明慧法会|警官は不当に連行した後「あなたには感心させられた、あなたの言うことを聞きます」と言った
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文/遼寧省の大法弟子 忠霞

 【明慧日本2016年7月16日】2015年8月6日午後5時45分、町の警察署指導員と副署長の長楊xxが2人の警官を連れて私の家に闖入し、「江沢民告訴の件を調べなければならない」と言いました。警官2人は身分証明証を出して見せ、指導員が私に「まだ煉功するのか?」と問い正しました。そこで私は「煉功します」と言いました。今度は指導員が夫に「おまえは煉功するのか?」と聞き、夫も「煉功します」と答えました。すると警官たちは有無を言わさず、部屋中をひっくり返してしまいました。

 その時、私は警官たちに厳正に「江沢民告訴の事を調査するのに、なぜ家探しをするのですか? あなたたちは無断で捜査していますが、家探しは違法です。江沢民はもうすぐおしまいになるのに、あなたたちがまだ江沢民に従って悪事を働くのなら、私はあなたたちを告訴しますよ」と警告しました。警官たちは「上層部が捜査するよう言っているので、私たちは任務を執行しているだけだ」と言いました。そこで私は「誰がやれといったかに関わらず、これは間違った命令です。間違った命令を執行するあなたたちは、自分で責任を負わなければなりません」と言いました。しかし警官たちは私の話を聞こうともせず、引き続き物をひっくり返しながら写真を撮り、さらに物を奪って行きました。師父の写真1枚、大法輪の図1枚、『轉法輪』5冊、経文50冊、『明慧週刊』900冊、プリンター1台、パラボラアンテナ受信機5台、チューナー2台、煉功音楽用スピーカー2台、DVDプレーヤー1台、さらに家の中にあった法輪功の年画(訳注:正月に玄関口に飾るもの)、壁掛けの月別カレンダー、卓上カレンダーなどを車に積み込んで警察署へ運びました。さらに警官たちは私を警察へ不当に連行し、警察に着いた時間は6時半ごろでした。

 警察に着くと、指導員の楊が「どうして捕まったかわかりますか?」と私に聞きました。私は「わかりません」と言いました。すると指導員は「あなたたち法輪功の誰かがあなたのことを通報したんですよ」と言いました。そこで私は「それはちょっとおかしいです。大隊の書記は私にぬれぎぬを着せようとしています」と言いました。すると指導員は私を見て事の真相を暴露し、「どうやってそれを知ったんだ?」と言いました。そこで「私は大法弟子なのに、これぐらいのことがわからないとでも言うのですか?」と言いました。「自分は大法弟子で、あなたたちの言うことには従わない。主導権を握っているのは私の師父であり、中国共産党の迫害には決して協力しない」という一念を抱きました。警官たちは「訴状は誰が書いたんだ?」と聞いてきました。私は「訴状は自分で書きましたが、江沢民はこんなにも多くの悪事を働いたのに、それでも江沢民を告訴すべきではないというのですか? 江沢民はもうすぐ終わりになるのに、それでもあなたたちは江沢民のために死に物狂いで働くなんて、ばかじゃないですか?」と言いました。そして、私は正念を発しながら真相を伝えました。さらに私は警官たちに「あなたたちは大法弟子を迫害して、このようなことを続けて、あとは鼠の穴さえ掘り返しかねませんが、これは重大な違法行為です。私が二十数年修煉して集めた法輪大法の修煉に関する物品は、どう考えても違法ではありません。それなのにあなたたちはそれらを奪って行きました。それこそ違法です。今の為政者は公平な法の番人を求めているのに、どうしてあなたたちはこのようなことをするのですか?」と伝えました。最初、警官たちはいくらか反論しましたが、その後は静かになってしまいました。そして夜の8時過ぎ、警官たちは私を家に送り返しました。

