重慶市の法輪功学習者 迫害により死亡
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 【明慧日本2016年4月23日】中国・重慶市武隆県医務従業者の法輪功学習者・馮志蘭さんは不当に連行され、3年の判決を下された。昨年7月6日重慶市女子刑務所に連行され、酷い迫害を受けた。警官に指図された犯罪者により、髪の毛を引っ張られて壁にぶつけられ、頭から出血したり、足でお腹を蹴られたり、トイレに行かせなかったりした。そして、危篤状態に陥り、病気治療のため保釈された。今年3月15日、冤罪が晴れないまま、この世を去った。

 馮さんと従姉妹の熊紅衛さんは、2014年6月武隆県国保大隊に連行され、留置場に1カ月あまり不当に拘禁された。馮さんは血圧が200に上がり、血糖値も30を超えたので、留置場側は拘留を続けられず、保釈した。昨年6月武隆県裁判所は、馮さんが危篤状態(数回大小便が失禁)になっていることを分かったままで、3年の判決を言い渡した。再三馮さんの身体検査の正当な要求を拒み、馮さんを重慶市女子刑務所に送り迫害した。

 昨年7月6日、馮さんと熊さんは重慶市女子刑務所に送り込まれた。刑務所側は規定に違反し身体検査をしないまま、二人を受け入れた。当時馮さんは血糖値が30、血圧が200の状態で、熊さんは血圧が220の状態であった。馮さんは苦難をなめ尽くし、昨年の年末には身体が痩せ細り、ご飯を食べれなくなった。馮さんは数回身体検査を要求したが、刑務所側はずっとこれを拒み、結局今年の3月15日馮さんが亡くなった。

 以下は、馮さんが生前述べた迫害を受けた経過である。

 医務従事者として私は多くの病気を治したが、自分の身体には力が及ばず、長期的な神経衰弱や偏頭痛に悩まされていた。1998年5月、三王廟広場で煉功している人々を見かけ、法輪功の動作が美しくて、勉強するのは無料だと分かった。そして、『轉法輪』を受け取り読んだ夜、ぐっすりと寝れた。それから偏頭痛と神経衰弱が治り、身体が軽くなり肌の状態もよくなった。

 1999.7.20から迫害が始まって以降、学法や煉功の環境が失われた。しかし、私は放棄せず、職場や家庭からの圧力の下で、ずっと学法と煉功を続けていた。

 2000年12月、江沢民がロシアに国土を売り渡した事が書かれた資料を貼ったため、国保大隊に連行された。私は縛られて、パトカーに乗せられて街中を引き回された。武隆県留置場で拘禁されて半年後に、ようやく釈放された。

 2009年7月、国保大隊は不法に我が家に侵入し、家宅捜索した。「法律の実行を破壊した」という罪名で、2年間の判決を言い渡された。

 2014年従姉妹の熊さんと一緒に武隆県国保大隊に不当に連行され、1カ月間拘禁された。その間、危篤状態(血糖値30、血圧200)に陥ると、留置場側はこれを恐れ、私を保釈した。しかし、昨年数回開廷され、最後には3年の判決を言い渡された。私の出した身体検査の要求を阻み、重慶市女子刑務所に入れ、迫害した。 

 刑務所内では犯罪者が私を転向させるために、ひどく罵ったり、髪の毛を引っ張って壁にぶつけたり、頭から出血したりし、また何度も足でお腹を蹴られた。昨年12月から、私はご飯が食べれなくなった。警官に身体検査を申し出ても、嘘をついていると言って取り合ってもらえず、今年の1月、私は完全に食事を取ることができなくなった。家族と面会する時、身体検査を要求すると、刑務所側も責任を他の人に押し付けた。結局危篤状態になってから、病気治療のために保釈された。これらは皆、重慶市女子刑務所側が私を迫害した地獄のような刑務所内の出来事である。

 また、従姉妹の熊さんも武隆県裁判所に7年の判決を言い渡され、重慶市女子刑務所で迫害されている。警官と犯罪者は熊さんを殴り、テープを口に巻き付けた。熊さんの血圧が220になり身体が不合格にもかかわらず、刑務所側は規則に違反し熊さんを受け入れた。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/4/15/326673.html )
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2016/4/18/156321.html)
 
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