修煉において学法する信念を保とう
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年7月2日】迫害が始まってから、しばらくの間、私は身を落ちつける処を失いました。恐れる心が膨張し、外出する際に、家の外の足音を聞いただけでびくびくしていました。常に人に見られてないか、他所の人に知れてないかを気にばかりしていました。

 しばらくして、ある日、自分のこの状態は間違っていることに気が付きました。今のまま隠れてばかりで、まるで脱走犯のような現状はいつまでも続くものではありません。大法弟子は堂々たる気概を持ち、正々堂々と振る舞うべきだと思いました。

 また、他の空間で人の行動を観察している邪悪にとって、人の行動ははっきり見えているため、私は人間社会で人間の方法を用いて、邪悪から逃れることは不可能だとわかりました。ですでの、私はこの迫害の下で大法を修めている以上、大法には最も邪悪を制御できる威力があることを悟りました。心に法があれば、邪悪の思い通りにはなることはないと確信しました。

 これらの理を認識できて、私は学法し続け始めました。しかし、実際に法を学ぶ過程において、順風満帆な道のりではありませんでした。様々の多くの妨害がありました。例えば、身体の疲労や、意識が朦朧としたり、眠気に襲われたりしました。頭の中に、色んな考えが現れてきました。その考えは法の内容は何も身につかないと感じさせるものでした。また、日常生活の雑用を処理しなければならない時に、学法と日常生活のバランスを良くとることは容易ではありませんでした。でも、どんなことがあっても、ひたすら学法する信念を放棄しませんでした。

 ある日、仕事が終わって、本を開き、学法をしようとしましたら、2行読んだだけで、眠気に襲われて、我慢できず、ばったりとベッドに倒れ込みました。目が覚めて、まだ学法できてないことを後悔しました。それに、内心に昇華した覚えがありませんでした。もし努力せず、学法を堅持できないまま、自分の惰性に勝つことができなければ、迫害をどうやって否定できるのだろうと思い、ベッドから起き上がり、学法を続けることにしました。

 このように、様々な妨害を克服して、続けて師父の各地での説法を6回読みました。ある日、突然、自分の思惟がとてつもなく深くて広いエネルギー場に入りました。言葉では言い表すのできないような物質のエネルギー場でした。身体の表面から大法弟子のすべての行いは人類の将来に関わっていて、責任重大であることが分かりました。そして、自分を良く修めることと衆生を救い済度することが繋がっていることが理解できるようになりました。続いて、自分に覆いかぶさっていた無形の圧力が軽減され、心身ともに軽やかに、朗らかになり、周りの環境もいつも通りに戻り、明るくなりました。

 それから、ある出来事があって、不意に自分の考えを書き下ろしてみました。突然自分の思惟が開かれ、はっきりと自分の問題点を見つけ出すことができました。初めて、自分が持っていたそれらの考えは全部執着であり、自分の観念であることを思い知らせられました。自分の行いが大法弟子の基準に達してない時は、往々にして、良くない要素が背後で作用をしていたときだと気づきました。

 その後、周りの環境はだんだん好転していきました。政府機関の人間が真相を聞きに現れて「今後はもうあなたのことを邪魔しない」と話しました。それ故に、私に安定した修煉環境が戻ってきました。少しづつ師父が仰った「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1]の法理を深く信じ、師父が法を正すことをお手伝いする過程において、学法をする信念を保てるようになりました。

 以上は私が修煉した中での少しの体得です、不足なところがあれば同修の慈悲なるご叱正をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「妨害を排除せよ」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/23/330322.html)
 
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