明慧法会|産婦人科医師の修煉物語
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文/中国の大法弟子 追遠

 【明慧日本2016年12月19日】法輪大法を真に修煉するすべての人、師を助けて法を正してきた大法徒は、困難と苦しみに満ちた歳月のなかで、風雨を伴う路を歩んできて、みな素晴らしく心に深く留めた不思議な物語を持っていると思います。ここで私は自分の物語を述べます。

 私は今年60歳の臨床産婦人科の医師です。党幹部の家庭に生まれ、両親は共産党が権力を奪った時、北方から南方へ派遣されました。私は幼い頃から無神論を注ぎ込まれ、かつ文革の期間中、父親は資本主義を謳う実権派に打たれ、造反派が家宅を捜査し、父親は牛小屋に入れられ、大きな看板を首にかけられて、トラックに載せられ、町をひきまわされ、批判され、糾弾されることを目にしました。

 当時、幼い私はこの社会の変化を理解することができず、世間が非常に嫌いでした。このような環境で成長した私は自然に怒れる若者になりました。身体の状況はいうまでもなく、すでに弱々しくなっていました。毎度私が病気に見舞われて、文句を言う時、父親は苦しく辛い心理状態のなかで「私達一家が文化大革命のなか、無事に生きてこられたことはすでに非常に幸運なことだ」と言ってくれました。多分、同年齢の人たちと比較して、これらの魔難があったから、私は人生、社会、周囲のすべてに対して少し多く考えるようになりました。人は何のために生きているのか? なぜこれほど多くの苦難に遭わなければならないのか? 人は一体どこからきたのか? 死後、どこへ行くのか? この地球上で最初の人間はいかにして生まれたのか? 先に鶏があったのか、それとも卵があったのか? などなど。無数の「なぜ」が私の頭のなかでひっくり返っていました。たくさんの書籍も読みました。私は職業が医師だったため、人体研究に従事していましたが、終始満足のいく答えは見つかりませんでした。私は心身の疲労を感じ、この世間でしきりにもがき、しきりに探しました。

 私はこの世で最も幸運な人、最も幸せな人

 私が従事しているのは西洋医学であり、大学で学んだのは人体解剖、生理、生物化学、微生物、臨床医学などであり、実証科学の範疇に属します。幼いころから、無神論の教育を受けた私がどうやって気功修煉をはじめ、佛、道、神の存在を信じるようになったのでしょうか。そして、始めたら、なぜいつまでも改心しないのでしょうか。

 私には姉がいますが、怠けて性格が悪く、慢性病のほとんどを持っていました。1994年末に、姉が法輪功を始めました。姉は私に法輪功がいかにすばらしいかと教えてくれましたが、無神論の影響を受けて、私は真面目に考えませんでした。

 姉は法輪功を始めてから間もなく、巨大な変化が起きました。謙虚になり、喜んで人を助け、病気がなくなり、皮膚は白く赤みが差してきました。姉の心身ともに発生した変化は、私の医学観念をひっくり返しました。それまでの慢性病、病院ではよい治療方法が見つからなかった病気が、どうして煉功したら治ったのか? 父親はしきりに「法輪功は本当にすばらしい! 私の娘を徹底的に変えてくれた!」と褒め称えました。

 私は急いで姉から法輪功の書籍を借り、徹夜して『法輪功』を読みました。翌日、出勤すると、私は退勤する時間を1分1秒と待っていました。再びこの本を読みたくてたまらなかったのです。私は法輪大法の博大で、奥深い法理に惹きつけられました。早く出会えばよかったと思う感覚は言葉で語ることができません。師父よ、わたしはやっとあなたを見つけました! 私は必ずあなたについていきます! 