 昨年の8月7日午前10時すぎ、警官たちはまた私を警察へ不当に連行し、「国保大隊から人が来て、国保大隊がこの件を引き継ぐ」と言いました。国保大隊の隊長は背の高い王xxという人物でした。私は王を無視していました。王は私の家から探し出してきた物品を見て「少なくとも2年の懲役刑だな」と言いました。警察の指導員は私に「この物品はどこから来たのか?」と尋問しました。私は「これらの物品は合法的な個人の財産です。ですから私はこれらの物品を自由に収蔵し、配り、貼り、プリントし、郵送します。あなたたちが行っているのは不当なことです。なぜなら捜査令状もないのに家宅侵入し、大法弟子の家を無断で捜査し、江沢民のために必死で働き、何の許可もなく大法弟子を不当に連行しました。あなたたちは家宅侵入罪、不当連行罪、徇私枉法罪(訳注:情実にとらわれて法を曲げた罪)、国民の信仰をはく奪した罪、国民の人身の自由をはく奪した罪などにあたります。5月1日(訳注:2015年5月1日)に政府は『案件があれば必ず立案しなければならず、告訴があれ必ず受理しなければならない』という法規を発布しました。憲法第41条では、『いかなる国家機関又は国家公務員に対しても、国民は批判及び提案を行う権利を有し、いかなる国家機関又は国家公務員の違法行為及び職務怠慢に対しても、関係の国家機関に不服申し立て、告訴又は告発をする権利を有し、何人も抑圧や報復を受けてはならない』となっています。それなのに、私が江沢民を告訴したら、あなたたちが不当に連行しにやって来たわけですから、あなたたちが犯罪を犯しているのです。法律はあなたを許さないし、天もあなたを許しません。あなたたちの誰も私を動かすことはできないのですから、私を解放し家に帰さなければなりません」と言いました。

 指導員は私の話を聞き終わると静かになってしまい、行ってしまいました。続いてまた1人がやって来ましたが、さきほどの話をその人に話して聞かせると、その人も静かになってしまい、やはり行ってしまいました。次に6人が入って来て、私の話を聞き終わると行ってしまいました。最後に署長がやって来たので、署長にも話して聞かせました。このような現象が起きたことで、私は恐れを感じなくなりました。

 正午になると、警官たちは食事をし始め、私を別の部屋に入れました。娘が私に会いに来た時に、私を見張っていた人が「お母さんのために昼ご飯を買って来てあげなさい」と言いました。長女がマントーを買って来て、こっそり私に「彼らは懲役刑の判決を言い渡そうとしているので、おばが人に頼んで警察署長に会ってもらい、署長に今回の件を融通してもらおうと思いました。すると、その人たちは『2万元渡すように』と言ってきました」と告げました。そこで私は「そんなことをすることありませんよ。その人に頼まないでね。私の事は師父が見守ってくださっているから大丈夫です。私に罪はないから恐れないで、彼らは私を動かせないし、私もこのすべてを認めません。あなたたちは私のことに構わないで、1銭もその人たちにあげたらいけませんよ」と言いました。娘が帰った後で、私はマントーを二つ食べ、発正念をして、師父に加持をお願いしました。

 午後になり、私は警官たちに修煉の体験を伝え、どのようによい人になり、どのようによいことをするのかを伝えました。すると、警官たちは静かになってしまいました。3時20分ごろになり、警官たちは拘引状(訳注:身柄を強制的に裁判所へ連れて行くための令状)に署名させ、私を公安局へ送ろうとしました。私はきっぱりと拒み、署名には取り合いませんでした。後で知ったのですが、家族は私が懲役刑の判決を言い渡されるのではないかと恐れ、私の意志に背いて、彼らと値引き交渉をした後、1万元を贈ってしまったのでした。その時、彼らは1万元を受け取り、15日間の拘留後に釈放し懲役刑に処さないと請け負ったのでした。これは、その日の午後起こった事で、私はまったく知りませんでした。警官たちが私を公安局へ送っていた時、途中で公安局から私を連行中の署長に電話がかかって来て「連行しなくていい、送り返せ」という意味のことを話しました。すると署長が「困ったなぁ」と言っていたのが聞こえました。その後すぐに、署長は警察へ電話をかけ、家族が払った1万元をすぐに返金させました。このようにして、警察へ贈った1万元は1時間も経たないうちに私の家に返送されてきたのでした。

 署長は「連行させるな」という電話を受けた後、悔しそうに「公安局へ行って少し成り行きを見てから決めよう」とぶつぶつと言っていました。そして当初の予定通り私を公安局まで不当に連行し、その場で私を車から降ろさず、部下を連れて自ら公安局へ入って行きました。車の中で私を見張っていた若い警官に真相を伝え、因果応報の道理を伝えると、若い警官は信用し、最後にうなずいてから三退に同意しました。1時間近く経ってから、署長はやっと公安局から出て来て、自ら階段を踏み外した時のように、きまり悪そうに「本当にめんどうだ。局長は公安局にもいないし家にも帰っていないので、サインがもらえない、帰ろう」と言って車に乗ると、私に「あなたには感心させられた」と言いました。

