文╱米国の大法弟子
【明慧日本2016年10月29日】私は去年から法輪大法を修煉し始めた新しい弟子です。
中国の農村で生まれ育った私は、子供の頃よく星空を見上げて、父親に、「空の果てには何があるの?」と聞きました。父親は近代科学から得た知識を話してくれ、一生懸命勉強して、この農村から脱出しなさいと言いました。大学で中国共産党に入党しました。卒業の年、「天安門事件」を目の当たりにした私は、将来に絶望し、ここは自分の国ではないとまで感じました。そこで、力を傾けて海外留学できるように勉学に励みました。
1995年、運命に導かれ、私は渡米し、その後、アメリカで学位を取り、仕事も見つかりました。妻からキリスト教に入信するようにと勧められ、理性的に、神様の存在を信じ、信仰があることは素晴らしいと思い、洗礼を受け、クリスチャンになりました。牧師さんから、「あなたは救われ、信じさえすればキリスト者です」と言われました。1999年、中国共産党が大法を迫害してから、『轉法輪』について、数講を拝読しましたが、分かったような、分からないような感じがし、その上、妻からの妨害も大きく、そのまま放置してしまいました。
2004年、3歳の息子は自閉症と診断されました。多くの専門家に尋ねましたが、彼らも本当のことを分かっていないのではないかと直感しました。そこで、私たちは、数百種類の健康食品と東洋と西洋の薬草を試し、また、心理学、医学、栄養学、生物化学、遺伝子学、外来遺伝子学の本をたくさん読みました。その中では、ホメオパシーという自然の摂理に適った自然療法に興味を持つようになりました。それは18世紀のロマンチシズム運動を背景にした、人が神とともにあった文化科学で、主流科学をはるかに超え、中国医学の「天人合一」の考え方にとても近いものでした。さらに、数人の超能力を持つ西洋医学の学者に出逢ったことで、私はこの不思議な治療法に夢中になりました。考え方が主流「科学」からますます離脱した私は、ホメオパシーの医師になりたいと考えました。そのため、ホメオパシーを紹介する一冊の本を書き、中国の国家レベルの医学出版社の審査会会議の審査に通り、出版が決定されました。中国の医学業界に参考の価値があると言われたそうです。しかし、その後、指導部の人は気が変わり、出版は白紙となりました。今から考えれば、主流科学を超えたものであれば、中国では、その聖域に足を踏み入れたい人がいないのでしょう。
当時、医学の勉強ができる経済状況ではありませんでした。しかし、私は神様を固く信じ、天は人を死に追いやることはしないと信じていました。一所懸命に仕事をしました。お陰様で、私が開発したソフトウェアは会社に数千万元の価値を生み出しました。しかし、それによって、我が家の経済状況が改善されたわけでもなく、息子の状況も変わらず、妻は相変わらず愚痴ばかりをこぼしていました。やはり自分の考えは非現実的だと反省しました。
2014年5月、私自身が鬱病になり、家で仕事をし始め、地に足の着いた生活を余儀なくされました。毎日仕事をする以外、家事をこなし、新聞も本も一切読まないことにしました。息子の状態も悪く、このような我が家に危機感を抱きました。しかし、どうすることもできませんでした。
私は眠れない日々が続きました。去年の5月のある夜、夢の中で、師父は私に法輪功を学ばないかと聞かれました。私は、「いい人になり、素晴らしい功法ですから、ぜひ学びたい」と思いました。すると、師父は私に一式できあがったものを植え付けてくださいました。
2カ月後、妻と2人の子供たちは香港に旅行に行きました。家でつまらなくしていた私は、『轉法輪』を読み始め、泣きながら読みました。ようやく私を助けてくださる本を見つけたと思いました。当時、読んで気分がよくなる唯一の本が『轉法輪』でした。私は読めば読むほど好きになり、「この世のすべての本は何も要らない、我が人生でこの1冊の『轉法輪』だけあれば十分だ」と思いました。同時に、香港に旅行している息子も、「『法輪大法は素晴らしい』と告げられた」夢を見ました。翌日、息子は街頭で、「法輪大法は素晴らしい」の看板を見たそうです。これは息子が修煉してから1年後に話してくれたことです。
私が法輪功を習い始めたことを知ったクリスチャンの妻は、猛反対しました。妻には確かにいろいろ不十分なところがありますが、しかし、「こうなったのは、全部あなたのせいよ」と妻が言うように、私には問題がありました。そこで、自分がしっかり大法を修めることこそ、家族に対する最大の愛だと思い、家族に対し最大限に我慢し譲歩しました。煉功は、妻が外出した時、或いは外に出て行い、時には夜中に行いました。最初、夜中に煉功しようと思った時、きっと師父が私を起こしてくださると思うと、慈悲なる師父は本当に夜中に起こしてくださいました。