 師父が書籍で説かれた超常的な反応は、すべて私の身に現れました。1回目を読み終えたら、身体を浄化する反応が現れ、吐いたり、下痢したりして、ひどい風邪をひいたようで、全身が寒くなり、筋肉がだるくて痛く、その症状が何回も繰り返しました。その後、同修の自宅で師父の説法ビデオをみました。師父の説法の声の高さの変化に、私は強大なエネルギーを感じ、そのエネルギーは私の身体の深いところまで打ち込まれました。私はずっと病気だらけで、ずっと身体が軽い無病状態とはどんな状態か知りませんでした。師父は私にその状態を感じさせてくださいました。その心地よさ、その浮き浮きするようなすばらしさ! 師父はまた私に法輪を植え付けてくださいました。半年以上の間、私は少し心を静めると、下腹部の法輪が左に9回、右に9回回転しているのを感じ取りました。天目が開く時、前額が腫れ、きつくなり、強大なエネルギーが外へ突き出ていき、その後、自分が馬に乗って走っているように感じました。それから、また金色の透明な法輪が家のなかで旋回していることや、師父の法身が現れるのもみました。常にどこを触っても帯電しました。仕方なく手袋をしてから家を出ました。しないと人を感電させてしまいます。寝る時は暑くて布団もかけられず、大小周天が通る時、頭が頷き、左右に揺れ、身体が地面を離れる感覚を覚えました。師父はまた灌頂をしてくださいました。時には頭から足まで強大な熱い流れが全身を走りました。

 私は仕事のため、師父の広州での国内での最後の講習会に参加できませんでした。これは私の人生において最大の遺憾です。私は師父にお会いしたことはありませんが、私が真に大法を修煉すると、師父は私の面倒をみてくださいました。師父は弟子たちに「あなたが香港に行こうとアメリカに行こうと月や太陽まで奔走しようと、私の法身はすべて保護することができます」[1]と説かれました。師父のすべての言葉は真理であり、すべて天機で、間違いありません。これらの体験を振り返る時、私は比類なく興奮します。師父に対する感謝の気持ちは言葉で語ることはできません。全世界に70億人以上の人がいるなかで、私が師父の弟子になり、法を正す時期の大法弟子になったことは、比類なく幸運で、無上の光栄だと感じています。

 真・善・人を人間としての基準にする

 大法の書籍をたくさん読むことにより、私はたくさんのことが理解できるようになりました。師父の語られた大法の法理、真・善・忍をもって、人と接し、喋る時、仕事をする時も他人のことを考慮し、トラブルに遭った時、うちに向けて探し、こつこつと自分の仕事を行い、みなから好評を得ました。

 一度、杖をついている身体障害者が治療にきました。彼女は「先生、避妊リングを取り出したいのですが、少ない費用で取ることはできませんか。私はあまりお金をもっていないのです。この避妊リングはすでに私の健康に影響していますので、取り出さないといけません」と言いました。私が勤務する医院は比較的大きな総合病院ですが、都市の端に位置しているため、患者が少なく、それに管理もよくできず、収益状況はよくありませんでした。上層部がノルマを決めたので、多くの医務人員はノルマを完成させるため、患者からなるベく多く費用を徴収するようにしていました。私は彼女が確かに非常に困窮しており、手術は直ちにやらないといけないのをみて、同情心が自然に生まれ、最低の料金で彼女に手術をしてあげました。彼女は私に非常に感謝しました。

 後になって、主任がこのことを知り、私に「あなたがこうして善の心を動かすと、私達のノルマはどうやって完成させますか」と詰問しました。私は主任に「差額は私が出します」と言いました。その後、あまり長い期間が経たない内に、その患者は自分の友人を数人つれてきました。こうして、口コミ効果で、無数の患者が増え、収益状況も自然に好転しました。その後、主任と同僚はみな私を褒め称えました。「あなたは本当に能力がありますね。あなたの患者1人の後ろに10人、100人の患者がいますから」と。これはすべて私が大法を着実に修めてから、病院にもたらしたメリットです。もちろん、患者も医務人員も、このことを通じて「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」を知ることができました。

 私は修煉する前、あまり仕事をしたくなく、時には患者を人に診てもらうようにしていました。修煉してから、人としての基準が変わり、「真・善・忍」にしたがって、良い人を目指し、患者からお金(医療費以外に、医者などへの贈賄)を受け取らず、真心で患者のために考えたため、私に病気を診てもらう人が特に多かったのです。非常に遠いところから、名を募って来る人もいました。ある看護師はこう言いました。「主任に話して、あなたに接待室を用意すべきですね」と。私はほかの医師より治療レベルが高いわけでもなく、ただ心のなかに大法があり、真心で患者のために考え、患者の立場から彼らのために苦しみを除いてあげるだけでした。

