明慧法会|苦難の中、初心をもって修煉する事を心に誓う(二)
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文/遼寧省の大法弟子 慧心

 【明慧日本2015年6月9日】前の文へ

 留置場で法を実証し、迫害に反対する

 2001年、私は自分の人心のために妨害され、邪悪に隙を突かれました。警官に資料拠点を捜索・没収され、私は留置場に拘留されました。不当に審問された時、「私は大法の一粒子であり、その威力は比類なし!」とはっきりとした一念がありました。私はどの同修をも売ったりはしませんでした。警官たちは私を拷問にかけて自白を強要しようとしましたが、それはできませんでした。

 私は留置場の規則を暗記せず、囚人服も着ませんでした。私と同修たちは一緒に学法し、煉功し、発正念しました。硬い歯磨きチューブを筆にして、開いた豆乳の袋に経文を書き写し、各監房間で互いに手渡し、そこに拘禁されている人に大法の真相を伝えると、「法輪大法は素晴らしい」と、ほとんどの人が分かるようになりました。私は歌が歌えなかったので、他の監房の大法弟子の「媛媛」という女性に依頼して「得度」という歌を練習し、その後、全監房の人が歌うように教えてもらいました。

 「俗世間に落ち 帰り道に迷う はや幾千百年 師尊の得度に出会う 得度 得度・・・」、私たちは歌いました。高く低く流れる歌声は一人一人の心を洗い流して、まるで神沸が迷い込んだ子供に呼びかけているかのようで、拘禁されている人の中には涙を流す人もいました・・・。

 大法弟子として邪悪な担当者に対して、いかなる供述も拒否し、協力しないことこそ正しいのです。ところが、「私一人が責任をすべて引き受ければ、捕えられた他の同修は軽い判決になるだろう」と、私は人心で思ってしまいました。実際は旧勢力の罠にはまり、その結果、私は12年という重い判決を言い渡されました。

 私は刑務所での卑しい迫害の中で、種々さまざまな非人道的な苦しみに耐えられなくなり、妥協してしまいました。しかし、何時間かして冷静なってから、私は正念で生死を放下することを決心しました。3日後、関係する警官に『厳正声明』を手渡しました。「残虐な拷問の苦しみの下で言った一切を破棄する」と表明しました。その時、私がはっきりと感じたのは、一度死んで、そして生き返る過程を歩んだということでした。この過程で、「どんな理由、どんな言い訳をもってしても、修煉を諦め、大法を放棄し、邪悪な担当者に妥協してしまったことに対して、理性ではっきりしている一面は『絶対に誤っている!』」と深く認識しています。この両者の衝突の中で、唯一感じたことはまさに――「死んだ方がまし」ということでした! 将来を考えず目先の安逸をむさぼって生きているだけなら、生きているそのことこそが恥辱です。

 声明を提出した後、「慈悲で偉大なる師父は、私を地獄の中から掬い上げてきれいに洗い、正々堂々とした大法弟子の修煉の心をもう一度授けて下さった」と知り、こうして、私はあの暗くて果てしない12年間を通り過ぎることができたのです。

 この12年間、私の腕は拷問によって傷めつけられ、身体障害者になりましたが、不思議にも快復しました。7年間に及ぶ病業の虚像による苦難の中で、私は法理が分からず、ただ消極的に耐えてきましたが、師父と法に対する強固な信念は少しも動揺したことはありません。あの最も苦しくて暗い、血生臭い暴力に満ちた日々の中で、私は精神的、肉体的両面の迫害を受けました。正と邪の格闘によろめきながら、「旧勢力はあらゆる手段を使い尽くしてでも、私の意志を粉砕し、私を完全に破壊しようと企んでいる」ことに、私ははっきりと気が付きました。師父の慈悲なる毎回のご加持と、危険で恐ろしい状況の中で、師父が私の手を引いてくださったからこそ、あの正義も道理もない暗黒の日々を私は歩んで来ることができたのです。

 拘禁中、私は刑務所の規則を暗記せず、学ばず、署名せず、審査表に記入しなかったので、刑務所側はすべての方法や小細工も使い尽くしましたが、私は、私を監視する受刑者の方式さえも認めず、そして協力もしませんでした。

 一度、私をいわゆる「学習」に行かせました。警官は大法を中傷する何冊かの小冊子を手にして、声を出して読みました。同修たちは黙り込んでしまい、私は非常に辛くてたまらず、警官に思い通りにさせまいと決意しました。翌日、再び私を「学習」に行かせようとした時、私は「行きません」と拒否したので、私を監視していた受刑者は、いわゆる「思想の大隊長」を探しに急いで走って行き、戻って来て「行かなければ行かなくてよい!」(実際は隊長の意思)と言いました。

