明慧報告 610弁公室の人員の悪報のまとめ(下)
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 【明慧日本2016年9月4日】(前文の続き)

七、610弁公室の人員の悪報の各種形式

610人员遭恶报的各种形式
610弁公室の人員の悪報の各種形式

 明慧ネットで報道した悪報に遭った中国共産党の610弁公室の人員の総人数は、分かっている者だけで783人に上る。

表8:610弁公室人員の悪報に遭った形式一覧表

       分       類

   悪 報 の 形 式

 人 数 

  一、死亡(266人,34.0%)  

  悪病死

  162

  交通事故死 

    71

  原因不明急死、死亡、失踪

    16

  意外事故(交通事故除く)死亡

      6

  中毒、殺害される

   2

  自殺死

   9

  二、身体の病気と傷害(287人,36.7%)

  悪病、怪病、重病

  199

  交通事故負傷 

    54

  意外事故負傷(交通事故除く)

    11

  転落、転ぶ

    23

  三、判決、調査、処分、告訴、暴力される(126人,16.1%)

  判決、調査、処分、免職、転職、告訴、告発等

  118

  殴られる、罵られる

   8

  四、家族と身内の事故(104人,13.3%) 

  家庭急変、身内の事故による経済損失、精神苦痛 

  104

注:多種類の悪報に遭った者については、重複を避けるため1種類として統計した。

 分析すると、610弁公室人員が悪報に遭った者の中に、死亡、病気と負傷者の割合が非常に大きい。この2つを合わせると70%以上を超え、多くの610弁公室の人員は、重い病気の苦しみに合い、また死に直面するなど、危険の瀬戸際立に立たされている。その他にも、特にここ数年来、610弁公室の人員は、処分され落馬した者が激増している。多くの人は法輪功への迫害を通して、出世し金持ちになると空想していたが、結果的には、手錠と足かせを招いた。これら多くの症例が、610弁公室の人員に目覚めさせている!

八、さらに多くの不可解な交通事故

 甘粛省慶陽県の610弁公室主任の門イ鏡と白維権は、2003年1月8日、法輪功学習者を「転向」させようとし、迫害をしに行く途中で車がひっくり返り、2人が同時に死亡した。

 陝西省漢中市610弁公室主任で、市委員会副事務総長の芦鶴鳴は、2013年3月23日、娘、娘婿、孫と秘書の5人を連れて三菱パジェロに乗って外出した。車は高速道路の仏坪県内のトンネルに入った時、2台の貨物車に挟まれ変形し、車内にいた4人は惨死した。芦は前の座席に座って、事故が発生した時に、頭がフロントガラスに衝突して外に飛び出し、首の動脈が切れて死亡した。秘書はぶつかった瞬間に腰部が切断され、死亡した。芦の娘と運転手はその場で死亡、娘婿は4本の肋骨が折れて病院に運ばれた。2歳の孫だけが無事だった。事故現場は見ていられないほどの悲惨な光景だった。

 黒龍江省双城市単城鎮の政法委書記で、610弁公室リーダーの姜文超ら5人は、2008年10月5日に一緒に交通事故に遭った。3人は死亡、2人は重傷を負った。単城鎮指導グループの2番目の高志武(38歳)、3番目の姜文超(32歳)、4番目の薄健夫(34歳)の3人は即死した。1番目の関文良(48歳)は片目と片足を失い、片方の腕は骨折した。5番目の陳超武(36歳)は、粉砕骨折した。事故の後、2人は身体障害者となり指導グループから外された。

 黒龍江省樺南県の曙光農場610弁公室主任で、政法委副書記の宋暁文は、2010年5月14日、現地公安支局の張白葵(女性)は、現地の公安支局副局長の任海坤と一緒に、乗用車で県内の共和ダムに観光しに行った。帰り道の途中で大型貨物車と衝突し、宋暁文はその場で即死した。任海坤の脾臓は破裂し、両足は骨折し意識不明になり、佳木斯二院で脾臓を摘出され、命を落とすところだった。張白葵は重傷を負い、樺南県病院で半月の治療をした後、家に帰って傷の養生をした。

