簡単なことほど 努力の姿勢が問われる
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2017年6月16日】最近、ショートメールで大法の真相を伝えるプロジェクトの当直を務めた時に、同修が私と交流をしてくれました。同修の厳粛な言葉はまるで大きな金槌で私の頭を叩かれたようで、瞬時に私を目覚めさせてくれました。人を救い済度する過程において、自分はどの程度の努力をしていたのかについて考えさせられました。

 ショートメールで真相を伝えるプロジェクトに参加する以前のことを思い浮かべました。私は外へ出かけ、真相を伝えようとする度に、いろんな雑用が立て込んできて、結局、家から出られない状態になることが多くありました。それではと、RTC作業台に上がって、家の電話を使って、真相を伝えることにしました。しかし、僅か数日で真相を伝える電話を掛けることをやめました。ショートメールで真相を伝えることの方が簡単だという思い込みで、RTCチームからショートメールで真相を伝えるチームに変えました。ショートメールプロジェクトに参加させてもらっただけで、自分は確実に三つのことを行っている錯覚が生じていました。しかし、私はショートメールで真相を伝えることに対して、最低限のことしか行っておらず、真剣に取り組むことができませんでした。自分が当直の時に、整理した番号をメールで送り終えれば、すぐさま、家事に取り掛かることにしていました。あるいは、当直者に与えられた仕事をこなしながら同時に家事をしていました。このような状態が続いたまま、時間が過ぎていき、最近、やっと自分の状態は間違っていたことに気付きました。ショートメールで真相を伝えることは確かに簡単な作業ですが、しかし、衆生を救い済度する事において、大変重要な作用を発揮しているのです。衆生を救う効果は自分がプロジェクトに用いた姿勢に左右されるのです。

 私はこのプロジェクトに真面目に取り組む心掛けが足りないことを、厳粛に受け止めて、真剣に向き合うことをしませんでした。このような状態はずっとある出来事に出会うまで続きました。それは私が当直した日のことでした。ショートメールの件数が少なかったため、直ぐに作業を終わることができました。協調人の同修に自分の任務が完了したと報告を入れると、その同修は「自分に配られた分だけを早く終わらせようという怠慢な発想を持っていれば、真相を伝える効果に響きます。タイミングとして、私達のRTC電話チームが先に電話で真相を伝えた後にショートメールが相手に届いていれば、効果が増しますので、チームの間の連携がとても大切なのです。しかも、ショートメールの内容は常に千編一律ではありません。その時の状況に応じて変えていけば、邪悪を震え上がらせ、衆生を救い済度する効果も最大に発揮することができるのです」と私は厳しく指摘されました。

 同修の言葉が私を目覚めさせてくれました。そして、内に向けてよく探してみました。自分は独りよがりで、いい加減に物事を済ませる執着を持っていることに気づきました。直ちにこの執着を取り除き、自分の考えを是正しようと決心しました。そして、念入りに編集したショートメールの本文を協調人の同修に送りました。その同修も真剣に校正し、私たちは上手く連携を取ることができました。今は、私の当直の時に、以前のように達成感が得られず、時間を無駄にしたという虚しい気持ちが完全に消え去りました。ただ、時間だけが足りないことを痛感し、さらに、心の中で衆生を救い済度する緊迫感が増していくことが分かりました。

 ショートメールで真相を伝えることは私にとって簡単な作業です、しかし、この単純な作業をこなす過程も衆生に真相を伝えることに対する私の心くばりで、すべての配慮が審査される過程であり、私の修煉過程なのです。ただ単に任務をこなすだけで、十分な心掛けがなければ、効果が表れてきません。また、自分のシフトの時間帯ではない時に、協力して、同修の為に正念を発することも可能だという事を悟りました。以前、同修の交流の中で、ほかの同修が真相の電話を掛けるときに、傍でもう1人の同修が正念を発していれば、とても良い効果が得られる事に言及したのを覚えています。人を救い済度する過程において、自分の姿勢は自分の心掛けを表していると思います。人を救い済度することをただ単にこなしているだけで、心を込めていない行いは、自分をごまかしている行動であり、衆生に申し訳なく、さらに、師父に申し訳ない行動なのです。

 修煉において、自分はずっと良くできていないと認識しています。師父もずっと私には執着が多すぎると導いてくださいました。数日前、夢の中で、同修は「あなたの手荷物が一番重いです、どうしよう?」と私に言いました。夢から目が覚め、たくさんの自分の執着を急いで放下しなければならないと悟りました。いかなる言い訳と理由も自分の人心と執着を隠すことになります、すべての執着と真正面から向き合って、戦わなければなりません。また、師父が私のことを心配なさって、同修の口を借りて、同修のみんなに追いつき、落伍しないように私を励まされました。自分の学法だけではなく、煉功でも、プロジェクトで当直しているときでも、ショートメールを送るときも含めて、全てが私の修煉なのです、毎日ステップアップしなければなりません。修煉は本当に厳粛なことだと思います。

 たとえば、ここ数日、香港のパレードに参加したため、家に帰宅したのは朝方の2時でした。その日、昼間の仕事があるため、ショートメールの当直の仕事をほかの同修に任せました。夜、家に戻り、同修にいつも他人に頼ってばかりで、彼女の整理した電話番号をもらって、私はただ送るだけだと指摘されました。夫も同修に加わり、私に存在しているほかの執着を指摘して「月曜日の当直が充分できなければ、やめた方がいい」と私を責めました。「もうやめて、協調人の同修に任せればいい」とも思いました。しかし、本当にやめてよいのでしょうか。中途半端な投げやりな行動は私が取るべき行動ではないと分かっていました。もし本当にやめれば、邪悪の思い通りになるのではないでしょうか。しかも、同修との間に隔たりを作ってしまい、邪悪に隙を与えることになるのです。修煉の道において、偶然な出来事はありません。きっと自分に至らなかった所があったから、このような事態をまねいてしまったのだと反省し、内に向けて探しました。同修の言う通り、私はほかの同修に頼み、自分の当直の代役をさせていたことが多々あり、自分の修煉に問題が起きていたのでした。私は今から、直ちに三つのことを確実に実行しなければならないと悟り、夫に「私に原因があったので、同修の過ちではありません」と説明しました。すると、心がとても穏やかになりました。修煉の道において、小さいことなどありません、必ず厳粛な心持ちで対処しなければならないと悟りました。

 次元の限りがありますので、妥当でない所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 師父、ありがとうございます。 

 同修の皆さん、ありがとうございます。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/21/348424.html)
 
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