文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年10月24日】2012年、私は幸いにも法輪大法を修煉し始めました。家族からの圧力があって、ずっと1人で、家で法を学んでいた私は、今年の春に、ようやくある学法グループに参加することができました。グループは3人からなっており、他の2人はどちらも1999年7.20前から修煉を始めた古い修煉者です。
私は新しい学習者で、しかも家に長くいたため、いつも法を正す進展について行けないと感じていました。そのため、早く修煉を始めた学習者のことを羨ましく思い、交流の中で、彼女たちから法理に対する深い見解を聞こうとし、それによって、自分が啓示され、早く向上できたらと期待していました。しかし、一緒に修煉体験や法に対する認識を交流する時、同修は何か特別なことを話すこともなく、言葉がいつも平凡で、簡単で、むしろ、少しつまらない感じすら覚えました。この普通過ぎる交流に、私は少し失望しました。
しかし、数日前、あることで、私の考え方が変わり、修煉に対する理解もさらに深まりました。
明慧ネットでは「機密文書から中国共産党の本質が再度証明された」との文章が掲載されました。それを読んだ私は、心の中で少し興奮して、「常人社会の変動に動じない、中国共産党に期待を持たない、時間に執着しない、すべて師父のおっしゃる通りにする」と自分に言い聞かせながらも、しかし、やはりその文章を印刷して、同修達に見せました。私は少し興奮気味で、自分の考えをぺらぺらと喋りましたが、彼女たちは全く動じないで、反応すらせず、興奮もなければ、好奇心もなく、いつものように落ち着いていました。それを見て、私の心も次第に静まり、この話を止めました。
やはりこの事が気になった私は、家に帰ってから、新唐人テレビの評論も含め、関連文章をさらに読みました。一方、心の中では、「これに執着してはいけない、中国共産党の邪悪の本質は変わらない、常人社会の情勢がいくら変わっても、それは法を正す勢いによる変化に過ぎず、中国共産党は自分の首を絞めているロープを緩めているだけで、形が変わっても中身は変わらない」と自分を戒めながらも、心はやはり揺れ動いていました。
数日後、別のことで、またこの話題に及びました。同修達は依然として落ち着いて、全く動じませんでした。その姿を見て、「17年も続く残虐な迫害を経験した彼女たちは、本当に成長して冷静となった」と身にしみて感じました。彼女たちは普段世に名前も知られず、交流の中には飾る言葉もなく、長談義することもなく、とても平凡そうに見えますが、しかし、その平凡さの中から、長年の修煉の中で作り上げた揺るぎない基礎、また、法を信じ、師を信じる固い正念が見えました。そして、平凡の中から、彼女たちの真の偉大さが見えました。それは私と彼女らとの差ではないかと、つくづく気付かされました。
古い同修を見て、内に向けて探しました。私は、法を学び、心を修めるように自分に要求していますが、しかし、すこしの変事の兆しが現われると、心が動じて、時には興奮して、言動がそわそわして、落ち着かず、まだまだ常人に期待したり、時間に執着したりする心があることに気づきました。師父は、「現段階、そしてしばらく経つと、政治的な動きや変化が人々の関心を呼びます」[1]と説かれ、また、「常人に動かされないでください」[1]と警告されていました。師父の法に照らし合わせて見ると、「自分の言動は、法を学んでも心に留めておらず、まだまだ修煉がしっかり出来ていない表れではないか」と思いました。古い同修との大きな差に、気付かされ本当に恥ずかしく感じました。
以上は、個人の少しの体得ですが不適切な所があれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の経文 『二〇一四年サンフランシスコ法会での説法』