 黒龍江省ハルビン市道里区楡樹鎮の政法委書記の趙国家は、2003年9月24日、甘南県に向かう途中で交通事故が発生し、鎖骨、肋骨の数カ所を骨折した。しかし、趙はまったく反省せず、迫害を止めなかった。2004年9月7日、趙はまた乗用車を運転して甘南県に向かっていたところ、前回の事故発生地点まで150メートル手前で、貨物車と衝突して、車が廃車になり、趙は死亡した。趙の息子も重傷を負った。

九、奇妙な急死と奇怪な病気

 2010年、広東省広州市公安局の610弁公室副主任、市公安局国保支隊副隊長の王広平は、倒れて急死した。中国共産党のメディアである新華ネットの報道によると、王は心臓病の発作を起こした。この54歳の610弁公室副主任は、ちょうど6月10日に急死した。11年前のこの日、江沢民が法輪功を迫害する専用組織の610弁公室を設立した。生前に何度も公の場で「悪の報いを信じない」と表明した610弁公室副主任の王は、6月10日の日に急死したが、これは、天意がそうさせたのではないか。

 河南省淇県高村鎮610弁公室の責任者の張立新は、2001年の法輪功を迫害する会議で、張は突然体調が悪くなり、吐血して倒れた。手を尽くしたが助からなかった。

 遼寧省営口市610弁公室主任の李聞啓は、本来健康だったが、2005年に北京に肝臓の検査に行ったところ、肝臓癌の末期と診断された。7月25日に営口市に戻り秦皇島市を経由した時、李は口から血を噴き出し、死亡した。52歳だった。目撃者の話によると、李は死亡した時、全身素っ裸で、1枚のシーツだけを被って、至る所から出血し、営口市に着いた後、直接に火葬場に送られた。まさに悪行を続けると必ず自らの命を落とす結末を招いた。

 北京市公安局石景山支局610警官の伏田有(音)は、2006年の初め頃、職に就いてから約40日目、石景山区魯谷派出所で死亡した。情報によると、伏の死は非常に不思議で、そこに座っていつの間にか死亡していた。

 浙江省縉雲県原壺鎮610弁公室の責任者の盧志偉は、元610弁公室の責任者の趙葛水が悪報に遭った後、引き継いで間もなく半年後に肝臓癌を患った。長期に入院している盧は、民衆のお金で肝臓を移植しようと考えた。事前に決まっていた肝臓は、結局ある外国人に先に使われた。また次の肝臓を決めて、ある日の午後3時に到着する予定だったが、なんとその日の午後2時に、盧は血を噴き出して止まらなくなり、死亡した。

 河南省洛陽市老城区610弁公室主任の楊宏偉は、体調不良のため入院したことがある。退院した楊は、相変わらず法輪功学習者を迫害していた。2010年8月25日午後15時2分に楊は病院で死亡した。病院は未だに何の病気か分からないままである。

 山東省棲霞市610弁公室副主任の劉維東は、2012年2月、結腸癌が拡散し、棲霞市人民病院で死亡した。50歳ぐらいだった。劉は常に養生を重視する人で、普段体を鍛え大事に自分の体を保養していた。済南の大きい病院で治療を行った時、劉の妻も全力で付き添って看護し、結局、悪報を免れなかった。

 北京市延慶県千家店鎮の副鎮長、610弁公室のリーダーの趙漢武は、全身の具合が悪く、気性が急に変わって、狂人のようにものを投げ、そして自分の頬をビンタして、妻を罵るようになった。西洋医、漢方医は手に負えず、勤務することができなくなった。

十、考えさせられる「意外な事故」

 内モンゴル赤峰市元宝山区元宝山鎮の610弁公室リーダーの張玉霞(女性)は、2004年11月末、自家の水を溜める樽の中に転倒して溺死した。51歳だった。当時、樽の中の水はそれ程深くなく、3人の身内は一生懸命に張を引っ張ったが、どうしても動かせなかった。家族は殺害された可能性があると言って、死体を市の病院で解剖したが、何の疑問点も見つからなかった。死体は解剖され、バラバラに解体された。「これは法輪功を迫害して、悪報に遭ったのだ」と地元の民衆は言った。

 陝西省宝鶏市渭濱区610弁公室主任の劉迪華は、2004年1月21日(旧暦の大晦日)、情婦の家で入浴した時に一酸化炭素中毒になり、2人とも風呂場で死亡した。中国共産党渭濱区委員会、区政府はいい加減に葬式を済ませて、スキャンダルを覆い隠した。劉の死は面目がないため、息子でさえも葬式には参加したくないという。

