内に向けて探し 怨縁を解消する
■ 印刷版
 

 【明慧日本2015年2月25日】1998年の初め、私は法輪大法の修煉を始めました。当時、わが家の経済状況は悪く、債務を抱えて夫婦関係も緊張していました。長い間、夫は私に対し殴ったり罵ったりを繰り返し、物を投げるのは日常茶飯事でした。お金を儲けても家に入れません。私は彼の給料がいくらかも分からず、聞くことも許されませんでした。彼はばくちが好きで、金がなければ借りに行きます。異性関係もあります。私は怒ることも、言うこともmできず、いつも涙を流し、何回も自殺しようと思っていました。しかし幼い子供たちだけをこの世に残す事はできないので、彼らが成人して結婚してから夫と別れようと思いました。

 1998年、2人の子供は結婚しました。私にもやっと陽ざしが見えたと友人が言いました。しかし、私は離婚の考えを止めました。なぜだと思いますか? 私は大法を修煉し始めたからです。学法を通じて、私は自分の苦しみや、夫から受けたことの全ては自分の業力によるものだと分かりました。『轉法輪』を一通り読み終えた時、私はこの本が宝だと感じました。多くの法理を私は一度も聞いたことがなかったからです。その時から、私は心底から、師父の話を聞き、着実に修煉し、よい人、高尚な人になろうという一念を発しました。

 離婚の考えを止めたものの、夫を恨む心は非常に強いのです。この恨みが大きな石のように私の心を圧迫し、辛い思いが雲のように私に覆いかぶさっています。当時、夫は滅多に帰宅せず、毎日博打に明け暮れていました。私は家庭を支えるために、毎日朝から晩まで働き、時には夫の借金も返さなければなりませんでした。それでも彼は満足せず、言いがかりをつけて喧嘩を売ってきます。家にある値打ちのあるもののほとんどは彼の手によって壊されました。隣人や友人は彼の無礼な行為を見て、いつも私にこう言います。「これではらちがあきません。いっそ離婚したらどうでしょう!」。しかし、私は離婚すべきではないと思いました。私は修煉者として、真善忍に従ってよい人になるべきです。時間さえあれば私は学法し、法を暗記し、その中から答えを探しました。トラブルに遭う際、師父のこの法を思い出します。「忍とは心性を高める鍵です。怒り恨むこと、不平、涙をたたえて忍ぶことは常人が世間体に執着する忍です。まったく怒り恨むことがなく、不平に思わないことこそ修煉者の忍なのです」[1]。「修煉者として、常人の中で遭遇した一切の苦悩は、みな関を乗り越えることであり、遭遇した一切の褒めたたえは、みな試練なのです」[2]。師父のお話は鍵のように、私の心にあった鎖の一つ一つを開けてくれました。私は以前と違い、彼をそれほど恨まず、話す態度や語気も変え、生活の面では彼のことをもっと配慮したので、彼も大分穏やかになってきました。

 2011年6月のある日、仕事中の私は息子から電話を受けました。彼がどうしても私に会いたいと言うのです。仕方なく、私は仕事を休み、息子と一緒に家に帰ることにしました。家のドアを開けた途端、私と息子は目の前の光景にびっくりしました。夫は20歳も年下の女の人とベッドでイチャイチャしていました。夫は私に、「どうして帰ってきたの?」と聞き、私は「これが天意だ」と答えました。その時の私は少しの怒りも感じず、ただ夫の行為に心を痛めました。私は「諸悪の中で、色欲を放縦することは最大の悪です。あなたはこの歳でこんなことをしてしまい、自ら地獄に向かうのではありませんか? 人類に大淘汰が始まり、地面に横たわる死体の中にあなたがいないことを望みます」と言うと、夫は怖くなり、その女の人に早く服を着て、出ていくよう促しました。私はこう言いました。「行ってはいけません。怖くなる必要もありません。あなたたちのことを私は数年前から知っていました。あなたには主人も娘もいるのに、若くしてこんなことをしてはいけません。あなたたち2人にもよくありません! 今日は私でなく、他人が見たらどうしますか?」と言って、私は彼女を帰しました。この全てを目にした息子は泣きながら言いました。「母さん! あなたは可哀想すぎます! 本当に可哀想です!」。 私は、「可哀想なのは私ではなく、あなたの父さんです!」と言いました。それから、2人の子供は私に離婚を促し、娘はこう言いました。「お父さんは一生、母さんを人間としてまともに見ておらず、本当にひどすぎます。母さん、倒産から離れて下さい!」。息子は「お父さんの生活は私たちが面倒みますから、母さんは心配せず、自由になって下さい!」と言いました。私は彼らにこう言いました。「すべては私のせいです」。しかし、自分のどこが良くできていなかったかはよく分かっていませんでした。