数が月後、ネットで『轉法輪』を購入しました。本がまだ家に届いていないうちから、妻は『轉法輪』を家に入れてはいなけないと言い出しました。妻に業を作らせないため、私は『轉法輪』を隠しました。その後、妻がこのことにあまり敏感に反応しなくなってから、初めて『轉法輪』を出して読むようにしました。さらに、集団煉功に参加したいと思いました。妻はもう止められないと見て、仕方なく賛成してくれました。1人が修煉すれば、家族全員が受益することが分かっていても、直接妻に説明もできず、彼女にゆっくり体得してもらうしかないと思いました。最初の数カ月間、ほとんどの場合私は黙って耐えることにしました。
最初の数カ月、1人で修煉をしていて、心性が不安定でした。特に真相を伝えることに関する師父の経文を読むと、私は強い情を持って友達に電話を掛け、三退を勧めました。実際の会話は気晴らしのような雑談で三退させられず、まったく駄目でした。師父は夢の中で絶えず私に気づかせてくださいました。ある日、夢の中で、師父は私に空いっぱいの星を見せ、その中の一つの星が私の身体に落ちて来ました。それは私の故郷で、私の本当の家で、自分の家に帰りたいと強く思いました。同時に、修煉が厳粛なものだと改めて痛感しました。Weチャットは私にとって感情の落とし穴であり、毎回少しづつWeチャットを通して真相を伝えましたが、ほとんど成功しませんでした。そこで、私は我慢してWeチャットを見ないようにし、『轉法輪』だけを多く読むようにしました。しだいに、息子の様子もいい方向に変わり、家庭も平和になりました。
地元の学法グルームの協調人が、集団学法と集団煉功に参加するようにと誘ってくれました。初めてグループ学法に参加した時、私は涙をボロボロと流しました。この修煉環境は私が夢にまで願っていたものでした。妻は早く帰宅してほしいし、遅かったら家に入れてあげないよと脅かしました。私は外泊しても構わない、法をしっかり習わなければならないと思いました。大法を修煉する前に、イエス・キリストの言葉を私はすべて信じていました。しかし、やり遂げることはできませんでした。それに比べて大法は、私に確実かつ実行可能な道を示してくださいました。私は魂がどんどん蘇っているように感じました。以前西洋医学の「天人合一」の文献を読んで、人間には輪廻転生があり、地球も輪廻していることを知りました。しかし、大法の師父はわずかな言葉で、そのすべてを分かりやすく述べてくださいました。
与えられた仕事は、なんでも文句なしに受け入れるようにしました。今までのうぬぼれていた心理を改めて、自分を修めました。毎日進歩しているように感じました。師父の経文の中から顕れる慈悲にいつも涙を流し、大法弟子の慈悲にも涙を流しました。人間はどうやってここまで完璧になれるのかと、多くのことに感激しました。
私は毎週、『轉法輪』を一通り読み、他の経文も読みました。鬱病はいつの間にか治り、自ら三退をし、妻にも三退をさせました。今年3月、私は両親をアメリカに招いて、神韻公演を見せようとして、こっそりとチケットを買いました。それを知った妻はチケットを払い戻そうとしましたが、出来ませんでした。神韻を見に行った両親は大絶賛し、母は、「この公演を見ることができ、もう死んでも悔いはないよ」と言ってくれました。その後、母は中国共産党から脱党しました。父は中国共産党のいかなる組織にも入っていないため、「法輪大法は素晴らしい」をしっかり覚え、念じました。
息子も公演を見ました。その後、毎週末に私について、観光スポットで真相を伝えるようになりました。同修から、車の中で師父の英語の通訳付き説法を流して、息子に聞かせたらと提案してくれました。しばらくしてから、息子は『轉法輪』を買ってほしいと言い出し、毎週私と一緒に集団学法に参加するようになり、だんだんと師父の説法を通訳なしで聞けるようになり、息子も修煉を始めました。私はとっくに息子を病人として見なさず、彼が執着心を取り除くように手助けしました。師父は「この宇宙の最も根本的な特性は真・善・忍で、これこそが佛法の最高の体現であり、最も根本的な佛法なのです」[1]と説かれています。法を多く学べば、真・善・忍を基準に生活すれば、何もかもうまく行き、本当にその通りになりました。数カ月で、息子は生活と勉強に対してやる気を出し、高校に入ったばかりなのに、もう将来の大学の進学のことを考え始め、アドバイスを求められました。1年前には、いつもつまらない、つまらないと愚痴ばかりを言っていた我が息子の変貌に驚かされました。