 吉林省梨樹県610弁公室人員の徐大勇は、2008年の元旦、車庫の中の乗用車内である女性と不倫していたところ、時間が長すぎたため、中毒を起こし2人共に死亡した。2日後、徐の妻に発見され、1月6日に火葬された。現地で噂になって広く影響した。聞くところによると、徐の両親、妻、子供はとても悲しんだが、恥を晒すので口に出して悲しめないという。

 四川省ピ県徳源鎮綜治弁主任(610弁公室と同じ役割)の鄭友奎は、2006年5月に落雷に遭い死亡した。44歳だった。鄭は死んだ時に凄まじい様子だった。髪の毛はほとんど燃え、顔、胸、腹部はすべて黒焦げで、ショーツ以外の服は燃えてボロボロになった。村民達は「神様は眼がある、鄭は良い人を迫害して悪報に遭い、当然のことだ」と話題になった。

 黒龍江省綏化市北林区公安支局610警官の劉クン鵬は、2011年11月8日晩7時過ぎ、運転して迫害の真相を伝える法輪功学習者を尾行した時、車をナイト・クラブの前に止めた。その時、クラブから6人の巡査が道路へ出て来て、劉の違法駐車を発見して、口論となった。劉は巡査らに殴られ、ついに警官証明を取り出して、「私は公安局610の劉だ、いま法輪功学習者を尾行中である」と言うと、6人の巡査は法輪功を迫害する人と知って、さらに暴力を振るわれ、劉の4本の前歯が抜け落ち全身血だらけになった。本当に善悪の報いの道義が適中した。

 2006年5月24日晩8時10分頃、洛陽ホテルは突然火災が発生し、火の勢いで空が真っ赤になり、2時間近く燃え、ホテルの4階建の東館は全焼した。このホテルは、かつて洛陽の最も高級なホテルだった。1999年以来、何度も610弁公室に貸して、法輪功学習者を迫害するのに使っていた。河南省洛陽市ジェン西区610弁公室は洛陽ホテルを洗脳班として、何回も法輪功学習者に対して洗脳キャンペーンを行い、法輪功学習者を東館に拘禁した。その後、このホテルは経営し続けることができなくなり、2006年に破産を宣告した。

 2003年の春のある日、湖北省漢川市の市委員会610弁公室は、突然火事になり、法輪功学習者を迫害するのに作り上げた資料は全部燃やされた。

 2009年の初め、湖南省岳陽市平江県委員会の構内に、奇怪な火災が発生した。1階の左の通路側の3つの部屋が火事になった。燃えたのは、すべて法輪功を迫害した際に使用した県610弁公室の部屋だった。隣は他の部門の事務室で、直ちに消火して大きな損害はなかった。内部から漏れた情報によると、約百数万元の損失があったという。奇怪なのは、610弁公室の人員は火事のことを人々に知られるのを恐れて、誰かに聞かれたら、「どこで聞いたのか?」と言い返されたらしい。

十一、不思議な「集団悪報」事件

 重慶市奉節県の副県長兼政法委書記で、610弁公室リーダーの楊大才は、法輪功学習者を連行する命令を出した。県公安局副局長の尹明平は、公用車を運転し、県国保大隊長の唐勇はやる気満々な姿勢で前の席に座り、副大隊長の胥建などの数人も同行していた。公用車はサイレンを鳴らしながら十分な馬力で走っていたところ、三河大酒店の手前で1台の新車と衝突した。前の席に座っていた唐は頭部を負傷し、手で頭を抱えて「あら、本当に報いがあった!」と叫んだ。

 翌日、副局長の尹は運転しないため、公安局の事務室から公用車と運転手が派遣された。国保大隊長の唐は、前の席を避けて後ろの席に座り、副大隊長の胥は、「私はあれらを信じない、私はここに座る」と前の席に座った。公用車は出発して間もなく、また他の車と衝突し、胥は頭と足を怪我した。3日目、法輪功学習者を迫害しに行く時、これらの人員は公用車に乗る勇気がなく、バスを利用した。