 私の思想境地が向上すると、身体にも巨大な変化が起きました。以前、私の体質は非常に悪かったのです。産婦人科の医師は良好な身体を持たなければならず、手術を始めたら、数時間立っていないといけません。その度に、私は常に顔が蒼白になり、何回か虚脱して、手術台のそばで卒倒しました。私はどうしても耐えられず、常に仕事を変えようと思いました。大法を修煉してから、卒倒することがなくなりました。60歳近いのに、手術する時、眼鏡が要りません。元院長の奥さんさえ「あなたは変わりましたね。無力なお姉さんから、元気いっぱいになり、人を見る目つきさえ以前と違います。あなたの変化をみると、この功は絶対すばらしいです」と言ってくれました。

 私の心身に発生した巨大な変化をみて、たくさんの親戚、友人と同僚は「あなたはなにか美容法をしましたか? それとも皮膚を変えましたか? どういうスキンケア用品を使っていますか?」と質問しました。私は「みなさんがおっしゃっているものを私は一切使っていません」と答え、彼女らに「私は法輪大法を修煉しています!」と伝えました。私のまわりの友人らはみな「このお姉さんは本当に変わった」と言いました。私と大変仲の良い友人は私を「侠客」と呼びました。私の周囲の多くの人が大法を知り、一部の人は大法の修煉を始め、最終的に師を助けて法を正す同修になりました。私たちは互いに励ましながら、今日まで歩んできました。

 すべての人に告げる 「法輪大法は正法です」

 1999年7.20以後、テレビでは毎日大法を中傷する番組を放送し、すべての会社では誰が法輪功をやっているか詳しく取り調べており、同修らは巨大な圧力に耐えていました。まるで文化大革命が再びやってきたようでした。当時、私はどうしても納得がいかず、どうしてこんなやり方を取るか理解できませんでした。絶対、どうかしていると思いました。これほどすばらしい大法を広く宣伝するのではなく、逆に弾圧するとは、私は気持ちが意気消沈していました。

 私はどうすべきか? 文化大革命のときの「私達一家が文化大革命のなかで、無事に生きてきたことはすでに非常に幸運なことだ」という父親の言葉が頭に浮かんできました。当時、母親は年を取っていて、娘はまだあまりにも小さく、面倒をみてくれる人が必要でした。夫は知名度の高い大学で博士を指導していて、業務院長を勤める地位のある人でした。夫は耐えられるのか? 私はその年ちょうど昇進の評定を受けるところでした。以前は特殊な原因ですでに1回機会を逃していました。今回やっとの機会がやってきて、外国語とコンピュターの論文はすでにパスしていました。残ったのは、形式的に審査委員会の審査を受けるだけでした。10年間の資格と経歴、及び優秀な論文を書いていましたので、昇進はまったく問題ではありませんでした。それにその年、私はまた先進従業員に評定されていました。

 私は非常にはっきり分かっていました。私が立ち上がって、本当の話をすることが何を意味するか、家族にどれほどの苦しみをもたらすか、共産党が人を迫害する手段についても私ははっきりと知っていました。

 1999年8月末、私は故郷に行き、そこで親戚を訪問中の母親を迎え、ついでに佛教の景勝地の一つである、五台山に登り、落ち込んだ気持ちを変えようとしました。山の上で80歳の高齢の和尚に会いました。彼は私をみながら、「仏祖はあなたを守ります」と言いました。周囲の観光客は彼に法輪功はどういうことかと尋ねました。彼は「法輪功の師父は人を済度しにきました。山の下では罪を犯しています、罪を犯しています、罪を犯しています!」と言いました。年配の和尚の話は私を励ましてくれました。彼は一人の仏教徒なのに、それほど危険な状況下で、世の人々に大法の師父は人を済度しにきた覚者であると、言う勇気を持っている、私は師父の弟子だ、私には立ち上がり、大法を守らない如何なる理由もないと悟りました。

 私は、必ず立ち上がろうと決めました! 私は考えを母親に告げました。私は北京へ行き、陳情しますというと、母親は私の話を聞くと直ちに「あなたは狂ったの! 一旦行ったら、命が残るかどうかも問題で、私は同意しない!」と強烈に反対しました。自分の子供を虎口に送ろうとする母親がどこにいるでしょうか。

