法輪大法は私に二度目の命を下さった
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 文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2016年12月14日】私は中国大陸の農民で、今年60歳です。都会から遠く離れた偏僻な山村に住んでいます。1997年、大法が広く伝えられた時に修煉を始め、その後、集団学法煉功に参加しました。私は積極的に親戚や友人達にも大法を広め、私の紹介により、数十人の人が相次いて大法の書籍と煉功ビデオを取り寄せ、大法修煉の道を歩み始めました。

 しかし、1999年、江沢民集団が大法を迫害し、天地を覆い隠すような誹謗中傷の宣伝の中、私は恐れる心が生じ、修煉をやめてしまいました。大法修煉前、私は弁護士の資格のない田舎弁護士で、村人の中の幾人かの弱者を助けて不正と戦うような、小さな訴訟案件をうまく処理して弁護をしました。成功した案件によって、周りの村民達が何かトラブルがあればいつも相談にやって来て、私は法律コンサルティングとしての地位を確立し、地元の二つの村と鎮の中でも有名人となりました。

 こうして、私が修煉をやめたことで、修煉者の中でとても大きなマイナス影響を与えました。一部の同修は私がやめたのを見て、修煉をやめたり、或いは人の前に出る勇気を失ったりしました。常人たちもいつも私のことを例にして、他の同修に「ほら、あの弁護士さんも煉功をやめたでしょう。あなたはまだ煉っているの」と噂をしました。

 2001年、私の体に病状が現れてきて、肝臓や胃腸はすべて具合が悪くなりました。2005年になると、状態はさらに深刻となり、しかたなく病院で全身の検査を受けました。結論は末期の肝硬変、血管腫、胃潰瘍などでした。家族は検査結果を私に告知する勇気がなく、ただ大量の飲み薬と注射の処方箋をもらって家に帰りました。彼らの表情から、私は病状の深刻さが分かりました。病院から帰ると妻は涙を浮かべながら私を浴場に連れて行って、背中を流してくれましたが、これは今までなかったことです。恐らく医者から私にはもうそれほど時間がないと言われたのでしょう。妻は、私がまだ動ける間に風呂に入れて、きれいな体でこの世を去って行かせたいと思っていたようです。

 私の症状は肝臓に腹水がたまり腹が大きく張ることと胃痛でした。当時、食べたものをなんでもそのまま吐いてしまい、全身に力がなく、話すことすら大変でした。叔母は見舞いに来て、どうしても法輪功を煉功するようにと勧めてくれました。叔母の説得の下で、私は寝たままの状態で法を聞きました。一通りまだ聞き終わらないうちに、連続2日の間下痢をしました。下痢をすれば腹水は下り、体も軽快となり、物を食べられるようになりました。こうして、3カ月が経ちました。私はこの病状の好転は大法の効果なのか、それとも薬や注射の効果なのかを考えました。この時はまだ、大法に対してやはり半信半疑でした。こうして、私はまた完全に常人と混同してしまい、飲み食いや遊び事、マージャンを楽しんで時間を過ごしました。

 2006年5月14日、私は全身の力がなくなり、目が黄色くなりました。同修達は私の危険な状況を知り、数人の年配の同修が私を囲んで発正念をしてくれました。同修達が正念を発している間、体の痛みがなくなり、大分楽になった感じがしましたが、彼女達が離れると体がまた痛くなりました。1カ月後、目だけではなく全身も黄色くなり、6月7日になると、腹水は以前よりもさらに酷くなりお腹が裂けそうで、歩く時は両足を開いて歩かなければならないほどでした。私は完全に絶望しました。母方の祖母も、母も、2番目の弟も肝臓病で亡くなり、このような家系では私も同じ道をたどると思いました。苦しみに付き纏われた私は、早く死にたくても死ねないし、元気を取り戻すのもまったく望みがなく、精神的にも追い詰められ生きる自信を失いました。

