修煉の中で、絶えず基点を正すべき
■ 印刷版
 

文/中国大連の大法弟子

 【明慧日本2016年7月1日】最近、トラブルの中で自分の問題を見つけることができますが、どうしてもすっきりしない気がします。なぜなら、内に向けて探した後、自分の問題に対する認識がはっきりしてくるどころか、最後にどうしても相手の良くない部分を連想してしまい、心の穏やかさを失ってしまうからです。自分は到達すべき次元の法の基準を満たしておらず、迅速に突破したいと思いました。

 ある日の午後、私は時間を割いて大量に法を転写することにしました。その過程で、私はできるだけ雑念を排除し、心を穏やかに保つよう努力しました。徐々に、自分の問題は闘争心だと気づき、心の平穏を取り戻し、理由もない猜疑心が次第に消えていきました。

 その日の夜、私はグループ学法に参加しました。ある節の説法を読むでいると、突然一塊のエネルギーが心に入って来たのを感じました。その後、心が清らかで、柔らかくなった感覚を覚え、法理に対する新たな悟りを得ることができました。

 法に啓発されて、私は以前、自分が同修の前で行った言動が見え、そこから大法の事を行う際の自分の基点が純正でないこと、また、顕示心や自我を実証する執着心などがあることに気付きました。さらに、自分が見えたのはほんの一点に過ぎず、まだまだ内に向けて探し、さらに前へ進み、この次元を乗り越えなければならないと感じました。

 数日後、明慧ネットの交流文章を閲覧する際、再び啓発を受けました。以前、自分が真と善に従って取った言動の中に、理性的思考が欠けていて、結果を気にせず、相手の感受性を無視する極端な要素が含まれていたことに気付きました。また、自分の知見範囲以外の物事に対して正しく対処できず、寛容な心を持つことができませんでした。これらのことを認識してから、現段階の自分に対する法理の要求が分かり、今の自分は何を修めるべきか分かりました。ぼんやりしていた思考がはっきりしてきて、初めて真の理性とはなにかが分かり、心身共にプラスのエネルギーに包まれて、行動も即座に気機に従い変わり始めました。今は、どの次元に到達しても、引き続き自分を修め、大法弟子の責任を明確に分かった上で、真面目に、そして理性的な思考に従い大法を実証する基点を正すべきです。自分の一つの考え、一つの念、一挙手一投足の中で自分の不足を見つけ出し、同修と一体になり、無私無我に衆生を救い、誓いを果たすべきことも認識しました。

 補足ですが、心性が向上する過程で、『九評』を読むのも一定の効果がありました。本を読む際、何回も強いエネルギーが心に入ってきたのを感じ、闘争心もこれによって消されました。

 以上は最近の修煉体験ですが、次元の限りがあるので、同修のご指摘をお願いします。ありがとうございました!

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/28/330572.html)
 
関連文章