 母は1996年に突然脳梗塞を患い、顔も歪みました。身体は半分麻痺していました。医者は母に半年間で回復できる可能性は低いと告げました。仕方なく、母は私達姉妹と一緒に法輪功をやりました。想像もしなかったことに、母は20日で完治しました。医者も不思議だと言いました。母は冷静になり、「あなたの選択が正しいと知っている、私が子供の面倒をみるから、安心していきなさい」と言ってくれました。その瞬間、私はものすごく感動しました。私は母をしっかり抱きしめ、「あなたは世界で最も偉大なすばらしい母です! 私は無事に戻ってきます」と言いました。

 2000年3月、私は同じオフィスの若い看護師と一緒に、夜勤が終わり、休んでいる間に、度重なる関門を突破し、困難をたくさん経験して、やっと北京の陳情オフィスの正門に辿りつきました。しかし、そこは陳情オフィスとは言えないところで、いたるところに私服警官がいて、いたるところにパトカーと警官がいました。誰もが陳情オフィスの正門を入ろうとするとすぐ捕まえられ、そこはまさしく刑務所の正門でした。私たちはたくさんの面識のない同修が依然として、勇気をもって中に入っていくのをみました。私達2人はやっと着いたのに、言いたい言葉を言えず、捕まえられることに気がすすまなかったのです。

 ちょうど私達が次にどうすればよいか悩んでいる時、現地のお爺さんが私達の前にきて、「お姉さん、あなた達は心の話をしたいのですか。1カ所教えるから、そちらに行けば絶対話せる!」と言いました。お爺さんの誠意を感じて、私たちはアドバイスを聞き入れました。小さな旅館を探して、陳情の手紙を再度整理し、きちんと書き直しました。翌日、教えてもらった住所に行きました。若い兵士が銃を担いで見張りに立っていました。私達が来意を説明すると、彼は「お姉さん、あなたたちはこれほどよい仕事、よい家庭があるので、私の言うとおり、帰ってください。みなさんもご存知の通り、私が中へ報告すると、あなたたちはすぐ…」と言いました。「私達も知っていますが、それほど考慮することができません。慌てて家を出たので、帰りの旅費もないのです」と答えました。

 彼は優しく、私たちに旅費をあげると言い、私たちに速くそこを離れさせようとしました。私たちの態度はきっぱりしていて、必ず心の願いを実現しようとしました。彼は私たちを説得することができないことを見て、中へ電話しました。すばやく3人の背が高く、体格の大きい、威風堂々とした男性警官が出てきました。彼らは私達を中へ連れていき、たくさん尋問しました。私達の来意を知り、記録もしました。私たちは彼らに私達の陳情の手紙を中央に届けてくれるよう希望しました。おそらく私の勇気と穏やかな心に感動したのか、彼らは私達を困らせることなく、「あなたたちは本当に勇気がありますね! 本当に偉いですね! ここがどこか知っていますか?」と言いました。私は非常に落ち着いで「本当にここがどの機構か知りません。みたところ、陳情オフィスではなさそうですね」と答えました。ひとりの警官が大真面目に「ここは弾薬庫です!」と言いました。私は心のなかで、ここは必ず特別な機構だろうとヒソヒソ話しました。私は「ここがどんなところであれ、人が真相を知り、法輪大法は正法であると知ることができれば、私たちは無駄足を運んだことにまりません」と答えました。

 私たちは彼らに大法を修煉してからの心身の変化を述べました。彼らは非常に真面目に聞き、また多くの疑問を出しました。私たちは一つずつ回答しました。話し合う間、雰囲気はますます穏やかになり、リーダの警官は私たちの陳情の手紙がよく書けて、レベルが高いと褒めました。彼は「江沢民はそれほど高い地位にいるから、私達にも手が届かないです」と言いました。当時、男性警官が電話をかけようとしていましたが、そばにいた女性警官がパッと電話を差し押さえ、「彼女らを北京駐在オフィスに送らないでください。彼女らが来なかったことにして、勤務先に迎えにきてもらえばよいでしょう」と言いました。

