必ず真に修めなければならない
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文/中国・四川省の大法弟子

 【明慧日本2013年5月3日】ある日、私は同修と一緒に郊外に住む80歳を超えた同修の家を訪問しました。そのお婆さんは髪が真っ白で、顔色が良く、肌もつやつやして、顔には人懐っこい微笑みが浮かんでいました。彼女が私達を見るや否や、最初に出た言葉がこれでした。「真に修めることです。真に修めなければなりません!」 私は合点がいかず、ただ、とても不思議に思いながら、彼女をじっと見つめていました。彼女は自分が最近、経験したことを教えてくれました。

 この同修の家は学法煉功になっており、最近、新しい修煉者がどんどん大法修煉に入ってきて、『轉法輪』が足りなくなってしまいました。彼女と他の2人の同修が自分の本を新しい修煉者に譲り、彼女が新しく書籍3冊を手配することになりました。新しい本が家に届き、彼女がめくって見ると、1冊目は印刷の濃度が薄く、ほとんど読めない状態で、2冊目はぎりぎり読める程度、3冊目はとてもはっきりしていました。

 学法時間が近づき、同修達が次々にやって来ました。本を譲った同修2人はそれぞれに1冊ずつ取っていき、彼女が手元の仕事を終え、最後の1冊を手にした時、それはほとんど読めないあの1冊でした。彼女はいきなり憤りを覚え、こう思ったそうです。「私は最高齢者で、目が悪く、あなたたちはまだ若いのに、なぜこんな読めない本を私に残したのですか? 本当に身勝手すぎます」 しかし、彼女はすぐに考えを改めました。違います!  師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』の中でおっしゃいました。「不愉快なことに遭うと、機嫌が斜めになる人がいますが、それならあなたはほかでもなく、人間ではありませんか? 何の違いがあるのでしょうか? 不愉快なことに遭うときはちょうど、自らを修めるときであり、心を修めるときです」

 また、『佛性に漏れなし』の中で、師父はこうもおっしゃいました。「さらに皆さんに教えますと、実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」

 さらに、『法輪大法義解』「長春法輪大法輔導員のための説法」の中ではこのように説かれました。「我々の要求では、あなたが常人を超えて、完全に個人の利益を放棄し、すべて他人のためにするのです。その大覚者は何のためにするのですか? 彼はすべて他人のためです」

 佛光に照らされ、彼女は自分の私心、嫉妬心が見えてきました。彼女は強い主意識を持ってその全てを解体させ、即座に解体させました。

 そして、奇跡が起きました。彼女が手に持っていた文字の読めない『轉法輪』の、全てのページの、全ての文字が金色に輝き始めました。彼女は興奮を抑えきれず、続けざまに言いました。「不思議! 不思議! 本当に不思議です!」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/4/17/272158.html)
 
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