【明慧日本2015年10月30日】牛桂芬さんは新疆女子刑務所から解放されて1年後、2013年11月21日にこの世を去った。享年65歳。
牛さんは法輪功を修煉し、法輪功が中国共産党により迫害されている実態を人々に伝えたことを理由に、何回も逮捕された。牛さんは生前、北京、山東省、新疆ウイグル自治区などで14年間迫害され、その間、4年6カ月は新疆女子刑務所に拘禁されていた。牛さんの娘・張力元さんは2006年2月13日、山東省莱州留置場より解放されてから4カ月後、この世を去った。享年30歳。
現地の新疆沙湾県政府は、夫婦がただ法輪功を信奉していることを理由に、夫婦の2棟の建物を不法に奪い取り、2人の年金受給の権利も剥奪した。迫害による重圧や苦痛、その上、安定した収入源も住む家もなく、家族はやむを得えず、あちこちを転々とするしかなかった。
家族3人拘禁され 娘は解放後 死亡
牛さんの家族は2004年、故郷である山東省莱州市に戻った。翌年4月12日、家族が『共産党についての九つの論評』を作成していたところ、自宅で逮捕された。同論評は中国共産党の残虐な行為を暴露している。20人以上の警官が莱州610弁公室のトップに率いられて、牛さんの家を荒らしまわり、2万4千元の現金と器材の全てを没収した。
牛さん一家3人は莱州留置場に送られた。そこで牛さんの夫・張継臻さんは頭を壁に激しくぶつけられ、意識を失い、病院で緊急処置を受けて危機を脱出した。牛さんと娘は王村労働教養所へ送られたが、教養所は2人が非常に衰弱しているのをみて入所を拒否。2人は留置場に戻された。
留置場に戻された2人の身体状況は引き続き悪化する一方だった。当局は2人の死に対して責任を負うことを恐れ、9月末に2人を解放した。娘は2006年2月13日、解放されて4カ月後、30歳の若さでこの世を去った。
母 再収監され 解放されて1年後死亡
娘が亡くなってから、牛さん夫婦は北京の親戚の家に引っ越した。2007年の秋、牛さんは昌平区で法輪功が迫害されていることを住民に伝えていたところ逮捕され、昌平区の洗脳班に2カ月間拘禁された。そこで、当局は牛さんを心身両面から拷問を加え、法輪功をやめさせようと企んだ。
2008年、北京でのオリンピック開催前、警官が牛さんの住居に押し入り、牛さんを逮捕した。牛さんは4年6カ月の刑を言い渡され、新疆女子刑務所に送られた。長期にわたる迫害により、2012年10月に解放された時、牛さんは骨と皮ばかりに痩せこけていた。1年後の2013年11月21日、牛さんこの世を去った。
牛さんの拘束・拘禁歴
1999年7.20、中国共産党は法輪功に対する残酷な迫害を開始。沙湾県610弁公室と現地の各部門は頻繁に牛さん家族を妨害し監視した。1999年10月、牛さんは莱州へ母親に会いに行った。沙湾の公安は莱州の公安に連絡し、牛さんを逮捕。牛さんは莱州留置場に1週間拘束された後、新疆へ移送され、そこで2カ月拘禁された。解放されてから、牛さんと家族は公安に妨害されないよう沙湾を離れた。
2000年4月、牛さんは山東省済南市で逮捕され、新疆第一女子労働教養所に移送されて2年3カ月間拘禁された。牛さんは法輪功に対する信念を貫いたため、さまざまな拷問を受けた。18日間、睡眠も水も食事も与えられなかった。また何回も意識を失うまで残酷に殴られたこともあった。長期に及ぶ残酷な迫害により牛さんは心身ともに深刻に障害され、さまざまな病気や合併症が現われた。
天網恢恢、疎にして漏らさず! 新疆沙湾県610弁公室、公安国保、新疆女子労働教養所、新疆女子刑務所、山東莱州610弁公室、公安国保大隊など、いわれのない善良な法輪功学習者への迫害に対する責任から逃れることはできず、必ず歴史の裁きを受けるだろう!
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/1/26/148114.html)