 2005年、610弁公室リーダーの楊は、自宅で転んで片足を骨折した。現地の法輪功学習者は何度も楊に真相を伝えたが、楊は改めず、引き続き法輪功への迫害をしていた。2006年11月、楊は妻の手術に付き添った時、突然脳溢血を発生して、異郷の重慶で死亡した。楊の妻の劉厚君は、2007年8月24日に胃癌で亡くなった。娘の楊怡は、出産能力がなく男性側に捨てられ、現在は麻薬に身を染め、死ぬより辛い日々を過ごしている。

 2002年5月、黒龍江省大慶市610弁公室は、各部門の法輪功学習者を迫害する骨幹人員約30人を集め、林甸県政法委副書記の隋が引率して、四川省成都市で迫害の手段を学び、この機会に観光するつもりだった。途中、車が突然自動的に制御できなくなり、深さ数十メートルの谷に転落した。引率者の隋は即死した。他の人はほぼ全員が負傷し、その中に重傷を負った人は少なくない、現地の病院に運ばれ緊急措置が取られた。中のある人は勤務先で法輪功学習者から法輪功が迫害される真相を伝えられた時、法輪功に対して同情したので、今回の事故の中でわずかな軽傷で済んだ。

 2003年6月22日、雲南省紅河州石屏県610弁公室主任の竜清福は、副主任と一緒に州610弁公室へ迫害を企画する会議に参加し、戻る途中で交通事故に遭い、主任の竜は即死、副主任は重傷を負った。2人の610弁公室の責任者が同時に悪報に遭ったことで、石屏県で大きい反響を引き起こした。民衆は「610弁公室の者らが法輪功を迫害したので、悪の報いを受けたに決まっている」と皆そう言った。

 黒龍江省依蘭県宏克力鎮政法委書記の付麗君は、2003年正月のある日、幹事の杜を連れて依蘭県610弁公室の会議に参加し、迫害を画策した。会議の後、政法委書記の付、幹事の杜と県610弁公室主任の楊暁清は、車に乗って県堺辺りを経由した時、車輪の軸が折れ、車は何回もひっくり返り、30メートル以上滑りながら、道路上で裏替えしになった。付は肋骨を折り、脊骨が変形した。佳木斯市二院で治療している期間中、腰から下は知覚を失い、両足は利かなくなり、大小便を失禁した。

 湖北省武漢市黄陂区公安局610弁公室の胡礼貴、李栄、呉志軍、張富忠および馮長城の5人は、2001年9月18日、指令を受けてある村民の爆竹の作業場を取り調べた時、爆発を引き起こし5人とも死亡した。情報筋によると、李栄は病院まで運ばれたが助からなかった。他の人はすべて爆撃されて血肉があちこち飛び散ったため、ビニール袋に入るしかない。1回の事故で5人の警官が犠牲になったのは、全国で実に珍しく、現地610弁公室の力はこの件で半分以上削られた。この事件は中国共産党中央トップ層を震撼させ、政法委書記の羅幹は「陰謀」と疑い、自ら大至急現場を調査したが、何の結果も得られなかった。

 雲南省建水県公安局城北支局の元局長の黄保奇は、在任中の2006年3月に、法輪功学習者の連行に加担した。2008年10月12日、黄は刃物で十数回刺されて死亡した。35歳だった。同時に刺されたのは、610弁公室の主管者で県政法委副書記の鄒志軍と県公安局副局長の童金録である。現場にいる他の二十数人の警官はすべて無事で、3人だけ被害に巻き込まれた。

十二、「家族が分散し、肉親を失う」の教訓

 内モンゴル赤峰市610弁公室主任の楊春悦は、2014年3月、癌で死亡した。息子の楊志慧は610弁公室の運転手で、2005年8月に交通事故に遭って惨死した。楊春悦の妻は1カ月以上泣き暮らし、「私達は何か徳を欠いる? それで、こんなに痛ましい事が起きた!」としゃべり、それ以来、ずっと瘋癲状態になった。楊の親子は法輪功を迫害し、どれ位の家族を分散させ、肉親を失わせたのだろうか。これは報いではないか。誰かに害されたのではなく、自分自身で招いたものだ。楊の妻も早く目覚めるべきでだ。

 海南省海口市610弁公室処長の張の妻は、2001年に突然白血病を患って、2カ月後に治療できず死亡した。張の息子は直腸癌を患って、半年後に死亡した。張本人は膵癌を患った。全家族3人は皆、8カ月の内に相次いで死亡した。

