厳粛に厳正声明に対応する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年1月15日】最近、同修の厳正声明を整理している時、ある一部の同修の声明がとても簡単であることに気づきました。例の「江沢民を告訴する際に、嫌がらせをされたことで法に合わないことをやりました。ここですべての言行を無効にし、倍にして損を補うことを声明します」ですが、いつどういう状況で何を書いたか、あるいは法に合わない何を言ったかなど、はっきりと書いてありません。このような声明は大きな問題ではありませんが、読者から見れば、重視することや、決意や誠意を感じることができません。

 厳正声明は、師父がまだ修煉のよくできていない修煉者に課されたやり直すチャンスです。師父の洪大な慈悲と威厳に対して、厳正声明は必ず誠意のある態度と決意を示さなければなりません。これはただ、人間の承諾だけではなく、神の道を歩いている生命が全宇宙に対して書いた誓約ですので、厳粛に対応しなければならないのではないでしょうか。

 さらに深く追求するなら、厳粛でない裏には、自分を保護する私心や幸運を期待する僥倖(ぎょうこう)の心を持っていないでしょうか。言い換えれば、声明を圓満の道へのひとつの清算として、厳粛な誓約書と見なしていません。ある同修は過ちを声明で補えると思っています。声明だけして行動がなにも変わらなければ、神や師父を欺いているのではないでしょうか。罪はもっと大きいのです。

 師父は「あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します」[1]と説かれました。我々の声明はただ最初の一歩であり、最も重要なのは、心の中で自分自身の不足を認識し、行動上でも真面目に徹底的にやり直し、うまく出来るようにする事こそが、厳正声明と言えるのです。

 師父が我々を守ってくださるのは、私たちが大法弟子であるからです。大法弟子は全宇宙で最も偉大な呼び名ですが、ただ口で言うだけでは本当の大法弟子とは言えません。本当に大法弟子の基準に合わなければなりません。師父は「一体、どのくらいの人が乗り越えることができ、どのくらいの人が本当に大法弟子が円満成就する基準に達することができるのでしょうか? 師父は時には本当に楽観視していません。法を正すことは必ず成功します。これは間違いのないことです。大法弟子が修煉して円満成就することも間違いのないことですが、何人が円満成就できるのでしょうか? 私は今、本当にあまり楽観視していません」[2]と説かれました。この部分の法を読んだ後、本当に驚き、恥ずかしくも感じました。長年修煉しているのですが、いつも大法弟子の身分であることに満足し、無意識のうちに円満する喜びを持っています。何かをやるときも、威徳を求める心を持っています。過ちを犯した後に書いた声明についても、汚点を残さないようにする私心があります。これは師父が要求された無私無我、他人を先に、自分をあとにするという正覚とどれほどかけ離れているのでしょうか。これはひどく大法弟子の基準と離れています。師父はどうやってあなたを円満させることが出来るでしょうか。

 師父は「非常に正しく行い歩んできた人といつも間違いを繰り返している人、今日は何かの反省書を書いたり、次の日に何かの声明を出したり、最終的には乗り越えてきたのですが、それには次元の違いがあります。今になっても理性がはっきりしていない人は、今日は本当に分かるようになり、前に向かって走り、追いかけ、本当にしっかり行うことができれば、円満成就に向かうことができますが、前方にいる人に追いつくことはもうできません。修煉には境地があります。師父は焦っています。このときになればなるほど師父は焦っています」[2]と説かれました。

 なぜ声明は絶えず繰り返しがあるのかを考えました。声明の最後に、皆「上手くやり直し、大法への損失を倍に補う」と書いてありますが、本当にやり直しはうまくできているのか、本当に倍に補っているのかを見てみましょう。自分の承諾を重視していないから繰り返しがあるのではないでしょうか。神なら言ったことについて必ず実際に行動します。変りもないです。邪悪に従うのもすでに大間違いであるのに、やり直しの声明通りに従わなければ、これは小さな問題ではありません。

 正法は最後の最後になったので、我々は自分に責任を持たなければなりません。宇宙の衆生にも責任を持たなければなりません。厳粛声明に応対して、自分自身を厳しく要求しなければなりません。上手くできていないことで師父に心配させないでください。万古の機縁とすれ違わないように自分に悔いを残さないでください。

 個人的な悟りですが、不適切なところがありましたら、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一五年米国西部法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/1/9/321988.html )
 
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