 大法の慈悲な力に感動して、彼らは敬服の目線を送ってきました。1人の警官が両手で私にお湯の入ったコップを渡してくれながら、「飲んでください。家を出て、数日経っているから、疲れているでしょう」と言いました。また私たちに、彼らに煉功をして見せるように依頼しました。私は非常に穏やかに一式の功法をやりました。数人の警官(男女)は静かにみてから、「あまりにも美しい、人が美しいし、功法も美しい」と絶賛しました。

 彼らは善意で私達を会社に迎えてもらいましたが、会社は私達を見逃しませんでした。彼らは私たちに手錠をはめ、病院に戻ると、精神病室に監禁し、大量の人力、物力を費やして、私たちに法輪功に対する信仰をやめさせようと企みました。彼らが私たちを教育しようと按排した多くの人は私達の説明を聞き、法輪功の真相を知りました。彼らは毎日私たちに認識を書かせました。私たちは自分の修煉体験を書きました。そこで半月間監禁した後、彼らは何の効果がないのをみて、私達を女子労働教養所へ送り、半月拘禁しました。私が帰宅した時、母親は感激して、「えらい! 師父の保護があるから、あなたが無事に帰ってくると信じていた!」と言いました。

 今回の試練を経て、私は仕事に復帰しました。真相を知った同僚らは凱旋して帰ってきた兵士を迎えるように私たちを迎えてくれました。気持ちが高ぶり、私と抱き合う人もいました。「あなたはやっと帰ってきましたね!」と言いました。今回の体験を通して、私は、大法徒は宇宙の真理を守る使者であり、師を助けて法を正し、衆生を救い済度する使命を背負っている、私達には世の人々に真相をはっきり伝える責任があると更に深く感じました。

 その時から、私は親族、友人、クラスメート、学生を含めた、まわりのすべての人に真相を伝え始めました。その間、たくさんの忘れられないことが発生しました。一度、病室を巡視していた時、よく知っている人に法輪功の話をしましたが、となりにいた患者はびっくりして、飛び上がらんばかりでした。非常に驚いた彼女は私に「あなたはこれほどすばらしいのに、どうして法輪功学習者なのですか?」と聞きました。私は彼女がテレビのでっち上げに影響されたと知り、中国共産党の自作自演した天安門焼身自殺の茶番劇が彼女の思惟を混乱させたと知っていました。私は彼女に「ほかでもなく法輪功を学んだので、これほど素晴らしく変わりました。私は本当の法輪功学習者ですよ」と伝えました。また彼女に天安門焼身自殺はどういうことかを伝えました。彼女はしばらしくしてやっと「なるほど、きょう私ははじめて本当の法輪功学習者に会いました」と言いました。

 臨床の仕事のなかで、私たちは学生を指導する義務があります。私が彼らを指導した後、学生らはみな好奇心をもって私に、「先生の授業は大変すばらしく、イキイキしています。先生はまた非常に人付き合いがよく、私たちはまた先生にみてもらおうとやってくる患者が沢山あることも目にしました。技術もこれほどすばらしいのに、なぜ主任医師に抜擢されていないのですか?」と聞きました。私は平然として、「私が法輪功の信仰を放棄しないため、彼らに否定されています」と答えました。彼らは私に非常に同情しました。私は彼らに「修煉者にとって、これはみなどうでもよいもので、放棄できないものではなく、私が持っているものは更に素晴らしいものです。主任に抜擢されなくても、病院の院長から医師、看護師、及び患者から尊敬の言葉で『主任』と呼ばれています。私のこの『主任』はみなが封じてくれましたので、何よりも光栄です」と答えました。彼らはみな医科大学の学生だったので、天安門焼身自殺については、少し疑問点を説明するとすぐ分かってくれました。

