人間の観念を改め、真に自分を師父に委ねる
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 【明慧日本2015年8月26日】私は1998年の年末頃から修煉し始めた古い大法弟子で、今年73歳です。多くの病気や仕事の重圧、そして家庭の不和などに悩まされていました。気功によって健康を得ようとして、仏教に帰依しても絶望しか得られなかった時、大法に出会いました。法輪功を煉るや否や、私の各種の病気が治り、体は軽くなりました。感謝の気持ちや喜びが一杯で、人に会う度に法輪功の素晴らしさを伝えていました。十数年来、私は師父が按配して下さった修煉の道を歩み続けて来ました。

 今まで、旧勢力の黒い手や卑しい鬼たちは虎視眈々と私を狙い、様々な手段を用いて迫害してきました。しかし、その「病業」の関がいかに重く、いかに危険であっても、私は終始一貫して、修煉者である自分には病気がないことを信じてきました。その関は業を滅しているか、または旧勢力による迫害だと思い、毎回師父のご加護の下で、素早く関を乗り越えてきました。

 一例として、2006年、突然心臓の衰えに襲われ、心拍数は160回以上に達するにも拘らず、毎分の心拍停止は12回ほどあり、歩けず動悸も激しかったのですが、私はその日に五式の功法を二回煉りました。夜には心拍数が正常になり、翌日はいつも通り出勤しました。

 2010年、私には眩暈、頭痛、口と目の歪み、高血圧、脚の不自由な現象などがみられましたが、毎日学法煉功を続けているうちに、一週間で全ての症状が消えました。

 2013年の後半、私は4回も転びました。最初の2回は、熟睡したときにベッドから落ちて、胸の筋肉やあばらの神経、そして足指を怪我して、活動が制限されるようになりました。3回目は洗面台で転んでしまいました。私は発正念を強化し、内に向けて探し、煉功の回数も増やして、すぐに関を乗り越えました。当時、それで魔難は乗り越えたと思い、気を緩めました。しかし年末に、ソファーに座ろうとした私は、間違えて床にずとんと座ってしまいました。たちまち腰や股に激痛が走り、動けなくなり、顔が土色になりました。家族はびっくりして、病院に連れて行こうとしましたが、私は「煉功すれば数日で治る」と家族を安心させました。

 修煉は厳粛なことです。今回転んでから、私は自分の修煉に問題があるのではないかと考え始めました。しかし、どんなに大きな漏れがあっても、旧勢力による試練は認めず、師父の按配だけに従うことを決心しました。動けない間、私は発正念を強化し、法を暗記したり、経文を繰り返し暗唱しました。三日経っても、全く病状の改善が見られない私に、子供たちは病院に行くことを勧めました。行く途中師父に助けを求め、ずっと発正念をしていました。しかし、病院で撮ったX線写真をみてみると、椎骨は圧縮性骨折になっていて、一段目の椎骨は二段目を圧迫し、三、四、五段目の椎骨の間にはただの線くらいの隙間しか残っていませんでした。医者はすぐに入院を勧め「半身不随を防ぐために、三カ月以上固い板のベッドで寝ていなければならない」と言いました。

 大法弟子はどこにいても良い人として、大法を実証すべきと思い、入院中の17日間、私は落ち着いて法を暗記し、説法を聞いて発正念を行いました。師父の『済南での説法』を七回聞きました。また、人と接する機会があれば真相を伝え、6人が三退しました。看護士と同じ病室の患者達は、私の血色の良さと元気さから、大法の素晴らしさを目にしました。家に戻ってから私は痛みに耐えながら煉功し、2月の初め頃から再びコンピューターを使って、真相資料が作れるようになりました。子供たちは私の早い回復にびっくりしていました。

 しかし、私は内心焦っていました。修煉においてこれだけ大きな漏れが出てしまい、どうすればいいのでしょうか。以前一緒に学法していた古い修煉者たちに連絡し、常人の一切の事はとりあえずさておき、彼女たちと一緒に集中学法をすることにしました。私は再び修煉当初の状態を取り戻しました。

