裁判の傍聴券を配布し4年間の実刑と迫害
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 【明慧日本2016年11月20日】(山東省=明慧記者)「山東省の済南刑務所の私に対する迫害により、わずか3カ月で髪は3分の2が白髪になりました。4年間の冤罪による刑務所での迫害で50~60代のおばさんになってしまいました」と話すのは、山東省平度市開発区店前村に住む44歳の法輪功学習者・李麗さんである。

 2012年7月24日、李さんとご主人の王熯忠さんは当地の民衆に、裁判の傍聴券を配布していたところ、警官に不当に連行され、李さんは4年の実刑に処せされ、王さんは1年の実刑に処せされた。(他にも平度藍底鎮の法輪功学習者・王広偉さんが、2012年3月14日真相資料を張り付けていたところ、村の司法書士・喬顕鵬に密告され、当地の警官・劉乃強らに連行された。

 李さんは、デパートの元従業員であり、1998年から法輪功の修煉を始め、心身ともに恩恵を受けた。1999年7月、江沢民集団が狂ったかのように法輪功への迫害を始めた。李さんは何度も強制連行され、拘留、解雇、精神病院での迫害が123日、労働教養2年が1回、実刑4年に処せされたのは2回だった。不当に収容されている間、悲惨で非人道的な迫害を受けた。野蛮な灌食、鷹を煮る(長時間の神経迫害)、殴打、天井に吊り上げる、両手を背中に回して手錠をかけて吊り上げる、毒薬の混入、長時間の直立姿勢、長時間座らされる、独房での監禁などの拷問を受けた。

 次は李麗さんが受けた二度目の迫害の詳細である(2012年から2016年まで)

 2012年7月24日、私は主人と一緒に当地の民衆に法輪功学習者・王広偉さんの裁判を傍聴する招待状を配布していた時、当地の警官に連行され尋問を受けました。私は彼らに連行や尋問に関する許可証を求めましたが、警官・劉(法輪功への迫害を先導している)は私を殴打しました。私を病院に連れて行き、強制的に採血され、健康診断を受けさせたのち、青島留置場に送りましたが、受け入れを拒否されたため、610弁公室は事務所で私を24日間不法拘留しました。

 拘留期間中に、足に障害のある女性学習者が連行され、隣の部屋で毎日のように数人の警官に攻撃され「転向」を強要されていました。食事の時私は人々の前で610弁公室の責任者・国玉成に聞きました。なぜ手に武器を持たない身体障害者でさえ見逃さないのか? 彼女は政権を奪いますか? 政治に参与しますか? ただ煉功をして健康になり、よい生活を送りたいだけです。このような権利もあなたたちが奪いました。あなたたちに人間性はありますか! と聞きました。国は怒り心頭に達し、余計なお世話だと言い、部屋から出るよう命じられましたが、私は命令に従いませんでした。その後毎日4人の警官と、平度管理委員会から1人が来て私を監視していました。

 一、青島留置場のごろつき達の行為

 610弁公室に拘留されたのち、彼らは私を担いで留置場に送りました。留置場の中は暗黒の空気が漂い、私は囚人用の服を着るのを拒んだため、所長の庄麗娟は囚人に命じて汚れたズボンで私の口を塞ぎ、殴打されました。そして手かせや足かせをかけられ、トイレに行くときもはずしませんでした。

酷刑演示:手铐脚镣
拷問のイメージ「手かせ、足かせ」

 「教官」は、私が中国伝統文化を宣伝したので、卑猥な書籍を持ち込み、昼休みの時間に囚人に最も卑猥な描写を読ませました。夜になると、5、6人の囚人が1人の囚人を押し倒し、ズボンを脱がして陰部に石鹸やクリームを押し込みました。囚人らは時には私のベッドに来て、手足が動けないように押さえつけ、いかがわしい動作をしていました。彼女らが言うには教官に楽しんでくださいと言われたそうです。

 私が共産党の邪悪さを暴露すると、私に暴行を加え、いつも口から血が噴き出すほど殴打されました。

 二、済南刑務所の私に対する迫害

 後に私は不当に裁判を受けさせられ、実刑の判決を言い渡されました。そして私は済南刑務所に収容され、強制的に採血され、健康診断を受けさせられました。看守らは私の買い物を禁止し、トイレに行くときはズボンで拭き取らされ、拭き取った後トイレの水で洗い、ビニール袋に入れて次の時に使わなければなりせんでした。彼らは私を独房に131日間閉じ込め、足で踏みつけて蹴り、靴で頭や口を蹴り、両腕を背中にねじって高く縛り上げ、私の両腕は麻痺し、激痛は耐えがたいものでした。

 私の唇はいつも腫れ上がり石のように硬く、彼女らが私を殴打する時は、いつも囚人の足拭きで私の口を塞ぎました。ある時、口と鼻を同時に塞がれ、窒息死しそうになりました。彼女たちは満足したら私の両手を後ろにしてロープで縛りつけました。ある日、数人の囚人が私を地面に押し倒し、両足をまっすぐ伸ばせさせ、足を踏みつけました。次は左の眼を大きく開かせ、指で眼球を潰しました。その後しばらくの間左目は物が見えなくなり、両目とも目やにで開くことが出来ませんでした。入浴は許されず、毎日のように法輪功を侮辱する放送を聞かされ、毎日私を批判していました。食事の時は私のご飯を地面に置き足で蹴り、皆が食事した後に私が食べていました。

中共酷刑示意图:踩踢
拷問のイメージ図「足踏み」

 刑務所の中で私はいつも独房に閉じ込められていました。彼女らは私の家庭を破壊させようとしました。主人には、主人が転向に応じたことで、私が離婚を望んでいると彼を騙し、逆に私が法輪功を放棄しないため、主人が離婚しようとしていると私を騙そうとしました。

 彼女らは私の食事に長期にわたり毒薬を混入させたことで、私は約1年あまり食事を摂れず、1カ月間の食事で魚1匹しか食べられない期間もあり、トイレの水を数口しか飲んでいない時もありました。時には1日に蒸しパン1個か、もしくは全く食べない日もありました。おかずはほとんど食べていませんでした。よく血を吐き、足や腕が腫れていました。

 済南刑務所の迫害によって、わずか3カ月で私の髪は3分の2が白くなりました。4年間の冤罪による刑務所での迫害により、44歳の私は50~60代のおばあさんになってしまいました。家に戻り法輪功の修煉によって、髪が完全に黒くなっていない以外は、体の健康を取り戻しました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/9/337435.html)
 
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