 河南省淮浜県政法委副書記のウーは、2002年に610弁公室の主管者になってから、家の災難は絶えなかった。2004年にウーの息子は刃物で刺されて重傷を負った。2005年3月8日、ウーの家は火事に遭い、高齢の母親は病が重傷になり、治療しても助からず死亡した。ウー本人は植物人間になり、鼻柱は変形し両耳は萎縮し、両まぶたは緊縮して寝る時も閉じられず、両足の筋は短くなって正常に立てず、10本の指はたった1本だけ残っている。

十三、「報いなんて信じぬ」、報いがないという保証はない

 黒龍江省樺南県公安局国保大隊長、610弁公室リーダーの陳洪輝は、こう言いふらしていた。「報いがあるって、私のところに報いを見せてみろ! 俺は最後まで共産党について行くぞ」。この話を口にしてから7日目、陳は土龍山鎮から樺南鎮に帰る途中で、車が樹にぶつかって頭蓋骨が粉砕し、その場で即死した。

 吉林省長春市双陽区政法委副書記で、610リーダーの王舒カンは、かつて「私はあまりにも多くの法輪功学習者を、不当な判決で送り出した。私は最初に報いに遭うはずなのに」と喚いたことがある。2010年6月2日晩10時頃、王は車を運転し事故で死亡した。

 黒龍江省建三江支局前進農場の610主任の王維倫は、「私は報いなど恐れていないし、報いなんて信じない」と公言したことがある。しかも、真相を伝えてくれた法輪功学習者に「私は中国共産党にどこまでもついて行く」と言っていた。2008年9月11日、王は山東省の故郷で墓参りの途中、交通事故に遭い、惨死した。

 天津市武清区下伍旗鎮610弁公室の人員の劉旺は、連続して3人の法輪功学習者に対してビンタした。法輪功学習者が「善悪の報いがあるので、改めるように」と諌(いさ)めたところ、劉は憎々しげに「私は十年早く死んでも、お前たちを殴らなければならない」と言った。間もなく、劉の体調が崩れ、県病院へ行く途中で息を引き取った。

 黒龍江省大興安嶺市呼中区610弁公室主任の梁興は、法輪功学習者の善意の忠告を聞かず、「私は狂って、狂って狂気だ」と地面から飛び上がったり、喚いたりした。2006年6月、梁は喉の癌を患って死亡した。

 山東省イ坊市坊子区坊子鎮後張村の支部書記、610リーダーの李炳泉は、かつて指で法輪功学習者を指しながら、「お前らは何の佛を修めているのか? お前らが修煉成就できたら俺は死んで見せるぞ!」と怒鳴った。数日後、持病が再発し、お彼岸の数日前に死亡した。

 河北省唐山市曹妃甸区公安局副局長、610弁公室リーダーの李福国は、国内外の法輪功学習者の忠告を何度も聞いたが、「お前達が『善悪の報いがある』と言っても、俺には何の変わりもないじゃない」と言い返した。今年5月22日、47歳の李は白血病で死亡した。発病から死亡まで、僅か2カ月であった。

 浙江省浙江縉雲県原壺鎮副鎮長、610弁公室責任者の趙葛水は、法輪功学習者を力いっぱい殴打しながら、このように言っていた。「なに! 『善には善の報いがあり、悪には悪の報いがある』って、やれるものなら報いに来てみろ、俺は学もあり、武術もでき、手、足が達者で、弁も立つ、報いなんて恐れないぞ!」。半月後、趙は病になり寝こんでしまい、病院で治療すればするほど深刻になり、長期に入院して十数万元を使って、やっと命びろいをした。しかし、趙はまったく自省をせず、2001年にまた「法輪功学習者はみんな私に『悪の報いだ』などと言っているが、とんでもない。去年の病気の時、医者は葬式の準備まで言っていたが、俺は元気に生きているじゃないか。報いが本当にあればとっくに死んでいるはずだ」と言いふらした。半月後、趙は鎮政府人員と一緒に車に乗っていた時、樹にぶつかって、車はひっくり返り、車内の6人のうち4人が重傷を、2人が軽傷を負った。趙は手足のそれぞれ片方を切断し、下顎は裂けて、片目が失明した。まさかの「手、足が達者で、弁も立つ」のはずが、見るも哀れな姿となってしまった。