 そのうちの一人の同修は以前の事を思い出して「修煉当初、あなたの変化が一番目立っていました。日に日に変わり、血色が良くなり、皮膚も若くなって、元気はつらつでした。なのにどうして今の状態になりましたか?」と聞かれ「そうですね。考えてみれば、十数年修煉してきたのに、顔色が黄色くなって、疲れやすく、歩きも遅くなり、少しでも早く歩けば胸に痛みを感じます。私はどのように修めてきたのでしょうか。恐らく人間の観念に阻まれて来たのでしょう」と答えました。

 何故人間の観念が、中々取り除かれていないのでしょうか。根本原因は、法の学びが少なければ、人間の念によって、常人の皮を脱ぎ捨てることは到底できないということです。私は自分の一切を師父に委ね、心を静め、最も敬虔な気持ちで学法や煉功を行い、大法を頭に満たし、人間の観念を改め、人心を取り除き、修煉の最後の道を、きちんと歩むことを決心しました。

 私は大法を学び始めた当初の真面目さと熱心さ、そして差し迫った気持ちで、心を静めて学法や煉功を行いました。「動作はもっと正確に、法理はもっと多く知るように」という真面目な態度で取り組みました。動けない8カ月間、私は真相電話を掛ける以外、午前中は『轉法輪』を読み、午後は師父の経文を読みました。数カ月間で師父の全ての経文を2回読みました。また、私は『大圆满法』にある師父の動作の一つ一つ、例えば、指と指の間隔や合掌の動作などを細かく覚え、自分の動作を正しました。動作とスピードの正確さは煉功の効果に影響を与えるだけではなく、それが師と法を敬う現れでもあると思います。私は法を深く理解するように努め、毎日内に向けて探し、邪悪を排除するよう発正念を続けました。

 数カ月の努力で、私の精神状態は明らかに良くなり、顔のしみも減りました。70歳の常人なら、旧宇宙の按配によって、随分以前に命を終えていたかもしれません。しかし、私は大法を修めているので、師父から修煉の機会を頂き、円満成就する可能性さえも与えられました。旧宇宙の神々は黙っていられるのでしょうか。真に大法を修煉して、はじめて師父と大法のご加護により、旧勢力が自分の体内及び空間場に設置した一切の機制を、徹底的に解体することができ、各種の大きな難関を乗り越えることができます。そうするには、人間の観念を徹底的に改め、特に「生老病死」という人間固有の理を放下し、全てを師父に委ね、正々堂々と修煉し、師父の教えに従って始めて達成できます。

 以前の修煉の中では、自分は宇宙の大法を修めていると思い、死に対する恐れがありませんでした。しかし、深く掘り下げていくと、病気や死を恐れる強い観念があることに気づきました。子供たちに大法の良さを認めてもらうために「修煉していなければ、あなたたちは随分前に母親を失った」と言ったり「家族には高血圧や脳卒中の遺伝があって、母親と姉妹たちはそのせいで早くこの世を去った」と言ったりして、表面的には大法を実証していました。しかし、心の中では「生老病死」に対する念は放下していませんでした。元々、私は病気治療の目的で大法を修煉し始めたのです。学法を通じて、私はやっとこれが自分の根本的執着だと気づきました。この観念によって私は長い間、旧勢力に迫害されて来たのです。

 師父は仰いました。「生死を放下できればあなたは神になり、生死を放下できなければあなたはやはり人間です。つまりこの違いです[1] 「もしあなたが病気のことばかり考えるその心を捨てられないのなら、われわれは何もしてあげられないし、どうすることもできないということを強調しておきます」[2] 真に生死を放下しておらず、人間のままの私は大法の保護を受けず、旧勢力に恣意に按配されてしまいました。しかし私たちは大法弟子で、神に向かう生命として、決してそのような按配を認めてはいけません。

 修煉は厳粛なことで、神に向かう大法弟子は必ず生死の試練を受けます。何故ならば、輪廻転生の中で作ってしまった一切の業を必ず返さなければならず、誰もその責務から逃れられません。しかし、どんなに大きな魔難に直面しても、師父の仰るとおりに実行し、大法をもって自分の考えや念の一つずつを指導すれば、乗り越えられない関はなく、人間から脱皮し、神になることを確信しています。師父が按配して下さった道を最後まで、しっかりと歩みます。師父に感謝致します。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『米国法会での説法』「ニューヨーク法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/5/24/309907.html)
 
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