マイナス的な考えを取り除く
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2013年12月6日】先日、明慧ネットでマイナス的な考えをめぐる交流文章を読んで感慨深いものがありました。マイナス的な考えに対する自分の理解と、それを取り除く中で心性がいかに向上したかについて、みなさんと分かち合いたいと思います。

 マイナス的な考えとは何でしょうか? 修煉者にとってそれを定義付けるのは簡単なことです。つまり、大法の基準に合わない正しくない考えのことです。

 一、マイナス的な考えの現れ

 1学法する時のマイナス的な考え

 学法する時に、脳裏に誰それがよく外に向けて探すとか、誰それが口を修めないとか、誰それが自己に固執して、利益を重視しすぎるとか、誰それが私を傷つけたとか、大法の法理に合わないマイナスの念が浮かびます。私自身にもそのような欠点があります。

 2発正念をする時のマイナス的な考え

 発正念をする時にマイナス的な考えが現れることもあります。原因は、旧勢力に隙に乗じられて妨害される要素もありますが、ふだん除去していない執着心が発正念の時に湧いてくることが主な原因です。例えば、失業している際には時々コンプレックスを持ちます。そうすると、発正念をする時に同修に仕事のことを聞かれたくないという一念が頭に混入します。息子に対する情をまだ除去していなければ、発正念をする時に、息子は今ちゃんと布団をかけているかと心配します。同修とトラブルがあれば、発正念をする時にそのトラブルが頭に浮かびます。恐れる心があれば、発正念をする時になんとパトカーのサイレンも聞こえそうです。恨む心をまだ除去していないならば、発正念をする時に相手の憎らしい顔が脳裏に現れます。食べ物に対する執着を除去していないならば、発正念をする時に好きな食物や果物が脳裏に現れます。

 3真相を伝える時のマイナス的な考え

 真相を伝える時にもマイナス的な考えが存在しています。恐れる心があれば、真相を伝えながら、「ここは危なくないだろうか、逮捕される危険性はないだろうか」と思うなら、早くその考えを否定しないと本当に危険を招くかもしれません。相手が真相を拒む人だったら、「この人は本当に頑固だ。救えない」と思ってしまいます。きょう「三退」をさせた人数が多ければ、歓喜心が涌いて自惚れます。そのため、真相を伝える時、マイナス的な考えが現れると、すぐ否定しなければなりません。そうしなければとても危険です。

 二、マイナス的な考えの危害

 1、学法における危害

 学法する時に心を静かにすることができなければ、時間を無駄にし、師父と大法に対する不敬になります。大法の奥義が分からなければ、「三つのこと」の他の二つにも影響します。

 2、発正念における危害

 発正念をする時に、心が静かでなければ正念を出せるわけがなく、出した「念」は大法の威力を帯びません。集団で発正念をする時に、自分のマイナス的な考えは全体への妨害になるので、邪悪が迫害を加える理由になります。

 3、真相を伝えることにおける危害

 真相を伝える時にマイナス的な考えが現れたとき、否定せずにそれに沿って考えていくのは、とても危険です。邪悪を解体することができなくなって、聞く相手を救うどころか、相手を駄目にするかもしれません。邪悪が迫害を加える理由にもなりがちで、全体の正の力を弱めることにもなります。

 三、マイナス的な考えの根源

 マイナス的な考えの根源は、旧宇宙の「私心」が原因です。一部のマイナス的な考えは共産党文化に由来して、邪悪が大法弟子に試練を与えると考え、目的は衆生を壊滅しようとします。また、一部のマイナス的な考えはいろいろな空間から来ています。師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』の中で、「人心があると、各種の人間の考え方、各種の考えの根源は全部、あなたを妨害します。あなたの考えがある種類の生命の状態と一致すると、その種類の生命はすぐさま作用を働きます」、「通常の場合、観念と好みを強めてしまう考えの根源はどの空間にもあり、人間の道徳の次元とも関係しています。思想境地の高い人もいれば、思想境地が非常に低い人もいるため、道徳の次元が異なれば、物事の進め方や考え方のレベルも異なります」と説かれました。

 四、マイナス的な考えをいかに除去するか

 1、多く学法し、真面目に学法する

 頭の中に大法がたくさん入れば、邪悪は乗じる隙がなくなり、マイナス的な考えは当然修煉者を妨害できなくなります。何かの念が動く時、師父の説法がすぐに脳に映しだされる状態は修煉者にとってベストの状態で、それは大法の中に本当に溶け込んだからです。

 2、自分の空間場にある党文化を除去し、無私無我の要素を増強させるように発正念して、空間場を清浄にする

 数回そのようにして発正念を続けたとき、明らかに党文化の毒素と「私心」の要素が消えたと感じました。時々また頭に浮かびますが、気付いたらすぐにそれを否定して、また浮かんだらまた否定して、自分の空間場にマイナス的な考えに生存の余地を与えないことです。

