文/海外の大法弟子
【明慧日本2017年4月20日】最近、ある青年に電話で法輪功の真相を伝えた際、青年の話に多く考えさせられました。
今の電話番号に変えてちょうど1カ月になった彼は、自分が警察官ではないことをいくら説明しても、電話をかけてきた法輪功修煉者は信じようとせず、甚だしきに至っては、話を聞かずに自分の言いたいことをひたすら言い続けていたそうです。青年は「仕方なく電話を切りましたが、法輪功修煉者はふたたび電話をかけてきました。もともと、法輪功に対してマイナスのイメージを持っていなかったのですが、今はマイナスの印象を持ち始めました」と言いました。私は静かに彼の長い話を聞き、真に彼の立場に立って考えてからこう言いました。「あなたのお気持ちは十分理解できます。もし私の話に失礼なことがあれば、電話をお切り下さい。私は二度とお邪魔することをしません。本当に大変申し訳ありませんでした」。私が言い終えた後、彼は電話を切りませんでした。私たちの会話はかえってスームズになりました。彼は多くの真相を聞いて、最後に、私に感謝の意を言ってから電話を切りました。
長年真相を伝えてきて、私はますます真相を伝えることが非常に厳粛なことだと感じました。適切ではないかも知れませんが、一例を挙げてみたいと思います。私たちの真相伝えは難易度の高い外科手術を行うように、一つ一つをとてもきめ細かく、慎重に行わなければならず、少しでもうっかりすれば衆生を救うどころか、かえって人を害してしまいます。
観光地で真相を伝える際、私はこのような同修たちを見ました。観光客が望もうが望むまいが、ある同修はずっとそばにへばりついて真相を言い続け、観光客が三退しないと離れませんでした。ある同修は多くの人の前で青筋を立てて中国人観光客と言い争い、相手から異なる意見やちょっとした聞き辛い言葉を言われれば気持ちを制御できなくなり、一見、大法を守っているようにみえますが、結果として多くの常人にマイナスの印象をもたらしました。一部の同修は観光客の身体を叩いたり、引っ張ったりして、横から見ていると非常に品位の欠けた行為をしていました。また、一部の同修は自分の外見にあまりにも無頓着で、言動も品格に欠けていました。
常人と会話する際、私はよく沈黙を保ちながら理性を持って耳を傾け、相手が話し終えるのを待って、微笑んで礼儀正しくこう聞きます。「私の観点から少し述べさせて頂けますか?」。常人に主導権を握らせてはいけないと言う同修がいるかもしれません。しかし、私達の沈黙や私達が耳を傾けること、私達の微笑み、私達の理性、私達の礼儀正しい一挙手一投足も真相ではありませんか。相手に自分の話を信じてもらいたいなら、まずは相手に好印象を与えなければならず、そうでなければ、いくら口が上手くても予想した効果を得るのは難しいでしょう。私はこれらの方法によって真相を伝える過程においてとても良い効果を得ました。よくあるのは、十数人の人が一緒に私の話を聞き、時に受け答えをし、最後に皆が笑顔を浮かべて、別かれるさいは握手したり、お辞儀したり、互いに連絡先を交換したりして、一緒に写真を撮ることもよくありました。
ある日、私は1人のおじいさんに法輪功の資料を渡しました。彼は「早く行きなさい。見ません。行きなさい!」と怒鳴りつけました。彼の話を聞いて、私は微笑んで言いました。「おじいさん、怒らないで下さい。海外に観光に来られたのはうれしい事ではありませんか。もし失礼なことがあったなら、私はすぐに行きます」。そう言ってから、私はお辞儀をして彼から離れ、他の観光客に資料を渡し続けました。たまにおじいさんのそばを通っても、私たちの目が合えば、微笑んで会釈しました。しばらくしてから、私はおじいさんが自分で1枚の資料を手に取って、注意深く見始めたことに気づきました。
真相を伝えるとは何でしょうか? 私達が常人に見せているすべてが真相だと思います。服装が適切かどうか、体が太り過ぎているかどうか、衛生面で清潔かどうか、口臭があるかどうか、浮かべる笑顔が真摯かどうか、言葉遣いが適切かどうか、自信があるかどうか、態度が謙虚かどうか、知識が豊富かどうか、観点が理性的かどうかなどなど、このすべてが真相です。言葉による交流もとても重要ですが、それは真相のごく一部にすぎないと思います。ときどき、私は静かに座って、今までの努力によって本当に衆生を救う効果を果たしたかどうか、自分の気づいていない不足によって衆生が救われることに影響をきたしたかどうかをじっくり考えます。払った努力は一方面ですが、どのような効果を与えたかが問題です。
メディアに携わっていたとき、このような問題も見ました。常人を取材した後、記者は全体のニュースや評論の需要のため、とても「巧妙に」、甚だしきに至っては時に取材内容を断片的に自分のニュースに取り入れました。ニュースはとても「完璧」に見えますが、取材された常人が言ったもっとも核心的な意味はすでに変えられていました。取材された常人がこのようなニュースを見たら、どんな心境になるでしょうか。少し心配です。また、一部の文章は明らかに内容が極限に傾いていたり、あるいは事実を誇張したりして、結果的に読者を失い、あるいは読者に不信をもたらしました。実は、同修たちが取材や編集をしたり、ニュースや評論を書くのはとても大変だと思います。しかし、こうやって苦労して作り上げたニュースは衆生を救うことができず、甚だしきに至っては真逆の効果をもたらしてしまえば、本当に残念に思います!
長年、風雨の中で観光名所の第一線で頑張っている同修は、本当に多くの犠牲を払っていると思います。しかし、彼らの真相を伝える方法を見てみると、とても心配になります! 交流してもあまり効果がありませんでした。もちろん、皆が自分なりの法理についての理解があるので、私は他人に自分の意見を押し付けたり、他人の方法が間違っているとも独断的に言えません。しかし、彼らから真相を聞く常人の不愉快な表情を見ると、どうしても焦りを感じます!
往々にして、真相を伝えた結果がプラスでなければ、マイナスになってしまうことが多いのです。衆生を救うどころか、多くの場合は衆生を押し出してしまうことになるのではありませんか!! 皆さんはどのプロジェクトの中で真相を伝えているかに関わらず、私のこの文章を見たら、どうか、自分の行っているすべての言動が、本当に有効に衆生を救うことができているかどうかを、じっくりと服装考える必要があるということを心からお願いしておきたいと思います!