 その後、私は呼吸困難になり、お腹の張りで肺が圧迫され、息が切れそうになりました。病院に行きたいと思いましたが夜中で、妻は家を空けていました。恐らく私の死後の事を準備するために親戚に相談に行っていたのでしょう。息子を見たら、ちょうどぐっすり寝ていました。息子も一日疲れ切っているから起こすのも辛く思い、自分はこの苦しみを辛抱するしかないと思い、その時は、本当に1分が1年のように長く感じました。

 私は号泣し、この大法は本物でしょうか、それとも偽物でしょうかと泣きながら考えました。本物と言うならば、法を聞くと確かに一時良くなり、発病した時、同修達が発正念をしてくれて、確かに痛み止めの効果がありました。大法は効果がないとは言えず、明慧ネットの資料にも同じ実例がたくさんありました。師父は私を管理されているのではないか。大法は人を選んでいません。言えるのは、真に修めていない自分が悪く、固く法と師を信じていない自分が悪かったのです。しかし、今から着実に修めようとしても間に合わないし、もし、再びチャンスを与えてくれるなら、どんなに良いことでしょう、と後悔の涙を流しました。私は泣いて、泣いて、泣きながら眠りにつきました。目が覚めた時、呼吸は穏やかになり、大きなお腹も小さくなり、体が軽やかに感じました。私は急いでトイレに行き、下痢をし、真っ黒い水を下しました。

 夜が明けて、家族は皆私を見舞いに来ました。私は彼らに「ほら、元気になりました。師父は私を管理されるようになりました。ご飯を食べたいのだが」と言うと、家族は私の軽やかな動きを見て、皆号泣して喜びました。

 村人は家人の泣き声を聞いて、私が死んだのではないかと思って、皆集まって来ました。しかし、家に入ると、私がむしゃむしゃ食べているのを見て、皆びっくりしました。私は皆に「今から、私は大法の修煉者になり、大法のために生きます」と言いました。

 数日後、私は郷、鎮の大通りや路地に行き、自ら体験した大法の素晴らしさを話し、三退を勧めると、真相を聞いた全ての人が大法の威力に敬服し、三退をしました。ここで会った知り合いが「先ほど、あなたが腹水でもうだめかもしれないと皆で話をしたところだった。目の前に現れたあなたが幽霊かと思ったわ。こんなに早く治おりびっくりした。あの病気になった人はほとんど死んでしまい、治った人を見たことがないよ」と言いました。

 私が死にそうになった情報は、村々で広く伝えられ、親戚や友人、知人が走馬灯のように私を見舞いに来ました。私が生き返った情報は、また雷が落ちたようにすぐに広まりました。「あの死にそうだった弁護士さんが大法修煉をやり直して、肝臓の病気が治ったのを私は見たよ」と噂がたちまち村中に広まりました。

 私は直ちに学法と煉功を再開し、そして「真・善・忍」に基づいて厳しく自分を律しました。思いがけない心性の関門が次から次へとやって来ました。毎回トラブルが来ると私はすべて内に向けて探し、修煉のいいチャンスとみなし、誰に対しても怨恨の心を持たずにいました。関門が一層大きくなると私もますます厳粛に対応し、それを師父から頂いた業を消去する絶好のチャンスと見なしました。こうしてはじめて人心を取り除き人間の殻を破り、一歩一歩と向上し、人間から神に向かって行けるのだと思いました。心性の関門を一つ一つ乗り越えて来ると、その都度、私の体は回復し、健康を取り戻し、とてもしっかりとした身体になりました。

 私の瀕死の状態から生き返って来たことと、その後の心性の変化について、二つの郷、鎮の同修と交流しました。私の修煉体験はとても良い波及効果をもたらしました。その後、嬉しいことに、200人以上の昔の同修が、再び法を正す師に手伝う大きな流れに戻って来て、修煉をはじめました。

 師父に感謝致します。

 合掌
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/5/337595.html)
 
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