【慶祝513】日本の新しい学習者 : 私の世界は明るく広くなった
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文/日本の大法弟子

 【明慧日本2017年6月26日】(5.13を祝う特別記事)私は来日して16年目になり、2013年の年末に日本で法輪大法の修煉を始めた新しい学習者です。その時、私はコンピュータのソフトウェアの開発の仕事をやって、自分の小さい会社を持ち、安定した取引先があり、収入は普通のサラリーマンよりも少し高い程度です。私には大きな野心がなく、お金に困らない程度の安定した生活を送っています。

 しかし、何も理由なくこのような生活に飽きがきて、このまま人生を最後まで送るのはとてもつまらなく思いました。そのため、私はよく居酒屋で酒を飲んだり、ネットで株の売買などをして平凡な生活に刺激を与えようとしたのですが、結局、心の虚しさを埋めることが出来ませんでした。仙人の修行が描かれた小説を読むと、修煉の人をとても羨ましく思いました。しかし、中国で小さい頃から無神論、唯物論、進化論の教育を受けたため、現実世界で修煉が実在するなんてとても信られませんでした。

 偶然に一緒に働いている同僚が法輪功を修煉していると知ったのがきっかけで、私はネットで轉法輪』の電子書籍を探して読みました。「心性の高さは功の高さです」[1]などの法理を読んだ時、この功法は人に本当の修煉をさせる功法だと分かりました。師父の広州での説法の録音を聞いてから日常の悩み事の原因が分かり、たくさんの悩みが放下でき気持ちが楽になり、世界が明るく広くなりました。人間が生まれてきた本当の理由が分かり、これからの人生の過ごし方が分かったので、私は修煉していく決心をしました。

 集団煉功に参加する

 修煉を決心すると、私は東京の代々木公園の煉功点に毎週行きました。この煉功点は芝生が敷き詰められた公園でした。毎週土曜日の午前9時から5セットの功法をやり、それが済むとみんなで地面に座って『轉法輪』を読んで、その後は交流します。1年中、春夏秋冬、私は中断したことがありません。

 最初の何回は、座禅をして目を閉じた後、自分は本当に大法弟子たちと一緒に煉功しているのだ、光栄だと感慨無量で、初めて「光栄」の言葉を理解しました。その時は2月か3月で、日本の最も寒い季節でしたが、日光がポカポカと暖かく感じました。「佛光が普く照らせば」の言葉が脳裏に浮かんで、本当に神佛の世界に身を置いているように思いました。この思いは、やっと家に帰って安心した落ち着いた、とても幸せな心境でした。

 煉功する時、雲の上に座っているようで、左右に開いた腕は翼となり、自分は空を飛んでいるようで、気持ち良くて神聖な感じがします。頭に生活や仕事の中のこまごまとした事をまったく考えておらず、時間がとても速く過ぎました。同修がそれは入定した状態だと教えてくれました。

 最近、入定の状態が初期に比べて少なくなっていますが、1人で家で煉功するよりやはり効果が良かったのです。静功は私にとってとても難しくて、やっと両足を組めるようになったのは、煉功して3年経った時です。最初は5、6分しか組めなくて、煉功点で初めて両足を組めるようになった日、とても嬉しかったのを覚えています。おおむね、煉功点で煉功するのは家で1人で煉功するより両足を組む時間が長くなるし、頭に雑念がわくこともずっと少ないのです。

 ある日、煉功点で静功をやって40分経つと足が痛くなった時、職場で自分は実はいろいろな執着心、例えば安逸心、慈悲でない状態、顕示心、名利心、闘争心などを抱えていると突然意識しました。

 私はとてもびっくりしました。今までそれらの執着心を私は少しも考えたことがなくて、自分は職場でしっかりと大法弟子らしく振る舞っていると自惚れていました。どうして一瞬の間に突然それらの執着心に気づいたのでしょうか。きっと師父が私にそれを悟らせてくださったのだと思います。これだけ多くの執着心を持っていると、静功をやる時に足が痛くなると師父が悟らせてくださっていると思います。執着心を除去すればきっと少し向上できるが、どうやって除去するのだろうとかと考えました。私は剣を振ってそれらの執着心を切り取ったと想像しました。結局、残りの20分間は足がそんなに痛くなくなりました。本当に師父が説かれたように、目に見えない精神や意識は目に見える物質と同一のものです。

 今でも、天気の良し悪しもしくは特別な事情がない限り、毎週煉功点に行っています。一時期、私は煉功音楽を流す担当をしていたので、土曜日に誰よりも一番早く煉功点に行きます。家から煉功点まで片道1時間10分かかり、雨の日に9時になってもし雨が止まらないのなら煉功は中止になります。それにしても、電車に座る2時間ぐらいの間、私はいつも学法をしていたので、雨の日でも時間は無駄になっていません。

 煉功点が存在するおかげで、同修たちに煉功動作を直してもらったり、同修たちと交流したりして、とても助かりました。師父の按排に感謝し、煉功点を作って維持しているすべての同修に感謝します。昨年の年末に我々の煉功点の弟子たちは、師父に新年の挨拶を捧げる写真を撮って、それが明慧ネットに掲載され、私たちはたいへん喜びました。