 繰り返し師父の各地での説法を読み、私は心性を高めました。グループ学法に参加し、同修と交流しながら心性を高めることを競い合い、内に向けて探し、自分を修めることを学びました。師尊は仰いました。「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」[3]。私は内に向けて探し始め、法をもって自分の言動、考えの一つ一つを正しました。絶えず内に向けて探し、自分を修めることによって、私と夫の間の氷が解け始めました。彼の私に対する態度がいくら凶暴で悪くても、私は彼を恨まなくなりました。

 2012年の春、母が私の手伝いに来ました。私は学校の近くで「学生の家」という施設を運営しています。ある日、息子は電話を掛けてきて、孫の養育費を求めました。夫は養育費の支払いに同意していませんが、私は払うべきだと言いました。夫はそれを聞き、かんかん怒り出して、私の話を聞かず、母の目の前で私を殴りました。80歳を過ぎた母は散々怒って、彼に問いただしました。「私の娘のどこが間違っていますか? 殴られる筋合いがありますか? 私を殴ると同じことではありませんか?」。彼は母が私の味方をしていると反論し、新しく買った液晶テレビやコンピューター、そして魔法瓶を全部投げて壊しました。母は悲し過ぎて、私に聞きました。「一生、こんな暮らしですか? 私の目の前でこれぐらいですから、私がいない時、彼はあなたにどんなことをしてきたのでしょう?」。私は母を慰め、言いました。「全部私のせいです。私がしっかりできていませんから」。そして、母に夫の以前の親孝行振りを思い起こさせました。その日の夜、私は眠れず、いろいろ考えました。「私は大法弟子ですか? 十数年修煉してきて、まだこれですか? 一体、誰が間違っているのですか?」。この時、私は師父のお話を思い出しました。「修煉する人 自らの過ちを探し 各種の人心取り去ること多し 大きな関小さな関、落さんと思ふべからず 正しきは彼 過ちは私 何を争ふものか」[4]。私は心のしこりが取り除かれたように、心底から言いました。「師父、私は間違いました。私の間違いです」。翌朝、私は何もなかったように振る舞い、彼の好きなご飯を作り、洗濯し、自分の方から先に声を掛けました。

 以前、彼は体の調子が悪い時、いつも私にぶつぶつ言い、私は口では何も言わなかったものの、心の中ではこう思いました。「それはあなたが悪いことを沢山してきた仕打ちです。しんどくなるのは当たり前です」。やはり彼を恨んでいましたが、今は違います。彼がしんどくなれば、私は彼が可哀想にしか思えません。

 2013年の春のある日、彼はまた小さなことで怒り出し、自分の服を沢山燃やしました。そして私を指さしながら、私をめとった事を最も後悔していて、私がいなければ自分は随分前から良い生活をしている筈だと言いました。この話を聞き、私は心の中で笑いました。「逆でしょう? 私に良い生活をさせなかったくせに…」。この念が生じた途端、私はこれがまたも恨みだと認識し、考えを改めました。翌日、彼は体中が痛いと訴え、私は彼と一緒に病院に行きました。帰宅途中、私は彼に大法を修煉することの素晴らしさを伝え、「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」[5] と言うと、彼は長く息を吐き出し、重荷を下ろしたような感じでした。それから、彼は3週間の薬を服用し、体が大分良くなりました。私は以前の恨みにこだわらず、一層彼の事を配慮し、以前の事を再び口にしませんでした。徐々に変わる私を見て、彼も変わり始めました。