 黒龍江省穆稜市下城子政法委書記、610弁公室リーダーの孟慶林は、2000年に法輪功学習者を連行した時、法輪功学習者を罵り、しかも「悪の報いなんて信じない!」と怒鳴りつけた。4日後、孟は脳血栓で入院し、植物人間になった。

 黒龍江省海倫市610弁公室主任の明亮は、かつて「私はこれ程法輪功を攻撃したのに、まったく報いがない、まだ自由自在に生きている」と言ったことがある。間もなく、明は盲腸炎を患って、手術を受けて回復していないうちに、鼻の手術も重ねた。それ以来、幅を利かせ、大口を叩いていた明はおとなしくなった。

 河北省定興県610弁公室主任の時田元は、「定興県は全市(法輪功に対する迫害)で1番、2番に並べられるが、俺は大丈夫じゃないか?」と言いふらした半年後、大腿骨頭壊死の不治の病を患った。

 海南省定安県610弁公室主任の王忠俊は、かつて大声でこう言っていた。「悪の報いなんて、どこにあるのか? 俺は大勢連行したのに、こんなに羽振りがよく、肌も白く健康で元気に生きている、報いなんて全くないよ」。この言葉を言って1カ月も経っていないうちに、王の息子は広州で液化ガス漏れの事故で死亡し、2004年5月8日、王の妻は井戸に飛び降りて自殺した。

 ある人はこのように思うかもしれない。「私は悪報に遭ってない、出世した」。昔からこういう言葉がある。「悪行したら必ず滅亡する、悪行しても滅亡しないのは、前生に積んだ徳がまだ残っているからで、徳を使い果たしたら、ただちに滅亡する。善を行えば必ず栄えて盛んになり、善を行っても隆盛になっていないのは、前生の借りがまだ返し終わっていないからで、借りを返し終われば必ず栄えて盛んになる」。この言葉の意味は、誰でも分かるはずだ。生命は賭け金と比べられるものではなく、官職は命と比べれば微々たるもので、誰でも正しく選択できる。

十四、未だに悟らず、悟れば道あり

 湖北省天門市ゾ市鎮のある610弁公室主任は、法輪功学習者を迫害した後、奇妙な病気に罹った。国内外の法輪功学習者は彼に電話をかけて、法輪功の真相を伝えたため、彼の良心が呼び戻され、610弁公室主任の職を辞任した。現地の幹部らは、法輪功を迫害すると悪報を招くことを知って、長い間、この職位に就く人がいなかった。その後、劉霞は610弁公室主任を引き継ぎ、報いなど恐れないと言った。2011年、劉は癌に罹った。罹る前に、劉は家で転んで数本の肋骨を骨折した。法輪功学習者は事情を知って、土産と法輪功の資料を持って見舞いに行き、610弁公室の仕事を辞めるように勧めたが、劉は拒絶した。2013年6月25日、劉は卵嚢癌と肝臓癌の苦痛の中で短い命を終えた。

 吉林省磐石市公安局政保科の幹部、610弁公室人員の高力財は、半身不随で寝たきりになった。高は「私は法輪功学習者に対して残忍すぎ、悪報に遭った」と本人は言っていたが、過ちを反省せず、結局は死亡した。

 山東省蒙陰県610弁公室の2番目責任者の類延成は、2002年に何度も突然気絶して、「小脳萎縮」と診断された。類は「法輪功学習者に知られないように」と言った。知られたくないのは、心の中で恥であることを知っているはずで、なぜ悔悟しないのだろうか。

 黒龍江省双鴨山市公安局の610弁公室リーダーの杜占一は、法輪功学習者を迫害した後、顔色が黒くなり、運が悪くなった。ある日、杜は酒の後にため息をはきながら「あちこちの家から家財を押収して取ったものは少なくない、ゆすりとった収入も結構あったが、生活はますます貧しくなり、堂々と生きられなくなった、電話番号さえも他人に教える勇気がなく、ネットに公開されるのを恐れて、体の調子も悪くなるばかりだ」としゃべった。過ちに気付いたら、何故目覚めないのだろうか。