 一部の学生は私に「私たちがこちらにインターンにくると、病院側はどの課に法輪功がいるから、あなた達は気をつけて、接触しないようにしてください」と告げられたと言いました。私から真相を聞いた一部の学生は『轉法輪』を読み、非常に大きな反響がありました。一部の男子学生は読んでから、私に「この書籍は大変不思議です! この本を読んでから、タバコを吸うと苦い味がします。本に書いてあるように、もう吸えません」と言いました。私は彼に「あなたは私から『轉法輪』を借りて読んで、喫煙できなくなった3人目です、タバコをやめましょうか」と伝えました。彼は「そうします」とすんなり受け入れました。彼はこの書籍を手元に残したく、私に「この本は私にたくさんの道理を教えてくれました。私はなぜ私のお爺さんがいつも功能で人の病気を直してあげたのに、自分自身がそれほど苦しく、それほど早くこの世を去ったかわかりました。本のなかに答えがはっきりと書いてありました」と言いました。私は「本を持っていてください。大事にしてください!」と伝えました。

 私は医師という立場を利用して、世の人々に法輪大法は正法であると伝え、たくさんの患者が真相を知ったあと、いつも家族全員で三退しました。こういうことがあります。私は1人の患者を治療しました。手術する必要がありましたが、手術の前に親族のサインが必要でした。彼女は私に「夫とは仲が悪く、別居しています。サインする人がいません」と言いました。私はひそかに彼女の夫に会い、彼を説得しました。彼女の夫は病院にきて、サインしただけなく、彼女の病気が治って、退院するまで面倒をみてくれました。半年後、町で彼女に会いましたが、彼女は私を抱きしめ、「あなたは本当にすばらしいです! 法輪大法は本当にすばらしいです! 先生は私の病気を治療してくれただけでなく、私の家庭も救ってくれました。ありがとうございます! 法輪大法の師父、ありがとうございます!」と言いました。近年、世の人々に法を広め、真相を伝えるなかで、このような感動的な例はたくさんありました。

 大法は医学の奇跡を作り上げる

 数年前のある日、私の友人が彼の友人の徐という女性を連れて、私のところにやってきました。徐さんは40歳くらいでしたが、兄と妹に支えられて、私の前までやっと歩いてきました。彼女は顔色が青白く、まだ何も言ってないうちに、座ろうとしました。私は慌てて彼女を支えて座らせました。みたところ、非常に重い病気でした。友人は、彼女はひとりで娘と一緒に生活しており、ほかの病院で末期の子宮がんがわかり、大変可哀想だから、私に助けてほしいとのことでした。一つは再度診査して、本当に癌の末期でると確認すること、もうひとつはあなたのその功法はすばらしいから、彼女に教えてほしいということでした。私は友人に「安心してください、全力を尽くします」と約束しました。

 私は彼女のために身体検査を行いました。子宮頸癌はすでに正常なサイズより何倍も大きく、ぼろぼろになって、カリフラワーのような形で、触ると血がでました。骨盤腔は堅い板のようで、すでに正常な構造がありませんでした。医学上「結氷の骨盤」といいます。典型的な末期子宮癌で、すでに手術のしようがありません。診断結果を確認するために、病のところから肉を取り、化学検査をしました。報告がすぐ出ました。臨床診断の結果と同様で、前の病院での診断結果とも一致しました。彼女は結果を知り、失意のどん底に落ち、泣きながら「先生、私はまだ40歳です。私が死んだら、娘は頼る人がなくで、どうしたらいいでしょうか?」と言いました。私は「私たちは最善を尽くして、あなたの生命を延長します。まず、腫瘍科に行き、化学療法をしばらくし、手術ができるかみてみましょう」と言いました。現代医学では彼女を救うことができず、彼女の命はカウントダウンされていました。

 私は彼女が友人に「あなた達は私に会いたければ、早めにきてください。私の残りの時間は長くないです」と言っているのを聞きました。私は彼女の立場に同情し、彼女を慰めて「あまり絶望しないでください。あなたが救われる路がひとつあります。あなたが信じるかどうかにかかります」と言いました。彼女は目を開けて、「先生、早くおっしゃってください!」と言いました。私は彼女に法輪大法の超常さを伝え、たくさんの例を伝えました。彼女は非常に真面目に聞き、悟性がよく、信じました。私は彼女に「法輪大法はすばらしい」と念じるよう告げました。彼女は毎日念じました。彼女に『轉法輪』を1冊貸してあげると、彼女は毎日読み、時間があると真相資料を読みました。彼女はもう私を先生と呼ばなくなりました。「お姉さん、ひとつお願いがあります。あなたが当番の時は、必ず私のところにきてください。私に法輪大法の修煉のことを教えてください。私はとても好きです。聞けば聞くほど、心地よく感じます」。私は彼女の変化がこれほど大きいことにとても驚きました。彼女はうれしそうに小鳥のように、朝歯磨きをする時にも鼻歌を歌っていました。医療関係者は理解できませんでした。末期がん患者がどうしてこれほど嬉しそうなのか? 本当にめずらしいことでした。

