観念を変え 正念を強める
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 【明慧日本2016年11月21日】私たち大法修煉者なら皆それぞれの次元において魔難に遭遇したことがあると思います。邪悪な迫害に遭った人もいれば、家族の看病に時間が取られている人もいて、子供たちに反対されたり、情に妨げられたり、病業の魔難に遭ったりしています。しかし、どんな魔難に遭遇しても修煉において関門を乗り越えなければならず、債務の返済をしなければならないのです。こういうときこそ、全ての魔難は自分の本当の家に帰るため、乗り越えなければならないものだと観念を変えなければいけないと思います。

 師父は「特に煉功者の場合は、修煉の過程で、異なる次元において少しずつ難儀が設けられていますが、それらはすべてあなた自身の業力、あなた自身の難です。異なる次元のそれぞれに設けられているのは、あなたをさらに向上させるためです。心性が向上しさえすれば、乗り越えることができるのです」[1]と説かれました。観念を変えることついて、師父はまた「修めるということは人の思想を修めることで、思想の面から変わってくることであり、あなたの思想が純粋になった分だけ、それがすなわち果位なのです」[2]と説かれました。

 「大法を得て師父がついてくださるのだから、こんなに福をもっているのに、どうして様々な魔難に遭ったりして、いろいろなことが願った通りにいかないのか」と疑問に思う修煉者がいます。また口に出せないものの、内心では「修煉していない常人はいい暮らしをしているではないか」と心が動揺してしまいました。修煉者が魔難に遭うとき、まさに心性を向上させるためだと考えていません。これらの魔難がなければ、執着心をどうやって取り除くのでしょうか?!

 私は邪悪に迫害され、二度も留置場に拘禁され、二度とも洗脳班に送り込まれ、職場においては免職され、降職されるたびに利益に対する執着心、人心を直撃されました。そのときこそ、人心が揺れ動くかそれとも正念で対処できるかどうかが見られています。

 「お前が留置場に拘禁されていた日々、俺も毎晩眠れず電気を付けたままベッドに座っていた。お前が中で苦しんでいると思うと、早くお前を外に出さないといけないと思い、贈り物やお金を持って人に頼みに行きたかったが、どこに送り届ければいいのかわからなかった。副市長(副市長の奥さんは私の友人です)の自宅まで尋ねたが、良い顔を見せるどころか、持っていった贈り物を全部玄関の外に投げ捨てられた。俺は初めて勇気を振り絞って人に贈り物をしたのに、このざまだ! その時、何を言われたかわかるか? 他のことなら融通は効くが、唯一法輪功に関することは絶対にダメだ。だからお前はもうこれ以上危険を犯してはならない、助けたくても何もできないよ!」と言われたことがありました。

 もしそのとき、私が情に左右されたならば、法を実証し衆生を救い済度することに影響を与えてしまい、身の安全を心配して外に出て真相を伝え、三退を勧める勇気がなくなり、家で学法したり、煉功したりするだけで、常人の次元から抜け出せず、神に向かって歩むことはできなかったでしょう。

 師父は「ご存知のように、佛、神は衆生のため、宇宙の利益のために命を放棄することができ、何でも放棄することができます。しかも、その時平然として動じないのです」[3]と説かれました。道神を修めることは容易いことではありません! 師父はまた『洪吟』 「誰が敢えて常人の心を捨て去るか」に次のように書かれました。

 常人は只、神仙に做ることを思う

 玄妙の後面に、辛酸有り

 心を修め、欲を断ち、執着を去る

 難の中に迷って青天を恨む

 2010年共産党が私を洗脳班に拘禁しようと計画しているとき、息子はこのことを知ってから、夫と私を長沙市に住んでいる姪の家に送り届けてくれました。共産党は息子に私の居場所を教えなければ、仕事をさせないと脅迫したため、息子の職場全体にこの事件が知れ渡り、巻き込まれて、嫁が不機嫌になりました。

 また数年前、私が共産党に目をつけられ、ちょっとでも真相を伝える活動をして気付かれると、その腹いせに勤め先の上司、同僚のボーナスまでがなくなりました。そのとき、上司や同僚が理性を失い、嫌な顔をしました。これらの全てに対して、人心を修め、修煉者の心構えで対処しなければならなかったのです。師父は「絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[1]と教えてくださいました。師父はまた「あなたが日常生活にぶつかったこと、職場或いは社会でぶつかった何らかのことはあなたのある心を向上させることが出来るかも知れません。ぶつかったそのことはあなたの執着心を取り除くためであるかも知れず、或いはあなたの何かを助けているためであるかもしれません。人間は一旦修煉の道に入ってから、その後の一生に偶然な事は存在しなくなります。修煉は順序良く按排されたので、それほど時間的な余裕があるというわけではないから、偶然なことはあり得ません。全てとても順序良く按排されています。皆さんが普段ぶつかった偶然に出現したような些細なことを偶然なこととして考えてはいけません。なぜならば、多くの不思議な事が起こったりして、或いは他の空間に行って修煉する事はあり得ないからです。それならあなたの心を高めることができません。やはりこのような日常の状態で、常人の中のトラブルで、常人の生活方式で、ぶつかったことは以前とさほどの違いもありません。しかし、良く考えてみてください。やはり違います。全てはあなたの修煉が向上できるようにするために現れてきたのです」[5]とおっしゃいました。

 なるほど、これまで遭遇した魔難は正に天に上るための道を開いていたのです。これらの法理がわかれば、これからもし厄介なことに遭ったとき、正念で対処することができます。正念が強ければ、自分は大きく強く感じ、魔難は小さくなります。心性が向上すれば、法理もわかるようになり、関門を乗り越えられ、現在いる次元を突破でき、さらに上の次元に上がることができます。

  注:
  [1] 李洪志先生の著作:『轉法輪
  [2] 李洪志先生の著作:『轉法輪法解』
  [3] 李洪志先生の著作:『米国西部法会での説法』
  [4] 李洪志先生の詩:『洪吟』「誰が敢えて常人の心を捨て去るか」
  [5] 李洪志先生の著作:『米国法会での説法』「ニューヨーク座談会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/6/21/330267.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2016/7/5/157688.html)
 
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