ふたりの娘の話
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文/中国の大法弟子

 【日本明慧2016年7月10日】私は、1997年から法輪大法の修煉を始めた大法弟子で、今年76歳です。以下は、私自身の修煉過程における幾つかの出来事を書いたものです。ここでそれについて、皆さんと交流したいと思います。

 ふたりの娘の話

 修煉者の私は、肉親に対する情に左右されなかったため、修煉をしていない娘たちにも良い影響があり、娘たちにも正念が現れました。

 あれは2001年のことです。長女が実家に戻ってきて、「上司が自分に院長を務めるように勧めてくれ、院長になるには、中国共産党に入党して、お母さんが法輪功の修煉をやめるよう説得することが条件なの」と娘が言いました。「神様があなたを試しています。あなたが官僚になる運命であれば、私が法輪功を修めていても、必ず院長になれるはずです。しかし、もし、その運命でなければ、たとえ私が修煉をやめたとしても、あなたは院長にはなれませんよ」と娘をなだめました。しかし、娘は全く私の話を聞き入れず、怒って「お母さんが気にするなと言うけれど、そんなことはできない」と反発しました。「ならば、親子関係を絶縁すればいい。あなたは私の娘じゃないし、私もあなたの母ではない。そうすれば、あなたは院長になれるし、入党することもできるわ。私は法輪功の修煉をやめるわけにはいかないし、それだけは絶対に譲らないわ」と娘に言い聞かせると、娘は泣きながら立ち去って行きました。

 娘は勤め先に戻り、上司に「入党はしたくありませんので、院長の座を諦めます。今のままでいいです。自分の昇進の為に母と絶縁はできませんし、母が法輪功を修煉しているのを、これまでずっと見てきました。母は間違ったことはしていません。共産党の母への要求は、すべて理不尽なことばかりです。母に法輪功の修煉者を摘発するようにと命じたのですが、何を摘発すればよいのでしょう。周りにはテレビで上演したような殺人、焼身自殺などするような人は誰もいません。母にでっちあげを作れとでも言うのですか。母はそんなことはしません」と伝えました。

 私は信念を貫きはっきりとした態度を取った娘のことを、とても誇りに思いました。こうして見れば、娘は法輪功の真実を知っていたから、堂々としていられたのだと思います。修煉していない常人の娘が、邪悪に直面した時に頭を冷静に保ち、毅然とした態度で、正しい判断を下した行動でした。この道徳が日に日に落ちていく現代社会の中で、良し悪し、善悪を判明でき、名利を放下できた娘を、師父が加護して下さいました。師父のおかげで長女はこの関を乗り越えることが出来ました。

 もうひとりの娘、次女は某産婦人科の医者です。ある日、上司が娘に「病院はあなたを科長に抜擢する提案を出したので、中国共産党へ入党の申請書を書いて出しなさい」と命じました。娘は「もし科長に抜擢されるために入党しなければならないのなら、科長の昇進を諦めます。入党したくありません」ときっぱりとその場で断りました。

 その後、次女は科長に昇進しました。共産党党員でない科長としてです。私は常人のすべてのことは、神様が決めておられると悟りました。ふたりの娘の正念のある行動を、とても嬉しく思いました。

 心が動しなければ、邪悪は自滅する

 2001年、私の地元の共産党幹部が書記1人、と村の保安官1人を連れて、家を訪ねてきました。彼たちは私に「三書」を差し出して、「三書」を書かなければ、私を洗脳班に送り込むと言いました。その話を聞いても、私は動じませんでした。心の中で「心が動じなければ、すべての変動を制することができる」という一念を発しました。

 そこで、彼たち3人に真相を話すことにしました。「私達の師父が、法を伝えて下さり、私たちを見守り、導いて下さいます。法輪大法を修めることは、ただ口先に留まらず、私たちの一言一行、一挙一動は、すべて良い人間になるために行わなければなりません。例えば、もし偽札が手元に回ってきたら、処分します。八百屋のおばさんが、破らないでまた買い物のときに使えばいいのにと言いました。ここまで人心が変異し、社会の風紀が乱れ、道徳が滑落しています」と話しました。私の話に3人は賛同し、感動した様子でした。

 また、彼たちは法輪功学習者が至る所で真相資料を配っていることに言及し、「学習者は、真相を話せる場がないため、この形で衆生に法輪功は、正真正銘の正法であり、佛道を修めるための良い功法で、人や社会にとって百利があっても一害なしの功法です。もし政府が法輪功の真相を明かす場を設けてくれたなら、私たちも資料を配らなくて済むのです。資料作りにかかる費用は、すべて自分たちの僅かな年金や給料から出したものです。しかし、人々に真相を伝えなければなりませんので、衆生を救うために真相資料を配っているのです」と説明しました。

 最後にその幹部は「おばさん、私は党の幹部なのにおばさんに及びません。これから、おばさんはやるべきことを自由にやってください」と一言を残し去って行きました。

 彼たち3人は「三書」の事には、もう触れませんでした。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/28/329620.html)
 
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