若い同修たちは 男女関係を正しく対処すべき
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2016年1月6日】「子供弟子」とは、なんて幸運な称号なんでしょう! 昔から多くの求道者が数え切れない苦難に遭っても、宇宙大法に巡り合うことがありませんでしたが、子供弟子は生まれてきた時から大法弟子の一員になれたのです。

 師父は子供弟子の身元の由来について、次のように説かれました。「どの家が未来に法を得るのか、上にいる神ははっきり見えているので、なるほどこの家の人が法を得るのだと見て、按排して転生して来るかもしれません。転生すれば法を得られるからです」[1]。子供弟子の身元の由来は簡単でなく、特に今日のような天地開闢以来、未曾有な法を正す時期において、子供弟子は万古の昔から 繋がれてきた神聖なる縁のもと、そして無量な衆生の期待を背負って生まれてきました。

 新経文『二〇一五年米国西部法会での説法』を拝読した後、私は「着実に修煉する」ということに対し、強く心を打たれ、そして自分が円満成就の基準に達しているかどうかについて自分に問いかけました。師父は次のように説かれています。「一体、どのくらいの人が乗り越えることができ、どのくらいの人が本当に大法弟子が円満成就する基準に達することができるのでしょうか? 師父は時には本当に楽観視していません。法を正すことは必ず成功します。これは間違いのないことです。大法弟子が修煉して円満成就することも間違いのないことですが、何人が円満成就できるのでしょうか? 私は今、本当にあまり楽観視していません」[2]。

 この部分の説法を読んで、私は当初大法が世に伝わった時に法を得て、かつての子供弟子たちの中でいったい何人くらい成熟して、大法弟子になれたのでしょうか? また、何人くらい修煉を続け、自分の誓約「師が法を正すことを手伝う」[3]という使命を果たしているのでしょうか? また自分の修煉を怠り、落ちってしまった人は何人いるのでしょうか? 完全に常人社会の迷いに陥ってしまった人は何人いるでしょう?

 私の周りの状況を例にして言うと、迫害が始まってから、周りの子供弟子は妹と私以外ほぼいなくなりました。その後、私たち二人もだんだんと常人社会の中で本当の自分を見失っていましたが、師父は私を見放さず、再び修煉し始めました。しかし私の知っている限りでは、昔の子供弟子ほぼ常人になり、表に出て法を実証する人はほぼいないのです。修煉を続けていても、真に執着心を放下し、着実に修煉する人はほんの少ししかいません。師父はかつてこのように説かれました。「簡単に手に入れたからといって、簡単にそれを失ったりしないように、皆さんに忠告しておきます」[4]いったん失ってしまうと、二度と救われるチャンスがないかもしれません。特にこのような特殊な時期に一度機縁を失ってしまうと、永遠に修煉するチャンスにめぐまれることはないと思います。

 かつて法を得た子供大法弟子は、なぜ修煉に戻って来れないのでしょうか? 私が知っている限り、最も大きいな障害となっているいるのは、男女関係の問題が原因です。

 子供弟子は今現在、成人になり、結婚という問題に直面しています。客観的な原因は別にして、もし本当に男女の情を放下できて、三つのことをしっかり行えば、これらのことを考える時間がなくなり、男女関係の問題もなくなります。多くの人はきっと「常人の状態に符号しながら修煉しなければならない」というかもしれませんが、それは修煉状態や個人それぞれの悟りに関することです。師父は『スイス法会での説法』にこの問題について次のように説かれました。「自分に常人の心がまだあり、しかもかなり強烈で、まだ結婚や相手探しをしたいと思い、ある女の子が好きになったり、或いはある青年が好きになったりして、こ の心をまだ持っており、このようにしたら、つまりあなたがまだそこまで修煉できていないということを物語っているので、このようにしても良いのです」[1]。

 しかし、『転法輪』の中で師父は私たちにこのように教えて下さいました。「だだし、いま社会に見られるようなあんな状態になってはいけません。それはとんでもないことです!」[4]。あんな状態とはどんな状態のことでしょうか? 当然今日のような堕落した人間の観念の影響を受けた現代人の間に流行っている不正な男女関係、未婚男女の同棲生活、自分たちの勝手で別れること、離婚などなどの状態のことです。

