師尊のあたたかい恩に感謝します
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年12月21日】私は1998年に、法輪大法の修煉を始めました。この数年間、修煉する中で、師尊はずっと加護してくださり、今日まで歩んで来れました。修煉する過程で出会った一つ一つの出来事を思い出すと、師尊のご恩に感謝しない日はありません。

 私の学法のやり方

 私は北京に行って住み込みの仕事をしていた時、法を得ました。その時、法輪功がどんなものなのか、少しも知りませんでした。同室の人が法輪功をしていて、私が双盤していたのを目にし、何の功を練っているのか聞かれ「何の功も練っていません。ただ心をしずめているだけです」と言うと、彼女は1冊の本『法輪功』(改訂版)を差し出し「読んでみてください」と言いました。用事が無い私はすぐに読んでみると、中に人は「真・善・忍」に従ってどのような人になるのか、どのように事に対処するのかが書かれていました。今までこのような話を聞いたことがなく、ただとても良いと感じ、読み終わって翌朝から、彼女と一緒に座禅をすると、終わってから「どうだった?」と聞かれ「少し怖かった」 「なぜ怖いの?」と尋ねられた私は「一塊の透き通った赤い光がずっと私を取り囲んでいたから。そして、身体がポカポカと暖かかく、とても気持ち良かった」と答えました。彼女は「あなたはとても縁がある人ね」と言って、大切にしていた本『轉法輪』を、私に贈ってくれました。これが法輪功を習っていた時に感じた不思議さと、第一印象でした。

 家に帰って本を読むと、中に書かれてある言葉「この大法は修め煉ることを必要とし、修が先で、煉は後である」[1]ことを知りました。その時「そうしたら私は先に本を読もう。それから煉功しよう」と思いました。このように毎日大法の本を手に取っては学びました。私の学法は他の人と違って、朝の8時からずっと午後の4時まで学んでも、まだ1講を学び終えませんでした。なぜなら師尊の一言の法にも裏にはたくさんの意味があって、理解するのにとても長い時間がかかるからです。私はとても長い時間を費やして、やっと読み終えました。『轉法輪』を学び終わった後、今まで知らなかった多くの問題を、師尊は分かるようにしてくださいました。その中で多くの問題に対する質問が出てきましたが、2回目を読んだ時に、知りたかった問題の質問が分かるようになりました。ですから私は1回、また1回と読み続け2カ月後に、やっと煉功することを思い出しました。

 煉功で不思議なことを体験する

 私は初めから双盤で30分の静功ができ、30分を過ぎると脚が痛くなり始め、それから毎日、1分1分と時間を伸ばし、我慢出来ない時は「あと1分だけ、あと1分だけ」と言い聞かせ、痛みに耐えました。こうして、そう長くかからないうちに、1時間の双盤が出来るようになりましたが、煉功を始めたばかりの時は、入静出来ませんでした。ある時、集団洪法に参加した私は、最前列に立ち太陽に向かって煉功しました。頭前抱輪(頭の前で法輪を抱えるポーズ)の時、前額が突然膨れ上がる感じがし、それがずっと膨らんで膨らんでぱっと一気に弾けました。そして回転しはじめ、とても早く回転し、鮮やかな赤色をしていました。それから毎日抱輪をすると、まるで大きな木の杭を抱いてるようで、少しも疲れず、身体は全く動かず、次の功に移る時にやっと動けるようになります。頭頂抱輪(頭上で法輪を抱えるポーズ)の時、両手の中が熱くて、まるで熱い雨が頭上から浴びせかけられ、さらに全身に染み渡る感じがし不思議で、ただこのように形容するしか出来ませんが、それがきわめて心地良いのです。次に両側抱輪(頭の両側で法輪を抱えるポーズ)の時、これもまた非常に不思議で頭上にまるで熱い球があるようで、自分の手で支えている感じでした。師尊の『轉法輪』の中に説かれている煉功の時の状態をほとんど体験し「そこに坐ると、自分が卵のの中に坐っているかのような素晴らしさ、非常にいい気持ちを感じ、自分が煉功していると分かっていますが、全身が動けないかのように感じる、こういう状態が現われます」[2]「坐り続けていると、足が無くなったような気がしてきて足がどこに行ったのか分かりません。身体も、腕も、手も無くなり、頭だけが残っています」[2]とまさにこのような感じでした。