 数日後、彼女の担当医が私に言いました。「あまりにも不思議です! 再び検査したら、塊がなくなりました! 彼女が数日間化学療法を受けたとしても、これほど短い数日間ではありえないことです」と。彼は微笑んで、「あなたが毎日彼女の見舞いにきているのをみて、私たちはみな心のなかでどういうことか知っています。本当に不思議です!」と言いました。

 彼女は安心できず、1カ月後、腫瘍の専門家にみてもらいました。専門家は「どこに癌があるでしょうか? 冗談でしょう。すべて正常なので、手術する必要もありません。絶対あなたたちの病院が誤診しました!」と言いました。病理検査は腫瘍を診断する最も信憑性のある基準です。彼女は二つの病院で病理検査を受けて、末期の子宮癌と診断され、入院した時、典型的な臨床症状と各化学実験結果も末期の子宮癌に間違いありませんでした。彼女は事実を専門家に伝えました。専門家はまったく彼女の解釈を聞き入れず、「あなたは病気がないのに、病気を招きたいのですか! あなたがどうしても私を信じないなら、こちらでもう一度検査を受ければ」と言いました。その結果、彼女は本当にもう一度細胞学検査を受けました。彼女は正常と書かれた結果を手にして、心から喜びながら、私に電話をかけて、そこで発生したことを教えてくれました。彼女は「専門家は私の以前の状況をはっきり知らず、どう伝えても信じてくれません。しかし、私ははっきりと分かっています。お姉さん! 私は帰宅したら、大法の師父に高い香を焚きます!」と言いました。

 当時、私はちょうどグループ学法に参加していましたが、この嬉しい話を聞き、同修はみな涙を流し、相次いで師父に香を焚きました。

 この生々しい例は、私がその後、法を広める際に積極的な働きをしました。この患者と接触した医療関係者は皆大法の不思議さを目にし、ひそかに法輪功の神の奇跡を伝えました。

 数年後、私はバスのなかで、徐さんの妹に会いました。彼女は「姉は現在すごく元気です。友人と一緒に工場を経営しにいきました。姉は先生に会ってあまりにもたくさんの福をいただきました。本当に感謝します!」と言いました。私は急いで「私にはそれほど大きな能力なんかありません。感謝するなら、私たちの師父に感謝してください。大法が徐さんを救いました」と答えました。

 産婦人科はリスクが高い専門です。手には2人の命を握っています。医療ミスが発生することはどうにも防ぎようがありません。仕事のなかで、少しの間違いも起こさない事は非常に難しいのです。私は大法を修煉してから、ずっと医療トラブルが発生していません。難しいことに遭っていないわけでなく、毎回非常に難しいこと、危険なことに遭った時、いずれも順調に解決できただけです。私は、師父がずっと私のまわりで私を助けてくださっていると固く信じています。