 3、常に内に向けて探し、執着を見つけて除去する

 数日前、同修Aさんと夫(夫も学習者)が数千万元(約数億円)の投資のために離婚の危機にさらされていると、ある同修から聞きました。数年前、私はAさんに傷つけられたことがあります。Aさんはそれほど人を傷付けたと自覚しませんでしたが、私はずっと忘れられず、たまに思い出します。その「傷ついた」気持ちを除去するように努力しましたが、まだ完全に除去できていません。

 今、Aさんのことが耳に入ったのは、偶然ではないと思います。私たちはみな師父の弟子で、師父は『各地での説法二・二〇〇二年ワシントンDC法会での説法』の中で、「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」と説かれました。過去にAさんとの間に不愉快なことがあっても、邪悪がAさんの家庭を壊すことを私は決して許しません。私は、「Aさんの家庭を妨害し、Aさんとご主人の間に隔たりを作る邪悪、および現地の修煉環境に隔たりを作る邪悪を消去し、全員の空間場を浄化し、全員が一丸となるように」と発正念をしました。終わった後、長年来、Aさんを恨む心、嫉妬心、嫌う心がなくなったと感じました。「修は己にありて、功は師にあり」の通り、他人のための発正念は、かえって自分の胸に潜めた長年の怨恨を消しました。

 翌日の昼間に、Aさんは私にご主人とのトラブルを話しました。昼間にゆっくり話す時間がないため、夜、Aさんのことを心配していたBさんの家に、みんなが集まって交流を行いました。自分にマイナス的な考えと言行はないかと皆が内に向けて探し、最後にすべてを決められるのは偉大な師父であり、旧勢力ではないと考え、みな落ち着きました。

 3日目、「夫は投資から手を引くことに賛成して夫婦は仲直りした」と、Aさんから連絡がありました。師父の巧みな按排に感謝します。小さな騒ぎを通して、3人の恩讐(Aさん夫婦の間、私とAさんの間)を解消しました。

 4、自分の考えが大法の基準に達するまで、私心が現れるとすぐ否定して解体させる

 例えば、同修が連行されたと聞いた後、第一念は内に向けて自分の不足を探すべきです。警官に大法弟子を迫害させるように指図する(他の空間にいる)邪悪を発正念で消滅し、連行された同修の正念を応援して、彼に加えられる迫害を少しも認めず、全面的に否定します。自分の頭にもし「彼はきっとどこかが歪んでいるから、とうとう迫害に遭った」というような不正な一念が現れたら、直ちにそれを除去して、積極的に救援活動を展開します。「彼も私も師父の弟子であり、私たちの全ては師父が与えてくださったものです。旧勢力が手配したいかなるものも認めず、根本から全面的に否定します。すべてのことと結果は師父が決めてくださいます。連行された彼の修煉に不足があっても大法の中できっと改正できるので、修煉上の不足を迫害の理由にしてはいけない」と思うと、マイナス的な考えを除去することができます。

 また、同修の間に男女関係が起きたと耳にした時、「そのような同修は常人にも及ばない」などと同修を責める考えがあれば、直ちにその考えを否定して、男女関係において自分にまだ色欲の心があるか探します。そして、その同修が風雨の中で今日まで歩んできたことがどれほど有り難いか、一時気を緩めて色魔に隙に乗じられたとしても、分かった一面はきっと焦っている、彼を助けなければならないという無私の考えで、善意に彼を助けます。一方、もし私たちが過ちを犯した同修を非難するばかりで、彼の空間場に悪い物質を投げると、知らずに邪悪の迫害を増大させてしまいます。彼は自力で抜け出せなくなり、更なる深い淵へ滑り落ちるかもしれません。

 師父はすべてを把握されています。起きた事に対して修煉者がどのような一念を持つかによって、事態は変わります。もし皆が同修の犯した過ちに心を動じることなく、同修の優れたところだけを見て、同修を過ちにまで追い込んだ邪悪を認めなければ、すなわち誰もがマイナス的な考えを持たなければ、同修はきっと変わり、進んで過ちを改めると思います。

 以上の4つの面から、私心に基づいたマイナス的な考えを除去すれば、頭が清浄になった感じがしました。私たちを済度するために、師父がどれほどの代償を払われたかを思いました。同修のことを思うとき、師父について今日まで歩んでこられた修煉者は誰もが偉大だと思います。彼らは今常人ですが、かつてとても偉大な神であって、自分の世界の衆生を救うために、大法に対する信頼を抱いて少しも躊躇せずに降りてきて、中国共産党のうそに騙されて、真相を受け入れなくなるのは本当に可哀相です。私が彼らを救わない理由がどこにあるのかと思います。ここまで考え付いたら涙がほろほろと流れて、心性は昇華したと実感しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/9/3/279014.html)
 
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