 最近ある幼い頃から法を得て成人した青年同修が、自分の修煉を完全に諦めたという話を聞いて、心が痛み、もったいないと思いその原因を尋ねたところ、ボーイフレンドを何人も変えたというのです。現在、常人の頭の中は、このような淫(みだ)らな関係、淫らな行為で充満しているのではありませんか? 師父は「現代社会は七情六欲ではなく、七十情、六十欲以上あり、そうではありませんか? 様々な欲望があります」[5]と説かれました。修煉者の体は純粋で清いものであり、これは師父が清めて下さったものです。この清められた体を大切にしなければならないのです! それでこそ、師父の慈悲深い済度に対して申し訳が立つというものです。

 青年の同修は、必ず男女関係の問題を正しく対処しなければなりません。「常人の状態に符号しながら修煉する」といっても、今社会によく見られるような状態ではなく、昔、神が人間に定めた男と女の正常な付き合い方でなければならないと思います。もしこの面において問題を正しく対処できなければ、旧勢力は必ずその人を引きずりおろすと、この問題について師父は何度も何度も法を説いて下さいました。

 もし色欲の本質を見抜くことができれば、それを取り除くことはそう難しくないと思います。実は色欲は他でもない、中国共産党が人間を迫害する手段の一つではありませんか? あなたの神の性質だけではなく、人間性まで失わせ、魔性を放縦させるのです。師父は「魔性を放縦して神から遠のき 地獄に入れば出ずる日無し」[6]と説かれました。中国共産党は人間を地獄に引きずり落としているのではありませんか?

 「常人の生活方式の状態に符号して修煉できる」[7]を口実にした人は、理性を失ってはならないと思います。多くの場合は、自分の執着心を隠していると思います。精進している同修は、これらの問題をはっきりと認識しています。これから常人と結婚し、常人の生活を楽しみたい同修は、頭を冷やし、冷静に考えなければならないと思います。自分が常人に左右され、引き下ろされないと保証できますか? 師父は次のように説かれました。「一部の若い大法弟子は常人と結婚し、本当に情によって引きずり落とされ、常人になり、常人よりも常人になりました」[8]。

 なぜ大法の素晴らしさを知りながら、修煉の道に戻れないのでしょうか? なぜ精進する気は十分あるのに、力が伴わないと感じるのでしょうか? 師父は『転法輪』の中で色欲の問題について論じる時、最後に、次のようにまとめられました。「煉功の時にあれこれと妨害が現れてきた場合、まず自分自身から原因を捜し、まだ何か捨てなければならないものがあるのではないかと考えるべきです」[4]。師父は私たちを偉大な称号「大法弟子」を授けて下さったのですが、私たちはこのような称号に釣り合うかどうか、自分の胸に手を当て、心に問いかけるべきではありませんか? 何千、何万の真に修煉する大法弟子が自分の生活も顧みず、昼も夜も問わず、時間を大切にして人々を救い済度する中で、彼らが常人の状態に符号いていないと思うかもしれませんが、修煉形式は常人の生活の方式に符号することは問題ないと思いますが、しかし、一人の真に修煉する人は、常人のような堕落した状態に符号しようと思うでしょうか?

 最後に、師父が説かれた法を皆さんと共に勉強し、励まし合いたいと思います。「皆さんは修煉者であり、これは皆さんの以前のこと、かつてのこと、またはあなたの表れを言っているのではなく、あなたの本質、あなたの生命の意義、あなたが背負った責任、あなたの歴史的使命を言っているのです。このようにしてはじめて、あなたは本当の大法弟子になります」[5]。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『スイスでの説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部での説法』
 [3] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [4] 李洪志師父の著作:『転法輪』
 [5] 李洪志師父の経文:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」
 [6] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「済度できず」
 [7] 李洪志師父の経文:『ヒューストン法会での説法』
 [8] 李洪志師父の経文:『各地での説法一〇』「マンハッタン説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/13/319066.html )
 
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