文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年4月3日】数日前、職場で新しい仲間が増えました。彼女は背が低くく、髪の毛を金髪に染め厚化粧をして、姿勢が悪く喋り方や声もどこか変でした。「この格好は、どう見てもキャバクラ嬢ではないか」と私は思い、心の中で軽蔑した気持ちが一瞬現れました。
上司は「仕事は彼女に協力してもらおう」と言いました。彼女は私より随分若くて後輩だし、当然私がいろいろと教えなければなりません。しかし、先輩の私より何でも分かっているというような偉そうな顔をして、何をしても私と張り合い、争い、一方では、上司の前で自分の知識をひけらかして、ごまをすっています。
「どうしてこのような人が来たのだろうか。品がなさ過ぎるじゃないか」と悩みながらも、私は自分を探すようにしました。彼女は私の鏡であり、私の人心を映しているのではないか。例えば、自分にも他人より自分が偉いと思う心、上司に認めて欲しい心、顕示心などがあるのではないかと思いました。数日後、彼女はまったく変わっていないためさらに自分を探すと、喋り方には優しさが欠け、自我が強いなどの問題点を見つけ出しました。そこで、私は自分を変えるように努力しました。しかし、彼女は依然として変わらない表情でいつものように振る舞い、私の心も彼女につられて敏感に反応するようになりました。
1日の仕事が無事に終われば、帰りに気持ちがほっとして、「今日は妨害されずに済んで良かった」と思い、その日に言い争いがあれば、「今日は駄目だった、しっかり我慢ができず、関門をうまく通りぬけなかった」と落ち込みました。しばらくの間、私の気持ちは浮かんだり沈んだりしました。
「どうして自分の気持ちは良かったり悪かったりするのでしょうか? もし問題が起きなければ、喜んでいいのでしょうか? 和気藹々とすることは確かにいいことですが、しかし、トラブルに遭えば気持ちが沈み、これでいいのでしょうか?」と思いました。この時、師父の法、「誰もが和気藹々としており、利益についての衝突や心が乱されることもなく、ただそこに坐っているだけで、心性が高まることになるでしょうか? そんなことはまずありえません」[1]という言葉が脳裏に浮かびました。
「私は本末転倒をしていたのではないか。トラブルがあれば、私は喜んで対応すべきではないでしょうか。反対に、何の問題もなければそれこそ精進しておらず、常人の中に落ちているのではないかと悩むべきではないでしょうか。自分は修煉者ですから人心がないはずがない」と閃きました。自分の観念を徹底的に根底から変えることによって、私は自信が出てきました。
翌日の午後、上司が彼女とかなり長く話をしているのを見ました。上司が帰ってから彼女は私に誠敬(せいけい・誠意をもって敬う)に、「これから分からないことがあれば、ぜひ教えて下さい。私はしっかり勉強しますから」と、とても謙虚に言いました。私はびっくりして思わず「はい、仕事のことなら簡単ですよ。勉強すればすぐ身につきますからね。なにも焦ることはないですよ」と言いました。それから、彼女はすっかり変わりまったく別人のようになりました。
師父の法「内を修めて外を安定させる」[2]を思い出しました。それから、内に向けて探すのはただ個人の向上のためだけではなく、自身が後天的に形成したすべての観念を全部取り除けば、外に対応している衆生(世間の人)もそれに応じて救うことができると悟り、「自分をしっかり修めて、はじめて衆生を救うことができる」ということを体得しました。
今、不法に連行され拘禁されている同修はまだ少なくありません。同修たちは弁護士を頼んだり、家族と連絡したり、関係部門に真相の手紙を書いて、警察署、検察庁、裁判所に釈放を求めたりして、よく行っています。しかし、一部の同修は「彼らは態度が悪く私達を追出して、まったく真相を聞いてくれない」と言い、また、「真相の電話をかけても電話に出ない、出てもひどい言葉を発したりする」と言いました。それを聞いた私は内に向けて探し、警察署、検察庁、裁判所の人達に対し、何か観念を変える必要があるのではないかと思いました。
17年間の迫害で私達大法弟子の誰もが、精神的にも肉体的にも迫害を受け、無意識の中で警察署、検察庁、裁判所の人達に対して一種の観念を形成し、私自身も多かれ少なかれ、恐れる心、怨恨心、闘争心を持っており、彼らと関わりたくない会いたくない、彼らは普通の人ではないと思っていました。彼らが来るとそれは妨害だとすぐに思い、絶対に協力しない態度を取り、次第に彼らに対する感覚も麻痺し、彼らを救おうとする気持ちが薄れてしまいました。
これらの人心はすべて警察署、検察庁、裁判所の人達も同じ衆生で、この人達が救われるのを妨害する要素です。もしも、私達がこれらの人心を放下し自らを正して、大法弟子が持つべき慈悲と平穏な心を持って彼らに対応すれば、彼らもきっと大法弟子の優しさと素晴らしさを感じ取る事ができるでしょう。
これらの事をやっている同修達は確かにとても大変です。しかし、私達は自分自身の修煉をもう一度見直して、内に向けて探し、観念を改め、法に同化しなければなりません! そうすれば、きっともっと多くの衆生が救われるのではないでしょうか。なぜなら、それが法の力の現れだからです!
少しの浅い見解です。同衆達と交流したいと思いました。同修達の慈悲なるご叱正をお願いします。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「内を修めて外を安定させる」