ミャオ族の女性が法輪大法を修煉する物語
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 【明慧日本2016年8月10日】私は貴州ミャオ族の山村に住んでいました。学校に行ったこともなければ、読み書きも習っていません。その上、北京語も分かりません。私のような「目」も「耳」も不自由といっても良いような人が、心身とも健康になり、人を救い済度する大法弟子になりました。私は今とても幸せです。

不思議な導き

 1993年、私は生活のため、出稼ぎに出かけました。故郷を離れ、ある町に来ました。宿舎の近くで一台のミシンを使って、人のために縫ったり繕ったりして生計を立てていました。時間が経つと、簡単な地方の言葉も覚えました。

 1998年9月、友人の家に行った時、思いもよらず、大法師父の法像を見ました。私はとても惹きつけられました。見れば見るほど師父が神佛に見えました。そして、思わず口からそのことを言ってしまいました。友人の隣の人が「あなたはとても縁のある人だよ」と言いました。彼らが法輪功を紹介してくれた話を聞いて、私はとても興奮して、法輪功を学びたいと思いました。

 貸してもらった本を家に持ち帰りました。それから同修に教えてもらいながら功法を学び、その後、毎日煉功をし続けました。しかし、ある日、突然体中に何かが動き回っていると感じました。煉功していても、していなくても感じ、骨でさえピクピクして、かゆくて、お腹に固いものがあるようにも感じました。私は心配になって、すぐに病院に行って検査をしました。医者が調べても特に問題もなく、レントゲン写真を撮っても「何も映っていない」と言われいました。仕方なく宿舎に戻りました。しかし、体がピクピクしてとても気分が悪くなりました。最後に、途方に暮れた私は、故郷の両親に頼んで漢方薬を探し、それを飲んで治療しました。

 漢方薬をたくさん飲みましたが、少しも良くなりませんでした。この時、私はやっと師父の事を思い出しました。師父に「体がピクピクしないで、ぐっすり眠れますように」とお願いしました。意外にも、この願いは効き目があって、体は本当に動かなくなりました。その時、やっと「師父の神業は本当に凄い」と思いました。

 煉功する前、私は心臓病、骨炎、胃腸炎などの病気があり、ずっと薬を飲んでいました。誰かから「師父は修煉者の体を浄化してくださるのよ」と聞いたことがありましたので、それを思い出して「なるほど、体がピクピクするのは、体を浄化してくださっていたのだ」と分かりました。私は急いで家に戻り、今までの薬を全部処分しました。その後、他の病気も消えてなくなりました。

字を覚え、法を学ぶ

 本に載っている師父のお写真を見て、私は涙を流しました。とても本を読みたかったのですが、しかし、一文字も読めず、何が書かれているのかもまったく分かりませんでした。他の人が読むのを聞いても分からないし、師父の説法をお聞きしても分かりませんでした。大法を前にして、私はどうにもならず、焦る気持ちばかりが募って、涙を流しました。

 ある日、私は『轉法輪』を手にしたとき、目の前に一列一列の文字が現れ、すべてきらきらと光っていました。夢の中でもそうでした。師父は私に「読み書きを習いなさい」と啓示してくださったのです。そこで、私は「漢字を勉強しよう」と決意しました。息子が先生になりました。私は一文字一文字教えてもらいました。息子が面等臭くなったら、今度は夫に聞き、夫が面等臭くなったら、学校の校門で、登校、下校の学生たちに聞きました。私はとても真剣に学びました。同修の家を尋ね、教えてもらい、同修が嫌になれば、今度はまた息子の所に戻ってきました。息子は「ピンインを教えるから、ピンインを覚えて、自分で辞書を調べなさい。こうするしかない」と言いました。

 ピンインを学ぶのも漢字と同じぐらい大変でした。読み書きを習いながら、私はこっそりとたくさんの涙を流しました。他人に迷惑ばかりかけて、悪いと思い、気がとがめていました。しかし「大法の本を絶対に手放したくない、必ず読めるようにしたい」と思いました。そこで、私はすべての心を放下して、漢字の勉強に集中しました。

 2008年になって、私はついにすべての大法の書籍が通読できるようになりました。

修煉を理解する

 本を読めるようになりました。しかし、それはあくまでも文字を読めるだけで、本の内包を深く理解できていませんでした。2013年になって、私はやっと「修煉とは何か、自分をどう修めるべきか」が分かるようになったのです。

 夫はもともと私の修煉を支持していました。しかし、迫害が始まってから、彼は修煉に反対し、大法の書籍を破り、私に暴力を振るいました。私はできるだけ耐えて、彼に説得を試みました。しかし、全く効果がありませんでした。彼も「大法は素晴らしい」と思っていましたが、しかし「国」がだめだと言えば、止めなければならないと考えていたようでした。私は「『国』とは何なの? 何もかも『』国のものなの? 病気になったら『国』は何かしてくれるの? お日さままで『国』のものなの」と反論しました。彼をなかなか説得できなかったため、私は、隠れて煉功するしかありませんでした。結局、彼に見つかりました。最後になって、私は正々堂々と煉功するようにしました。何度も何度も、暴力を振るわれ、また「離婚する」と脅かされました。私はできるだけ離婚を避けようとして、子供の事、家の事に多く気を配り、自分のやるべきことをしっかりやりました。

 2010年、彼は再度「法輪功を取るか、それとも家を取るか」と迫ってきました。私は「両方ともほしい」と言いましたが、彼はすでに腹をくくり、外で道楽三昧な生活をして、私は離婚に追い込まれました。