 一度、私と同僚が永遠に忘れがたいお産の体験があります。いま振り返っても、胸がドキドキし、ハラハラします。

 その日は私が当番でした。1人の妊婦がお産を間近に控えていましたが、一人目の子は若死して、今回は貴重な赤ちゃんでした。検査の結果、すでに1回安産したことがあり、産道には問題がなかったのですが、胎児があまりにも大きく、帝王切開をしないと危険でした。しかし、彼女はどうしても手術に同意しませんでした。普段胎児はうつむき姿勢で生まれますが、観察すると、この胎児は仰向きでした。私は再び彼女に帝王切開を勧めても、彼女は手術を受けようとしませんでした。どうしても自分で生むと言いました。その後、胎児の頭はやっと出てきましたが、胎児があまりにも大きく、肩が引っかかって、出られなくなりました。時間が1分1秒とすぎました。胎児は顔色が赤から青に、また白くなりました。現場にいた医師、助産師、看護師と私を含めた、6、7人は慌てて、押す人、引っ張る人、なすべきことはすべてつくしました。でもだめでした。みな、この子はもうすぐだめだと知っていました。どうしよう。私は一瞬冷静になり、直ちに心の中で師父に、「師父! 私を助けて、この子を救ってください! 彼をほかの空間から出てくるようにしてください」と願いました。この念が出ると、赤ちゃんは出てきました。しかし、危険状態に陥っていました。短い救急措置をとると「ワー」と赤ちゃんがはじめて泣きました。この声を聞くと、私はすぐ力が抜け、動けなくなり、椅子に座ってしまいました。彼はどうやって出てきたのか? 頭部難産、肩の難産だったのに。4800グラムの大きな赤ちゃんでした。若い医者が「すごい! あなたは我が課室の決めものです!」と言いました。事後、ひとりの助産師が私に「私は本当にあなたの落ち着きに敬服します!」と言いました。私はすぐ彼女の話を止め、「そう言わないでください。私の忍耐力はもう極限に至り、このようなことは二度とあってはいけません。あなたに教えますが、最後の瞬間、私は師父にお願いして、解決したのです」と告げました。

 その妊婦が退院する時、私は彼女に聞きました。「あなたは出産の日、どうして帝王切開を受け入れず、どうしても自分で産もうとしたのですか?」と。彼女は「私が入院する前、隣近所の人は私に、病院のあの法輪功の人に頼めば、絶対解決してくれるよ! と教えてくれました。私はあなたが必ずできると固く信じていましたので、自分で産もうとしました」と答えてくれました。 

 私はこれほど長く大法を修煉するなかで、師父はずっと私を守ってくださり、たくさんの神の奇跡が私のまわりで発生しました。医療上不可能なことが可能になりました。ひとりの年配の女性は避妊リングを二十数年間、着けていて、すでに筋肉の中に入り込んでいました。三つの大病院に行きましたが、取り出すことができず、長い間腰痛に苦しんでいました。お腹も痛かったのです。私は彼女に「法輪大法はすばらしい! 真・善・忍はすばらしい! と真心で念じれば、大法の師父はあなたを守ってくださいます」と伝えました。10分経たない内に、私は彼女を助けて順調にリングを取り出しました。

 40歳近い農村部の女性は、私のクラスメートの従姉妹でした。生育ができず、夫に捨てられ、再婚しても子供を生むことができませんでした。すべての貯金を使い尽くしても、無数の大型の病院に行って、みてもらっても治りませんでした。医師は彼女に希望がなく、試験管ベィビーを考えたほうがよいと告げました。私は師父の『轉法輪』を彼女に読ませました。しばらくして、彼女は放し飼いの鶏が産んだ卵をひと籠もってきました。病院にきた彼女は十数人の三退リストももってきて、妊娠したと教えてくれました。彼女は100人民元で『轉法輪』を買おうとしました。私は売らないと答えると、彼女はぎょっとしました。私は彼女に差し上げると伝えました。彼女は大喜びしながら、私に感謝しました。

 私にできることは何でしょうか。大法を修煉して、私はたくさん恩恵を受けました。真相を知った人々もたくさん恩恵を受けました。私は常に彼らに「真心で法輪大法はすばらしい! 真・善・忍はすばらしい! と念じると必ず神が保護してくださいます!」と伝えます。

 私の物語はここで終わりにします。これほど長い間の修煉の物語を述べようとすると、三昼夜語っても、語りつくせません。書き出すと非常に厚い書籍になるでしょう。私はただ普通の医師です。自分の仕事環境を利用して、大法を実証し、まわりの友人と同僚、患者に法輪功の真相を知らせ、救い済度されるようにしただけです。師父の教えがなければ、今日の私はいません。師父の済度に感謝します! 大法に感謝します! 

 私はあまり文章をよく書くことができません。ただ自分の真実の修煉の物語を述べているだけです。師父に修煉の結果を報告し、同修に私が法を得てから修煉して成長した過程を分かち合いたかったのです。不適切なところがあれば、同修らの慈悲なる指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/11/6/337152.html)
 
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