 自分を律し、一つ一つ実修し向上て行く

 修煉する前、夫婦の関係はあまり良くなく、夫は良いか悪いかに関わらず、しょっちゅう口を開けば私を罵り、もし私が大法を学んでいなければ、とっくに離婚していたでしょう。大法を学んでから、師尊の要求に従って行うよう厳格に自分に要求し、それで家庭の「関」はとても早く乗り越えることが出来ました。その当時、私はデパートで仕事をしており、午後4時に仕事が終わるとすぐ子供を迎えに行き、帰り道に野菜を買って帰えり、すぐに家事をしていました。ある日、5時10分ごろ家に着くと、ソファーに座った夫は帰って来るなり「何しに行ってたんだ! お腹が空いて死にそうなのに、すぐにご飯を作らないのか!」とひどく罵りました。その時、自分が修煉者だと思い、夫と同じように、怒ってはいけないと思いました。以前ならそこで喧嘩をしましたが、か細い声で「何が食べたいですか?」と聞きましたが、夫は私が怒らないのを見て、さらに激昂して怒鳴り声をあげ「インスタントラーメンと玉子だ」と言いましたので、すぐに食事を作り用意し、持って行くとはもう寝ていました。私は麺をそっと置くと小さな声で呼ぶと、は烈火のごとく怒り狂って「寝ているのに呼んでどうするのだ!」とひどく罵り、また寝てしまいました。が可哀そうに思い、恨んだりしませんでしたが、このような事はしょっちゅうありました。私は自分に厳しく要求し、師尊の法の中にある「実は、本人自身はそうとは知りませんが、あなたの業の消去に手を貸してくれたのです」[2]を思い出して、が罵る度に「私のこの業の消去を取り除くのを手伝ってくれて、ありがとう」と心の中で言いました。に大法の録音を聞かせ、師尊の説法を聞かせているうちに、だんだんと夫も変わっていき、今では、もう罵ることをしなくなりました。

 それから、師尊は私の身体を浄化してくださいました。以前、私たちは始終口論をし、喧嘩をし、怒っていたため、30歳過ぎると身体に変調をきたし、多くの病気に見舞われ、注射をし薬を飲んでいました。頸部脊椎症はすでに深刻になり、いつも頭がくらくらしていて、それに便秘で、二十数日の間1度しか出ませんでした。煉功してから、便秘が解消されました。ある夜のこと、静功をしているとすぐに入定でき、その後、うしろの首元から上に向かって、何かが突き抜ける感じがしました。まるで新年の打ち上げ花火みたいに「ぎー」と一声で突き抜けて行き、空高くで爆発しました。また突き抜けて爆発し、また突き抜けて、突き抜けて、突き抜けて、ゆうに30分以上経っていました。当時それがどういう事なのかをよく分かっておらず、ただ、これが良いことであると認識するにとどまり、師尊が何か悪いものを取り除き、爆発させておられるのだと思っていました。それ以来、頸部脊椎症は良くなりました。

 旧勢力による身体に対する妨害を一掃する

 それは2010年夏のことでした。私は毎日、だいたい12時の発正念が終わった後、寝ていました。ある日12時の発正念の時、少しぼーとする感じがあり、その日の正念はうまく発せられず、最後の鐘が鳴り終わる時、一つの何かが私の腰の辺りを通り過ぎ、少しひんやりとしましたが、特に気に留めず寝ました。早朝3時40分に起床し、3時50分に煉功しましたが、全身がだるくて、煉功後も気持ちがスッキリせず、腕も、脚も、どこもかしこも痛くて、皮膚でさえも痛み出しました。私はどういうことなのか分からないまま仕事に行きました。修煉者の私は、今まで自分の身体のことで休みを取ったことはなく、今回もいつも通り仕事に行き、仕事をし、帰ると家族に食事を作り、家事をこなしました。

 しかし次の日から高熱が出て、他の人が私の近くに来るだけで熱いと感じるぐらい熱く、身体は全身痛くて苦しく、この時、命の危険を感じました。それから心臓までも痛み出し、少しずつ痛みが強くなっていき、このときやっと警戒しました。なぜ心臓まで痛いの? この激痛はなぜなの? 早く内に向かって探さなければと思い、この2日間どのようなことを言ったのか、何をしたのか、一つずつ思い出し、細部まで探し、何か良くない心が見つかれば、それを取り除きました。しかし、依然として好転せず、もっと以前のことを思い返してみました。それで前に12時に発正念し終わった時のことを思い出し、それが旧勢力による妨害だと分かりました。この時、腰のあたりを触ってみると、腰の半分に大きな水泡が出来ていました。仕事が終わってから家に帰って、すぐ発正念を始め、旧勢力の一切の按排を全て否定しました。旧勢力の私に対する一切の迫害、妨害を全て一掃しました。旧勢力が私に無理矢理押し付けたどんなものも認めず、要りませんと、強大な正念をだだ、ただ発しました。15分後、身体の熱が下がり、それに苦しくなくなり、不思議なことに、腰の周りの水泡が全部渇いて、良くなりました。その後、それが帯状疱疹だと知りました。現在の医療をもってしても、帯状疱疹はとても完治するのが難しいそうです。師尊の慈悲なる済度に感謝いたします! いつも見守って下さり、私に大きな知恵を授けてくださいましたことに感謝いたします!