 それからしばらく経ったある日、私たちは「感想」を書かされることになり、私は諧謔詩を一つ書きました。「一派は虚言まみれで、二つの手は血生臭く、三本足のヒキガエルは、四つの足指をやたらに踏ん張り、武(「五」と同じ音)力で弾圧し、六親(すべての親戚)にもきわめて非情で、虎に跨(「七」と同じ音)ったら下りられず、八方の敵に直面し、最終的に(原文は「九九」)返本帰真し、十年法を正し、百万の弟子、千の関を勇ましく乗り超え、万民が心を一つにして、師父について帰る」

 私はよく「思想大隊長」に手紙を書き、真相を伝え、大隊長が当直の時、いつも私は大隊長を探して話しました。私は手紙で「中国共産党は邪霊であり、他の空間では凶悪な赤竜である」ことを大隊長に教え、大隊長に「三退」を勧めました。(その時点では、師父の経文『米国西部国際法会での説法』と『シカゴ市法会での説法』を監房で私は読んでいましたが、『共産党についての九つの論評』の具体的な内容はまだ知りませんでした)。

 2006年、大隊長は定年退職しました。ある時、大隊長が物を取りに戻って来た時、私は大隊長を探して「三退」のことを話すと、「この刑務所で何人三退したか、あなたは知っていますか?」と大隊長は聞きました。「知っています。三退した人たちが使用したのは偽名です」と私は言いました。「あなたが私に書いた手紙はみな取っておいてあり、時々、取り出して見ています」と大隊長は話しました。「あなたは『三退』しなければなりませんが、偽名でいいですよ」と私は言いました。

 2012年、私はすでに大隊を移動していました。私が不当に拘禁された小隊では、同修のAさんが仕事をしなかったために、警官がAさんを小さいプラスチックの椅子に座らせようとしました。Aさんは座らず、警官が力づくで押さえつけたので、私が制止すると、Aさんは「法輪大法は素晴らしい」と大声で叫びました。Aさんは殴られ、私は「人を殴ることは許しません!」と叫びました。

 上の階には四つの小隊があり、第一小隊の同修のBさんも「法を知りながら法を犯すとは、天理が許しません。人を殴ることも許しません!」と叫びました。第三、第四小隊の同修も仕事を中止してこれを見ていました。私たちの小隊の2人の同修も立ち上がったので、階上の全員が仕事を中止して、ほぼすべての大法弟子がみな注目し、「人を殴ることは許しません!」と叫ぶ人もいました。

 後になって、拘禁中のある人が「あの時の場面はとても『壮観』でした。大法弟子の心は本当によく揃っていました」と教えてくれました。Aさんが禁固刑の処分となり、その時から私は絶食を始め、仕事をせず、Aさんを声援しました。Bさんはあの警官を見るや否や「人を殴ることは法を犯しているので、天理が許しません!」と叫び、さらに刑務官の事務室へ行って同修の引き渡しを求めました。他の小隊の同修も目で私を励ましてくれました。同修のDさんもずっと仕事をしておらず、しばらくして、私と同じ小隊の同修のCさんも私の励ましの下で仕事をすることを断りました。Bさんの小隊の同修・Eさんも仕事をしなくなりました。この時、「この一歩――(奴隷のように働かされることを拒絶)を歩むべきだ」ということに私は気が付きました。

 その後、私が胸に名札を付けていないことを、Dさんが合図で教えてくれました。私は戸惑い、「スーパーに行って物を買う時に、名札がないので、物を買えないということではないか」と、人心が湧いてきました。何と強く利益を得ようとするのでしょうか。しかし、2日が経ち、自分の執着に私は気が付いたので、「あんたはこんな利さえも放下できないのか?」と、自分自身に問いかけました。私はすぐに名札を取って引き裂きましたが、私が名札を付けているかどうか、誰もまったく注意を払っていませんでした。

 Cさんが仕事を放棄した後、やはりあの警官がCさんを小さなプラスチックの椅子に座らせました。私は「機会があれば必ず正さなければならない」と思いました。ある日の朝、仕事場に着いた時、Cさんが立っているのを私は見かけました。私たち2人は斜めに向かい合っており、Cさんがプラスチックの椅子を指さしたので、私は首を横に振り、座らずに掌を立てるように合図すると、Cさんはうなずき、それが発正念の意味だとはっきり分かったようでした。私は「その場を仕切っている隊長を必ず探しに行き、来るまで待とう」と思いました。

 教導員が来ると私は立ち上がり、心がドキドキし始めたので、私は自分自身に「あなたは緊張しているようですが、何が恐ろしいのですか? あなたは正しいので、邪は正に勝てません!」と言い聞かせました。心が平静になったので、私は歩いて行き、あの警官たちのCさんに対する不公平な対応について教導員に話し、さらに「私が仕事をしない理由」を伝えました。教導員は「状況を聞き取り調査しよう」と言いました。その後、Cさんは普通の椅子に座るようになりました。後で収監中のある人が私に教えてくれたのですが、「夜、Cさんが監房に帰って来ると、強いられて引き続き仕事をしている」ということでした。私は方法を考えてCさんに近づき「絶対に担当者に協力しないように」とCさんに教えると、Cさんはもう夜、仕事をしなくなりました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/11/9/299617.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/11/15/146871.html)
 
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