 道中、私は署長たちに「法輪功を迫害したら、あなたたちは日夜気が休まるときがなくなるでしょう。法輪功は真の佛法です。法輪功を迫害した周永康、徐才厚、郭伯雄、李東生などの敗れ去った役人たちは、実際にはみな、法輪功を迫害したために罰が当たったのです。江沢民に従って法輪功を迫害した人はみな、よい結末を迎えられないのです。ですからあなたたちはもう二度とわけがわからないままに一緒になって法輪功を迫害してはいけません」と伝えました。

 署長は「知らなかった、知っていたらこんなことはやらなかった」と言いました。警官たちも繰り返し私に謝り「今は悔やんでいます。こんなやっかいなことになると、わからなかったのです。すみませんでした!」と言いました。そこで私は「私こそ、あなたたちに謝らなければなりません、あなたたちに真相を伝えるのが遅すぎました」と言いました。

 私は「今年の7月1日(訳注:2015年7月1日)、あなたたちは誰に向かって宣誓したか知らないのですか? 憲法に向かって宣誓したのですよ。誓いの言葉に書かれていたのは『祖国に忠誠し、人民に忠実に』です。あなたたちは過去に党に対して忠誠を誓ったのですが、党への忠誠はこの誓いの言葉によって捨てられたのです。このことは何を意味していると思いますか? 大法弟子は人を救っていますが、誰を救っていると思いますか? あなたたちのように真相を知らない党員や共青団員、少年先鋒隊員を救っているのですよ。あなたたちに真相を伝えているのは、あなたたちが共産党の副葬品として葬られるのを防ぐためです。貴州省平塘県掌塘郷桃坡村の浪馬寨という観光スポットの『蔵字石』に浮かび上がった『中国共产党亡(中国共産党死亡)』の6文字は、13年の間インターネット上に掲載されています。自分でインターネットにアクセスして調べたことがありますか? あなたたちは名、利、地位と金銭を大事にしているので、大法弟子が伝えた真相は振り向くに値しない事なのかもしれませんが、近い将来、大法弟子が伝えた真相は現実のものになるでしょう」と言いました。

 警官たちは「それでは今が立ち上がるべき時ですか?」と言いました。そこで私は「そうです、実際、今が立ち上がるべき時です。江沢民側に立つことは天に逆らうことで、滅亡を選択するということです。それに対して、大法を迫害せず、大法を護ることは天意に沿っており、天意に沿ってこそはじめて無事で幸せになれるのです」と言いました。

 雷を伴うにわか雨が降りだし、狂風が吹き雷がとどろいたので、私は「これは中国共産党が解体されたのですよ」と言いました。すると署長と指導員は笑いながら「降伏しよう!」と言いました。交差点に差し掛かった時、署長が「どの道を進めばいいだろうか?」と言いました。すると指導員が笑いながら「大師に尋ねましょうか?」と言いました。そこで私は「そういうことを言わないでください。私たちの師父だけが大師の名に恥じないのであり、今ここでは、私だけが師父の弟子なのです。ですから、アスファルトの道を進むよう、私はあなたたちに提案します」と言いました。橋の中央部に差し掛かると、山の方には雨が降っていませんでした。すると署長は「山の方にはきっと大法弟子がいないに違いない」と言いました。

 道中、話したり笑ったりしているうちにすぐに家に着きました。署長は「江沢民告訴に関する調査について、わたしたちはどうすればいいでしょうか? わたしたちはあなたの言うとおりにします」と言いました。そこで私は「もし私の時と同じように他の大法弟子に対処したならば、あなたたちは犯罪を犯すことになります。調査するというのであれば、電話で問い合わせるだけではダメなのですか? この数年の迫害で、大法弟子たちは程度こそ異なるものの驚き騒いでいますので、二度と彼らを驚かせてはいけません」と言いました。すると署長と指導員は賛同しました。

 家に着くと、署長と指導員は補足するように「まずは家にお帰りください。今日のこの件については、火曜日までに上層部にあなたを探さないように報告し、私たちも二度とあなたを探しません」と言いました。そこで私は「彼らは私を探さないんですね」と言いました。すると署長は「彼らはあなたを探さないし、私たちもあなたを探しません」と言いました。そしてさらに何度も私に「私たちを懲罰しないように、どうかあなたたちの師父にお願いしてください。どうか私たちのためにお願いしてください」と言いました。そこで私は「誰もあなたたちを懲罰しません。天理が善悪を判断しているからです。『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』を覚えてください、そうすれば福報があるはずですから」と言いました。

 師父、ありがとうございます。同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/6/318196.html )
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/12/153629.html)
 
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