文/中国の大法弟子 務実
【明慧日本2015年3月23日】私は自宅のパソコンで初めて明慧ネットを開き、師父の写真を拝見したとき、そして、邪悪からネット封鎖を突破できた多くの大法弟子の文章を読んだとき、私は、思わず両手を合わせ、涙を流しました。師父の加持に感謝いたします。その時のことは、いまだに私ははっきり覚えています。
それから、私は全世界の大法弟子と共に、この聖潔な明慧ネットを通して、同修の修煉の中にあった成功を分け合い、そして、修煉の中にあった教訓もくみ取ることができました。私はパソコンの入力速度はそんなに早くありませんが、自分の体験文章を打つことができるようになりました。しかも、数篇の文章は明慧ネットに掲載しました。明慧ネットに文章を投稿することは、私の修煉に大きく影響しました。私は明慧ネットから離れられませんでした。
師父の安排と同修の協力と協調の下で私たちのような年寄りも、最新の技術を使って忙しくも楽しく自分の使命を果たしています。
当初、パソコンを高難度のプロジェクトと見なしている同修(怖がる心がある)は、一旦パソコンの技術を身に着けると、皆心から感嘆しています。早めに明慧ネットを見ればよかったと後悔しています。実はパソコンを学びたくないことは、修煉の中で修める執着ではないでしょうか?
このことについて、まだ悟らない人がいます。(協調人もいます。自分の観念で妨げることになったので、多くの同修にも影響され、なかなか突破できないのです。)現在、彼らは旧勢力の安排に従って、病業に陥りました。関を乗り越えない人は、寝たきり状態になったこともあり、その中に50代ぐらいにもかかわらず亡くなった人もいました。私は心が痛み、本当に悔しいです。
もちろん、同修が修めるべき執着心がありますが、周囲の同修も内に向かって探さなければなりません。たとえば、どうせ年配の同修への資料を提供できるから、そんなに手間をかけて同修にパソコンを勉強させる必要はないと思う人がいるかもしれません。あるいは、ネットを突破する明慧ネットを見るという重要性をまだ認識していません。これも旧勢力には口実を提供することになるではないでしょうか? 師父は明慧ネットを見る弟子が増えたことを見たら、きっと嬉しくなっておられるでしょう。師父は、何度も私たちの良い知らせをお待ちしてます、と語りました。法を正すことが終わっていない限り、多くの同修に明慧ネットを使うことを呼びかけましょう。メリットがたくさんあります。これも師父の望みでしょう。
今どの都市でもネットが普及しています。まだ明慧ネットを閲覧できていない同修は、年齢に関係なく、邪悪の封鎖を解体しましょう。
以上は個人的な悟りなので、適当でないところがあれば、慈悲にご指摘ください。