人に言われたくない、独りよがりの心を見つけた
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文╱中国の大法弟子

 【明慧日本2017年6月14日】私は1996年に法輪大法の修煉を始めました。2012年から不当に拘禁された同修を救出するプロジェクトに参加し、同修と協力して真相を伝え、正念を発して、真相手紙を郵送するなどを行い、同修たちと交流しながら、事実上プロジェクトの協調人の役割を果たしてきました。

 私達の学法グループはプロジェクトの中で発正念を担当しており、毎朝6時から1時間の正念を発しています。ある朝、1人の同修が明慧ネットからダウンロードした「中国の学習者の中には『総協調人』が必要だろうか」との文章を私に持って来ました。それを見た私はすぐに「明慧ネットは毎日見ています。この文章はとっくに読みました」と言いました。同修はとても困った表情で、「私は持ってきたくないのに、ある同修からどうしてもあなたに読んでほしいと言われ、本当に板挟みになって、昨夜一晩ぐっすり眠れなかったのよ」と少し興奮気味に言いました。私は顔には出さずに、「余計な事をしなくてもいいのに、彼女が何か不満があれば直接私に言うべきだ。この文章を持って来てもなんの問題解決にもならない。結局彼女本人と交流しなければならない」と思いました。そして、「協調をしなければ、皆が何をしているかどうして分かるだろうか」と不平に思い、知らないうちに同修と対立してしまいました。

 この事があったため、発正念は20分ほど遅らせました。これ以上同修を困らせたくないため、私は無理に文章を受け取り、そして、発正念を始めました。静かになった私は師父の法を思い出しました。師父は「あなたが殺人、放火しようとしていると言われたら、それを聞いて面白いと思い、(師父が笑って) ありえないことだと一笑に付します。まったく気にしません。なぜなら、あなたにその心がないから、この話に刺激されることがありません。その心がなければ、あなたを刺激することができません。心が動じれば、あなたにその心があることを物語っています! 心の中で本当に不平を感じていれば、この心が小さくないということです。(拍手) それなら、修めるべきではありませんか?」[1]と説かれました。

 今度のことで、どうして自分は気分が悪くなり、気にして心が動じたのか、きっと自分には執着があり、問題があったのではないかと思いました。内に向けて探して見れば、人に言われたくない、独りよがりの心を見つけました。長い間その執着心に気づかずにいたため、手紙を持って来てくれた同修にこれだけのプレッシャーをかけたのではないかと思いました。この同修は発正念をした時、気持ちが落ち着かず、足が動いていました。自分が執着心を取り除かないため、同修にプレッシャーを与えたことをとても後悔しました。そして、心の中で「ごめんなさい、執着に気付かせてくれて、ありがとう」と真摯に同修に謝りました。この時、同修も静かになり、足が動かなくなりました。

 執着心を見つけた後、観念も変わりました。文章をくれた同修は仕事が忙しいにもかかわらず、時間を作って文章を印刷して私に持たせてくれ、その文章に照らして自らの問題を探してほしい、修煉の道を正しく、しっかりと歩んでほしいと思うその気持ちを大変有難く感じました。同時に、同修の全体に対する強い責任感を感じました。このような責任感の強い同修に感謝もしないで、かえってマイナス思考で彼女を責めた自分を恥ずかしく思いました。その時、同修がより素晴らしく見え、自分の心もますます清浄になりました。

 師父に対する感謝の気持ちでいっぱいになりました。師父は弟子のこの深く隠れた執着心を見られ、私を向上させるため、同修にそうさせたのです。師父に感謝します! 2人の同修に感謝します!

 正念を発してから、私は文章を持って来てくれた同修に謝ろうとしました。同修は「言わなくて結構です。すでに感じました」と言いました。

 今度のことを通して、師父の詩の「修煉する人 自らの過ちを探し 各種の人心取り去ること多し 大なる関小なる関、落さんと想ふべからず 正しきは彼 過ちは私 何を争ふものか」[2]を思い出しました。実は自分が出遇ったすべてのことは、自分と関係があるかどうかはともかく、その中には必ず自分が取り除かなければならない心があって、高めなければならない所があるのです。表面上の是非にこだわらず、そのこと自身にこだわらず、修煉者であれば自ら探さなければならないのです。くれぐれも自分を高めるチャンスを逃さないようにしましょう。くれぐれも自分の問題を隠さないようにしましょう。

 少しの体得です。不適切な所があれば、ご叱正のほどよろしくお願いします。

 師父に感謝します!

 同修に感謝します!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:「二〇一四年サンフランシスコ法会での説法」
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「誰が是誰が非」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/6/7/349267.html)
 
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