以前読んだ本は頭の中で強い思想業力を形成しました。ホメオパシー療法を学ぶ時、宇宙の小さな範囲内のいくつか道理に触れました。しかし、今学んでいるのは宇宙の大法です。ある日、『轉法輪』を読んだ時、私の身体は本の中に入り込み、それはそれは無限に広い広い宇宙で、とても素晴らしく幾重にも重なっていました。師父が「実質的にこの本には異なる境地の理、異なる次元の理が含まれています」[2]とおっしゃっていましたが、本当にその通りでした。
私は義理の両親にもアメリカに来てもらい、真相を聞いてほしいと思って妻に、「お父さんとお母さんをアメリカに迎えましょう」と言いました。妻の両親が来てから、義理の父は真相資料を読んで、早速、観光スポットで三退をしました。義理の母は興味を示さかったため、私も焦らず、真・善・忍に基づいてしっかり行い、できるだけ真相資料を持ち帰ってもらうようにしました。その後、義理の母も大法の真相に感動し、大法は間違っていないよと言って、三退を選びました。
修煉の中で、ずっと取り除こうとしたのは恐れる心でした。自分の弱点が見抜かれたら恥ずかしくなり、褒められたら嬉しくなり、本当に自分が駄目だと思いました。そこで、感情をしっかりコントロールして、理性的に生活するように努めました。師父も私の執着心を取り除くよう手伝ってくださいました。まさしく師父が説かれた、「修行の路は苦に非ず 生々世々の業力が阻む」[3]のように、業力が怖がらせているのです。怖がるのは何の益にもならず、自分の業は、自分で耐えていかなければならないことを悟りました。
時には、妻とも言い争いします。妻が大法の悪口を言いますと、私はすぐに黙って、発正念をするようにしました。すると、妻も急にしゃべらなくなります。それは旧勢力の妨害だと分かりました。次第に、妻は私の発正念に好感を持つようになり、私の生活にも興味を持つようになりました。彼女は何度も私に、「生きているのは何のためですか」と聞きました。その後、「私は菩薩と結婚したみたい」とつぶやきました。実は、私は心の中で彼女にとても感謝しています。彼女は私の修煉の晴雨計のようなものです。娘はお母さんの考えを受け入れているために、伝統文化などの話しかしません。彼女たちに2017年の神韻のチケットを予約すると、それを知った親子はずっと私を責めていました。私は笑顔で対応し心の中では、自分が正しいいことをしたと思っています。
偶然の機会に、あるプロジェクトに参加しました。真相を伝えるために文章を書く仕事でした。私は興奮した気持ちが抑えられませんでした。以前、小説や本を書いたことがありますが、今回は違うのです。同修の簡潔で誠実な文章と比べれば、自分の文章は実に飾りが多く感じました。プロジェクトの責任者は、「きっと素晴らしい文章が書ける、たくさんの人を救うことができる」と私を励ましてくれました。党文化を排除して慈悲心を持って書くことは、私にとって実に容易ではありません。また、人を救う責任がどれだけ重大で、どれだけ厳粛であるのかと思いました。自分の身体に染み付いた党文化を少しでも多く削り落して、1人でも多くの人々を救い済度できればと強く思いました。
息子が修煉することは、私に取って大きな挑戦になりました。以前、私はずっと子供の教育問題から逃げていました。今回正にそれに直面しなければなりません。たくさんの人心が顕れてきました。感情を抑えながらも、少しづつではありますが、前に前に進めていく努力をしています。
ある日、夢を見ました。私達一家4人はある混雑したバスに乗って、家に帰ろうとしていました。日がすでに暮れて、今のバスから降りて次の車に乗り換えようとした時、1台の小型トラックが前に止まっていて、ちょうど四つの席が空いていました。私は必死に追いかけました。なぜか、車のカギは私の手にあり、試してみたら車の性能がとてもよくて、息子はすぐに席につきました。妻はまだのんびりと車を物色しながら乗ろうとせず、一方、娘は私に口答えをしていました。これは正しく我が家の現状です。私が先頭に立ち勇猛精進(ゆうもうしょうじん・精神を打ち込んで励むこと)してこそ、初めて家族全員を連れて家に帰れるのです。これが私の歩むべき道であると悟りました!
師尊の慈悲なる済度に感謝いたします! 同修のご協力に感謝いたします!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『ヒューストン法会での説法』
[3] 李洪志師父の詩:『洪吟』「因果」