文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年8月27日】私は数年前に法輪功が迫害されている資料を配っている時に連行され、その後不当な判決を下されました。刑務所の中で内に向けて自分を探したところ、事の結果と威徳に執着する心を見つけました。あまりにも真相を伝える人数を気にしすぎたので、人の手柄を横取りしたり、他人の仕事を奪ったり、法を勉強しても心に入らなかったりしてこのような状態が長い間ずっと続いていました。様々な面において心性に漏れがあったので、邪悪な要素に隙を突かれて連行されたのでした。
数年がすぎて、漸く精進できるようになって、法も心に入るようになり、そして、身の危険を恐れずに真相を伝えられるようになりました。
学法を重視し、他人の手柄を横取りしないよう自分の仕事だけを真面目にやり、以前の過ちを二度と犯さないことを常に自分自身に言い聞かせています。
常人の仕事をしている時も真相伝えに励みました。しかしながら、夜帰宅した時、頭が何かに覆われているようで法を学んでも集中できません。内に向けて探したところ、真相を伝える時、人数は少なくないものの、いつものようにエネルギー場が強くない感じがしました。
エネルギー場が弱い原因として朝の学法時間が少ない事です。そして、法を勉強し終えた後に同修でもある母との交流は無我無私であるべきであり、修煉も利己的な目的を抱いてはいけません。それから、真相を伝える時は結果を重視せずに心を静めて師父の按排通りに行うべきです。
母にこれらの事を言われ、自分自身の言動と照らし合わせたところ、頭を覆っていた嫌な物質はあっという間に消え去りました。
毎日真相を伝える時や学法、煉功、そして発正念をしている時、形式においてしっかりできるのは一種の精進の表れではありますが、常に法と照らし合わせながら深く根付いている執着心を取り除いていくことこそ、真に次元を高められると悟りました。
師父は「三教の修煉、無為を講ず、心を用いて當らざれば即ち有為、専ら善事を行うもやはり是の為にす、執着心を去れば真の無為」[1]と説かれました。
真相を伝えることに変わりはありませんが、ただ、どこまで心を尽くしたかによって効果も異なってくることに気づきました。そして、これもしっかりしている同修とそうでない同修に現れる差の一つといえるでしょう。
自分自身の心性を正したことで恐怖心も少しずつ取り除かれていきました。大法弟子は正々堂々と真相を伝えて衆生を救っているのであり、中国にいる同修たちも生死を恐れずに様々な難関を乗り越えて衆生を救っています。大法弟子1人1人の心が純粋であれば、邪悪な要素も我々の進む道を妨害することはできないでしょう。
邪悪が我々を妨害しているのは、大法弟子の心が清らかでないからで、これを理由に我々の精進と修煉を邪魔しようとトラブルを増やしているのです。絶えず自らの心を清め、特に長い歴史の中で築き上げられ血の中を流れている利己的なものを修めていくことで、我々の発する正念がさらに強力になり、神聖さを帯びるようになるのです。大法弟子1人1人がこれを突破できれば、真相を伝える環境も大きく変われるのではないでしょうか。
注:
[1]李洪志師父の詩:『洪吟』「無為」