 離婚後、1人生活が始まりました。自分で部屋を借り、場所を借り、ミシンで洋服を縫って生計を立てました。時には人のいじめを受け、心の中はとても辛かったのです。真相を伝えると、男の人からストーカーされ、甚だしきに至っては家の鍵をこじ開けられ、とても恐怖を感じ怯えていました。その後、男の人に真相を伝えるのをやめ、女性だけに話し、最後に誰にも話さなくなりました。

 ばらばらになった家庭を何とか取り戻そうと思って、狡い方法を使って、前夫に嘘の妥協をしました。しかし彼を変えることはできませんでした。その時、やっと、師父にお願いするしかないとの思いに至りました。また、自分は修煉者で、苦しみに耐え、安逸を求めてはいけないとも思い至りました。その後、同修達の激励の下、私は再び気を取り直しました。

 今まで歩んできた道を振り返って、内に向けて探し、多くの大法に相応しくない人心を見つけました。例えば、闘争心、顕示心、思いやりのない心、慈悲でない心、色欲心等がありました。特に離婚した後、いつもいい人に出会えば、新しい家庭を作りたいとの気持ちが強く、他の家族が楽しく生活している様子を見ると、自分の不安な心が激しく動き、様々な人心が浮き上がってきました。

 表面上では、人生の伴侶がほしく、商売や生活を手伝ってほしいと思っていましたが、実は色欲心が働いていたのです。その結果、自分が悔いるような行動を取り、自分を窮地に追い込んでいたのです。これらの問題に気づいた時、私はこれらの問題を取り除こうと決心しました。こうして、自分の言行を正すことによって、ようやく苦境から解き放たれました。その時、私は、修煉とはなにかがやっと分かりました。今までの修煉はすべて受動的なものでした。自ら進んで内に向けて探すことをしていませんでした。今は、ようやく進んで自分を修めるようになりました。

真相を伝え、衆生を救う

 今の私は、自らを修めるだけではなく、大法弟子がやるべきことをし、衆生を救い、自分の使命を果たしています。初めのころは、上手に話すことができず、知り合いにしか法輪功が不法に迫害を受けている真相を伝える事をしませんでした。面と向かって真相が伝えられない私は、主に同修について、資料を配りに行っていたのです。いろんなところに行きました。住宅地に入って、人の家の扉に資料を掛けたりもしました。何度も警備の人に見つかり叱責もされました。いずれも、恐れる心を放下したとき、師父のご加護の下で危機から逃れました。

 ある日、実家に戻って父親を見に行った時、ついでに、同郷の人に真相を話し、三退をさせ、お守りを送りました。村長にもそうしましたが、村長に密告されました。派出所から2台のパトカーがやって来て、車から数人の警官が降りて来ました。警官が私を囲み、手錠をかけました。警官は私を車に入れ、尋問を始めました。私は「真相を伝えるのは人を救い済度することで、お守りを配るのは人に平安を守ってほしいと思っているからです。私は間違っていません」と言いました。また、警官にも「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と覚えてほしいと言いました。彼らは私を拘置所に送りました。拘置所の中でも、私は真相を伝え、三退を勧め「テレビで言っているのは全部嘘です。絶対に信用しないでください」と皆に言いました。警官は私の写真を撮ろうとしましたが、私は拒否し、そして「撮っても写りませんよ」と言いました。結局、3日目、4日目、5日目に撮った写真、そして、今まで撮った写真は全部映像が消えていました。10日後、私は家に戻りました。家族は皆怖くなって「法輪功をやめなさい」と言いました。私は「今までの私の健康状態は皆知っているでしょう。昔はどうだったのか、今はどうなっているのか、人は良心を持たなければなりません。自分が健康になったから、人にも健康になってほしい。皆に健康になってほしいと願うのはどこが悪いのですか」と言いました。

 2012年、警官に尾行されていた同修が私の家に来た時、警官も乗り込んできました。家財を差し押さえられた後、私もいっしょに国保大隊まで連行されました。私たちは警官に法輪功の素晴らしさを話し、自らの体験を話しました。1人の警官は「本当にそんなに効き目があるの」と聞きました。そしたら隣の警官から「本音を言うな」と注意されていました。拘置所に入れられた後、私は中の人に功法を教え、彼女達に「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」と念じるように教えました。彼女たちは大声で「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。警官は、「頼むから、叫ぶな。減点されるから」と言いました。警官は私たちに監獄規則を暗唱させましたが、私は大声で師父の「論語」を暗唱し、彼女達の声よりも大きく暗唱しました。発正念の時、私はカラフルな渦巻きを見て、師父のご加護を感じました。また、夢の中で、扉が一つまた一つ開かれ、私が逃げだせたのを見ました。すると、翌日、私はほんとに家に帰ることになりました。

 それから「見知らぬ人にも真相を伝えられるように」と決心しました。ある日、私は仏教徒に出会いました。彼女たちに真相を話し、三退を勧めました。彼女たちは「私たちは仏様を信じている」と言うので、私は「佛様を信じているなら、もっと真剣に考えなければならないでしょう。考えて見てください。佛様はずいぶん昔から存在しておられますが、共産党はその後にやって来たのに、佛様への信仰を禁じました。共産党を信じるなら、どうやって佛様を信じるのですか。一つの事に専心しなければ、佛様のご加護が得られないではありませんか」と言いました。このようにして彼女たちは三退に賛成しました。

 神の道を歩み、師父に見守られ、1人また1人と縁のある人が三退し、救われました。或いは、それがきっかけで修煉を始めるのを見て、心からこの上なく幸せを感じています。修煉は本当に素晴らしいです。師尊の慈悲なるご済度に感謝いたします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/8/3/332358.html)
 
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