!」と言いました。その時から兄嫁は心を込めて「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と念じ始めました。数日後、兄嫁は各種の検査をしましたが、何の病状も見つからなかったので退院しました。私の家で彼女に『我々は未来に伝えましょう』のDVDを見せ、また大法の真相を伝えました。次の日、兄嫁が起きて嬉しそうに「あなたの家は心地よいですね。法輪大法は素晴らしいと念じるとすぐに寝てしまいました。私は自分の家でなかなか寝付けません」と話しました。半月後、彼女は再検査を行いましたが、何の病状も見つかりませんでした。そして現在にいたるまで兄嫁はずっと健康です。
二番目の兄の妻は長年の苦労から、あちこち病気になっていました。ある日、私に電話をかけてきて、病院へ連れて行ってほしいと頼みました。彼女の首は、痛みで回らなくなっていました。病院で痛み止めの注射をして、医者はできるだけ動かないようにと言いました。私は彼女を家に連れて帰り、大法弟子が作った音楽を聞かせました。彼女は聞きながら「天上の音楽みたいで心地よいですね」と話しました。ついでに私は彼女に真相を伝えました。彼女も徐々に受け入れました。
私が務めていた会社は、経営状況が良くないため倒産してしまい、職員たちも失業しました。私は昔の同僚と小さな飲食店でアルバイトをしていました。私はオーナーに真相を伝え、そのオーナーは受け入れました。そのオーナーは健康状態が良くないため、いつも夫に八つ当たりしていました。夫に能力がないとか、お金を儲けられないとかと文句を言っていました。私の真相を聞いてからは、機嫌が良くなって夫にも文句を言わなくなりました。オーナーの夫は私を見ると「私を救ってくれました」などと、いつも感謝をしています。私は「大法の師父に感謝すべきです。大法の師父はあなたを救いました」と伝えました。
一緒にアルバイトをしている同僚は、体調が良くないという口実でよくサボっていました。私は心を動かさず、できるだけ手伝いました。時間があれば大法の素晴らしさを伝え、いろいろと面倒を見ていたことから彼女は三退しました。そして息子も三退させたいと私に頼みました。私は「本人が同意すればできます」と言うと、彼女は「安心してください。子供は私の話を聞きますから」と答えました。彼女がアルバイトを辞める時、感動した様子で「あなたは本当によい人で、一番信頼できる人です。私が店を開いた時必ずあなたと雇います」と話しました。その後、彼女の弟の妻は腎臓癌になって、腎臓を一つ摘出しました。彼女はその妻に大法を勉強するよう私の家を紹介しました。その妻は私の家に10日間ほど泊まりました。私は彼女と一緒に法を勉強したり、煉功をしたりしました。現在、彼女の体は完全に回復して通常通り会社に勤めています。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「香蓮」
[2] 李洪志師父の著作:『シドニー法会での説法』