 私の優しい行いが彼を感化し、時々彼の口から私を褒める言葉も聞けるようになりました。以前なら、ありえないことでした。

 去年、ある同修と交流の際、その同修は口を修めず、主人と話し合いになった後、いつも歯が痛いと言いました。私はそれを持って内に向けて探し、自分にも同じ経験があったため、自分にも口を修めない問題があることに気づきました。ここ数年、大法の修煉を通じて、私は多くの恨みを取り除きました。しかし、トラブルが生じる度に、私はまたも恨む心に駆られ、夫の悪い所を親戚や娘に言いふらしました。こうすれば自分の気は晴れますが、実家の人や娘は夫に対し、恨みを持つようになりました。皆に恨まれ、夫は無反応のはずがありません。私はいつも口では自分が間違っていて、自分に問題があると言いますが、一体どこが間違っているかは突き止めませんでした。今回、私はその根っこを掴んだ感じです。私は師父に謝り、「師父、本当に私の間違いです!」と言いました。宇宙の最高特性の「真・善・忍」に従って修煉する大法弟子なら、恨みを持つはずがありません。これを悟った途端、私は心身ともに軽く、透き通った心地よい感覚を覚えました!

 夫には2人の妹と2人の兄弟がいますが、私と夫の夫婦関係が良くないせいで、皆がうちとの往来を断ち切りました。私は心性が向上した後、自ら彼らと連絡を取り、夫と一緒にお土産を買って彼らを訪ねました。そして彼らに真相を伝え三退もさせました。彼らは夫に、「あなたは本当に福がありますよ。こんなにいろいろ尽くしてくれる嫁がいて、大事にしないといけませんよ」と言いました。夫も嬉しくなり、以前は全部自分の間違いだと言いました。

 時には彼の友達やお客が来た際、私は彼らが真相を聞きに来た人と思い、彼らに大法の真相や良さ、天が中国共産党を滅することは目の前に迫っており、なぜ三退すべきかを伝えました。夫はそばで私の言うことに口添えして、私の修煉後の変化を彼らに言いました。

 私の変化に伴い、私の家庭にも大きな変化が訪れました。子供たちが目にしているのは以前のいさかいがたえない家ではなく、2人で家事を分担し、誰もが食事の味にけちを付けず、不愉快がない家です。娘はよく家の状況を聞いてきますが、私は彼女に言いました。「安心して下さい! 以前のようなことはもう二度とおこりません。全部変わりました」。今の夫は毎日にこにこして、私が帰宅したとき、彼が在宅していれば、いつも食事を用意して私を待っています。以前の悪い習慣も変えました。私は何でも彼と相談し、彼の意見を尊重し、彼を信用しています。

 修煉後の私の身に起きた変化を目にした娘は、感慨深く言いました。「人を変えられるのは大法しかありません!」。去年、娘と娘婿も大法の修煉を始めました。

 17年の修煉を経て、私の最大の体験は、内に向けて修め、内に向けて探すことこそ全てを変える鍵で、師父が私達に望んでおられることだと思います。過去はすでに過ぎ去り、私の記憶から消えました。同修に修煉体験を書くよう勧められ、私は数日考えて、やっとこれぐらいしか思い出せません。同じ難関を経験中の同修達の参考や助けになれば幸いです。

 限られた時間の中で、私は自分の誓約を果たし、三つのことを実行し、師父の慈悲なるご済度に背かないようにします! 師尊に感謝し、同修に感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「忍とは何か」
 [2] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「修めるものはおのずとその中にいる」
 [3] 李洪志師父の経文:『各地讲法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
 [4] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「誰が是誰が非」
 [5] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/6/27/293958.html)
 
関連文章