 山東省莱州市610国保大隊長の于智斌の父親は、腰をかがめてネギを取っている時、突然息を引き取った。于の息子は結婚式の前に、長年付き合っていた彼女に振られた。于の妻の盛煥秋は、2011年2月に子宮筋腫を患って手術を受ける準備をしたところ、またも腸の腫瘍を発見し、北京に行って手術をした。于の本人は、2009年の春に突然気絶して、病院で緊急措置をとり、心臓の手術を受けやっと命を取り戻せた。1年も経たないうちに発作を起こして、2回目の手術をして、于は数カ月入院した。「毎年、健康診断をして健康だったのに、なぜ突然こうなったのか」と本人は疑問に思い、そばの警官に尋ねたところ、「法輪功学習者に知られないように、また暴露されるかもしれない」と答えた。于は善良な人々を迫害して報いを招いたことに気づいたらしく、「法輪功学習者も我々のために」と一言を付け加えた。この程度まで悟ったのに、どうしてまだ目が覚めないのか。

 浙江省縉雲県原壺鎮610弁公室リーダーの盧胡金は、前任が悪報に遭った事実を見て、最初はこの職に手をつけたくなかった。しかし、盧は決心が足りなくて、やはり610弁公室の職位を引き継いだ。間もなく盧の耳が聴覚を失い、補聴器を付けないといけない身となった。

 四川省成都市公安一処610弁公室人員の馮久偉は、骨壊死病気にかかった。馮は悪報に遭ったのを感じて、すぐ退任した。馮は「私は本当に法輪功を迫害する『仕事』をやるべきではない、早いうちに目が覚めたから、生命を守ることができた」と人に言っていた。

十五、悪報の特殊な形式――調査を受け、処分され、告訴される

 今回、収集した悪報に遭った783人の情報の中に、判決を下され、調査を受け、処分され、告訴され、免職された610弁公室人員は、118人いて、悪報に遭った総人数の15.1%を占め、割合が非常に高い。この中から見て取れたのは、法輪功を迫害した者は、ほとんどが汚職幹部である。時が経つにつれて、中国共産党の内部では、610弁公室人員に対する清算がますます激しくなった。表面では、法輪功を迫害する人に対しての清算を公表しなくても、実際に、これは悪人に対する清算である。

 清算された610弁公室人員の中に、高官が相当な割合を占めた。以下の表を参照していただきたい。

表9:610弁公室の高官の悪報に遭った落馬一覧表

階層

落馬人員

中央トップ層610

4人:周永康、李東生、周本順、張越

省レベル610

14人:徐小剛、陣紹基、朱明国、蘇宏章、史少林、王昭耀、韓剣飛、白志明、馬西林、王林、張国強、丘広鐘、吉林、宋平順(自殺)

その他の階層610

約100人

 海外の華人メディアの大紀元の2011年6月11日の報道によると、ドイツを初めとする中国共産党610組織スパイ事件は、6月8日に判決を下した。被告人の周超英は、執行猶予2年を言い渡され、その上、1万5千ユーロの罰金を科され、警告を受けた。周超英は海外で法輪功の情報を収集して、中国共産党情報機関に提供したため、判決を受けた第1番目のドイツ華人である。中国共産党の法輪功を弾圧する核心機関である610弁公室は、そのためドイツ社会で広く暴露された。ドイツ検察院は公訴書の中に次のように書かれていた。「610弁公室は、中国共産党の法輪功を弾圧する専用機関として、1999年6月10日に特別に設立された中国共産党の情報組織の一部である。周超英が610弁公室に法輪功の情報を提供することは、ドイツの刑法第99条を犯し、すなわち、これはスパイ罪にあたる」。

 現在、訴江(迫害の張本人の江沢民を告訴する)の大潮は、ますます高まっている。昨年5月末から今年の7月31日まで、明慧ネットはすでに20万9321人(176956案件)の法輪功学習者および家族が、中国最高検察院、裁判所に手渡した実名の告訴状の写しを受け取った。ネット封鎖と情報の伝送の不便などが原因で、実際の数字はこれだけにとどまらないとみる。張本民の江沢民のしでかした罪でさえ追及され、まして普通の人員は、なおさら追及されるに違いない。

 いま目覚めないと、いつ目覚めるのだろうか?

添付資料:全国の610弁公室人員の悪報に遭った実例一覧表(word書式とXLS書式)ダウンロード下载(226KB)

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(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/8/6/332515.html )
 
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