 私は師尊に感謝の気持ちを言葉で言い表すことが出来ません。師尊の守りは昼であれ夜であれ、感じることが出来、知っていますが、どれも言い尽くせません。さらにまだ、数多くの知らないことがあります。正法修煉の中で、何度も危険な状態から脱出しました。パトカーが私の仕事場に3回も来て、3回とも交通事故に遭い難を逃れました。2008年春、私が一人で店の中にいると、1台のパトカーがやって来て、途中で事故を起こしました。後から2人の人がきて、一人は区委書記で、もう一人は駐在所の巡査でした。その書記は私に有無を言わさず、また私の話を聞こうともせず「修煉しているのか、いないのか、はっきりと答えろ」と怒鳴られ「これからも、修煉するなら連行する」と脅されました。彼を見て、話しても通じないと思い、心の中で師尊に「師父、私は絶対に違約しません!」と言い、私は紙の上に私の名字を書いて、巡査に渡しました。巡査は宝物を手にしたかのように手に握って「これで良い、これで良い。我々はもう引き上げよう」と言いました。このようにして師尊は、私のためにまた一つの災難を解決して下さいました。このような話は「明慧ネット」の文章で幾つも見ることが出来ます。当時、私は心の中で同修の文章を覚えており、またその層の法理も分かるようになりました。師尊の守りの下で「一つの大きな関」を乗り越えることが出来ました。明慧ネットで修煉の体験文を書いた無私の同修に感謝します。彼らは彼らが認識した法理を書き出してくれました。文章を書くのは、とても多くの時間がかかることを知っています。しかし、明慧ネットの修煉体験文から、多くの同修が切磋琢磨できるとても大きな作用がこれらにはあります。

 真相を伝え人を救う

 2007年の下半期、私はやっとなぜ真相を伝えなければならないのかを悟りました。以前は真相を伝え、三退を勧めることは、師父が行うようにと言われたことなので、行うようにしていましたが、法理をはっきりと分かっていなかったため、外に出て話したくなく、ただ親戚や、友達の間で話し、話す事も多くありませんでした。2007年、私は見ず知らずの人にも、真相を伝えなければいけない、家にいて幾人かだけではいけないと思うようになりました。師尊は私の人を救いたいという気持ちを見られ、一つの非常に良い環境を作ってくださいました。店長がまた新しい店を開き、私1人で新店の仕事を任されることになりました。その店の環境はあまり良くなく、冬の日でも暖が取れず、陰気な部屋で、冷たくて暗くトイレもなく水もなかったのですが、私にとってそこは真相を伝えるには、とても良い環境で、私1人で何かをするのにとても便利で、人が来たら真相を伝えることも出来、同修が来たら切磋琢磨することも出来ます。真相を伝えるとき、人それぞれに合った言い方をして、なるべく人が理解できるように努めました。その街は商人、同業者が多く、競争が激しい中、なるべく彼らと良い関係を保つようにして、三退を勧めると、彼らの中にはグーサインを出す人もいました。これらの一切は全て大法があるからで、私はその中で行うことができ、商人たちと平和を保っていくことが出来ました。

 ある時、隣家の人が品物を買いましたが、私の顧客ではありません。隣家の人がアフターサービスを呼んだ時、まだ誰も来ておらず、彼女たちを部屋に呼びましたが大人は来ず、子供だけ来たので子供に真相を伝えました。女の子に「何年生? 勉強は良く出来る?」と聞くと、女の子は「普通で、3年生だ」と答えました。その子は「自分の身体が良くなく病気がちで、ママにいつも心配をかけている」と言いました。私は女の子に三退の話をし、人は好き勝手に誓約してはいけないことを教え、さらに良いか悪いかも知らず誓ってはいけないと教えました。女の子は分かってくれ、三退してくれました。女の子に「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と毎朝念じれば、身体が良くなると教えました。1年後、女の子の母親が来て、私に女の子の変化を教えてくれました。その子は毎日念じていたそうで、母親は「娘の髪の毛が伸び、とても可愛くなった」と喜びました。女の子の家では誰も信じなかったそうですが、ただ娘だけは法輪大法が良いと信じていたそうです。私は女の子の母親に三退のことを教えると、母親も三退しました。

 ある日、祖父母と孫が、私の店に入りましたが、後で別の人の所で買いました。帰ろうとしたときに、彼らを呼び止め真相を伝えると、皆三退しました。その女の人は泣きだし「この世間で、まだあなたのような人がいるなんて」と、とても感動し、またある時には、小学校の先生に真相を伝えるました。先生は「なぜ、そんなに熱心なの、法輪功からいくらお金を貰っているの?」と言われ「お金は貰っていませんよ」と言うと「そうであれば、あなたはなぜこんな話をするの? 下手したら捕まるわよ!」 「先生、人が水に落ちて溺れているのを見て、あなたは『誰か私にお金をください、そうすれば助けに行くわ』と言いますか? 誰かがお金をくれないと助けに行かないのですか?」と聞きました。「なるほど、分かりました。あなた達の師父は本当に偉大ですね!」と言い、最後に先生も三退しました。

 この数年間、三つのことをしてきましたが、精進している同修と比べたら、まだ大きな差があります。私は早く追いつかなければと思っています。私は必ず自分を律して心を修め、人を救い、師尊の真の弟子になります!

 不足な部分、あるいは法理の認識不足なところがあれば、同修からの慈悲なる指摘をお願いします。

 師尊のあたたかい恩に感謝いたします。

 同修の皆さん、ありがとうございます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『大圓満法』 「一、功法の特徴」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/8/338424.html)
 
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