袁征さんは2002年に迫害死(写真)
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 【明慧日本2016年7月28日】法輪功学習者の袁征さんは2001年~2002年、珠海市第二留置場に拘禁されていた。留置場で袁さんは自分の名前を警官に教えなかったため「無名」と言う名前で呼ばれていた。2002年6月、留置場で「無名」が「おそらく出られない場所に移された」という噂が流れた。あれから、誰も袁さんの姿を見ていない。

  そして、袁さんの家族は袁さんを探すため、いろいろなところやいろいろな人を訪ねていたが、2007年にようやく「2002年6月17日に袁さんが死亡した」と知った。当時、38の袁さん(無名)は珠海市第二留置場による残酷な拷問を受けて死亡したという。2007年12月29日、家族は袁さんの死亡証明書を受け取った。

袁征
生前の袁さん

 袁さんは、数年モスクワに留学をしてから、貿易の仕事を始めた。1999年の初め、袁さんは帰国したとき法輪功に出会い学び始めた。 袁さんは素敵な顔だちで、上品であまり口数が多くないが、人に純潔で清純な人だという印象を与えていた。

 2001年9月10日、袁さんは街にある店(当時、ほとんどの家にパソコンとコピー機がない)で法輪功の資料480部をコピーしたが、中国共産党が法輪功に対する誹謗中傷の宣伝を信じた人に通報された。そのため警官は袁さんを連行し、珠海市第二留置場に送り込んだ。

 袁さんは留置場で囚人服を着ず、名前も言わなかった。同じ留置場に拘禁されている人は、袁さんを「北方弁をしゃべる人」、「無名」と呼んでいた。

 留置場で袁さんは警官に従わなかったため、警官の指示を受けた受刑者に「花枝条」(外がプラスチックで中は鉄線)というもので猛打された。そして、袁さんは断食して抗議を行ったが、野蛮に灌食をされ、背中に床擦れがたくさんできた。

酷刑演示:坐飞机,将法轮功学员整个身体抬起来,平着身子,将头撞向墙
拷問の再現:飛行機のような姿勢で頭を壁にぶつけられる

 「転向」しなかった袁さんは警官に臨時の独房に入れられ「飛行機のような姿勢に強いられ、壁にぶつかられる」、「死人ベッド」などの拷問を加えられた。

酷刑演示:死人床
拷問の再現:死人ベッド

 ある日留置場で、袁さんと知り合いの法輪功学習者が、息も絶えだえの袁さんの顔を見たが、近づくことはできなかった。

 珠海市香洲区検察院は、袁さんが深度昏睡状態で亡くなる4日前の2002年6月13日に、法輪功の資料をコピーしたとの理由で袁さんを起訴した。

 2002年6月15日、袁さんは香洲区人民病院に搬送された。情報筋によると、搬送された袁さんはすでに重度の昏睡状態で全身の臓器が衰弱し、血便で、四肢と顔に深い浮腫があり、そのうえ、全身にあざと傷跡がたくさんがあり、床擦れでただれていた。

 袁さんは留置場で9カ月間拘禁され、死亡した。警官は袁さんの死因に「重度の栄養不良」と書いていた。

 袁さんが連行された後、行方不明だと思った家族は袁さんを探し続けた。袁さんが迫害されて死亡後に、当局は袁さんの遺体が、袁さんの指紋と写真や身体の特徴まで合っていても、袁さんだということを認めなかった。

 ある偶然の機会で家族がDNA鑑定をして、袁さんと一致したため、死亡したのは袁さんだということが認められた。

 2007年末、家族はようやく、袁さんの死亡証明書を受け取った。しかし、当局が袁さんを「有罪」と認定したため、いまだに家族に袁さんの遺骨を引き渡していない。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/7/21/331628.html)
 
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