 執着心を取り除く体験

 師父は『轉法輪』に「あなたに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」[1]と説かれました。自分には、執着心があまりにも多すぎると思います。除去しないと修煉において全く向上できないと思います。多くの執着心は私にとって一つ一つの山のように、例えば酒を好むこと、先物や為替、株の売買に夢中になること、ゲームをすること、修行にまつわる幻想的な小説を読むこと、韓国ドラマを見ることなど、どれも切り捨てるのは容易ではありません。これらの多くの執着心は、師父のご加持がなければ決して除去できませんでした。

 1、酒を止める

 修煉する前、仕事上の付き合いがある日本人の友人とよく一緒に酒を飲みに行き、日本の色々な種類の酒を試飲しました。

 修煉してから酒を止めるべきだと知りました。私はこれから酒を止めたいと言ったら、友人たちは信じません。その後、新しい得意先を招待する食事会がありました。私はもてなす側として、少しでも酒を飲まないと失礼ではないかと配慮して、結局、1杯だけ飲むと、とても具合が悪くて酒の味も記憶の中の美味しさとまるっきり違いました。それをきっかけに私は酒を断ちました。

 私の一族の年長者の大半は酒がとても好きです。小さい時、祖母が酒を飲む時に、いつも箸の先に酒を少し付けて口に入れました。高校の時、初めてアルコール度数の高い白酒(パイチュウ)を茶碗半分飲んでも酔いませんでした。中国にいる親戚らは私が酒を止めたと聞いても、絶対に信じないでしょう。しかし私はあまり苦痛を感じずに、酒を止めることに成功しました。

 執着心は取り除いても繰り返しまた現れてくることがあります。酒に対する嗜好も同じように、私は酒を止めて1年経っても、たまに酒を飲む夢を見ます。その時、行動において酒を飲まないように自制しなければなりません。学法と煉功を精進するに従って、夢に酒が出てくることがだんだん少なくなりました。

 新年の時、家内は美味しい料理をたくさん作って、また友人が贈ってくれた最高級の白酒「五粮液」を取り出しました。最初、自分は我慢できるかと心配したのですが、「五粮液」を嗅いだらそれほど香ばしいと思わず、かえって少しムカムカしました。結局、その日は1滴も飲まずに済みました。自分の決心と師父のご加持のおかげです。

 2、闘争心を除去する

 修煉する前、私の闘争心はとても強かったものです。通勤電車の中でなんと知らない人と目線を合わせて喧嘩することさえよくありました。時には家に帰ってからもふんふんと怒って、土日を挟んで月曜日になっても怒りがまだ消えていません。電車の中で相手と手を出して喧嘩したこともあります。修煉してから業力の転化の道理が分かり、今後同じことに遭ったら善意を以て対応すべきだと分かりました。結局、電車の中で人と喧嘩することはなくなり、周囲の環境も変わりました。闘争心の除去において、自分は確かに心性を高めたと私は実感しています。

 昨年の8月~11月、私は取引先の会社に派遣されてそこで毎日作業していました。仕事はとても楽で、毎日たくさん暇な時間があるので、その時間に私は『轉法輪』の暗記を試みました。私の席の両側に座っているのは2人の中国人で、私は彼らと仲良く仕事をして、そして彼らに真相を伝えて、三退をしてもらいました。私は歓喜心が浮かんで、中国人が多くいる取引先に駐在すればもっと多くの中国人に真相を伝えることができるのではないか、きっと全員に「三退」してもらえるのではないか、と自惚れました。

 12月に入って、取引先の手配で私の派遣先が変わりました。新しい職場は中国人社員がとても多いのですが、業務内容は私にとってよく知らない新鮮なものです。ある日、私が使用しようとする2台のパソコンは初期設定に問題があって使えなくなり、自分の責任ではないが現場のリーダーに大きな迷惑をかけました。その上、彼らの話によれば、私は他の外来の派遣社員より契約費用が高くて、会社にとってとても採算が合わないようです。それで周囲の人は嫉妬して、私にケチをつけてくるのではないかと私は心配し始めました。リーダーの態度もイライラして、私は必要な資料と開発ツールをどのように入手するかを聞いたら、彼は私を相手にしたがらず「待っていてください」と言いました。恐らくリーダーはその事をある若手職員に引き継いだのかもしれませんが、私は情況が分からない中、その若手職員Aさんが来ていきなり、「私に何をしてもらいたいのですか」と聞いてきました。彼の唐突な態度に私は少し不愉快になって、「〇〇リーダーの指示をお受けしたのでしょうか」と尋ねたら、Aさんは私の質問に答えずにとてもイライラしている態度で「あなたは私に何をしてもらいたいかだけを言えば良いです」と言いました。

 以前であれば私はきっとすぐに怒りました。しかしその時私が思ったのは、「よし、来たぞ、心性を高める機会が来たぞ」。良い修煉環境を按排してくださるようにと、私はこっそり師父にお願いしたことがあって、今日のアクシデントはその願望に師父が答えてくださった結果かもしれないと思いました。そのような私に腹を立たせる事は、確かにここ数年の間、何も起きていなかったからです。

 心の中で少し怒りがありましたが、私は優しい態度でAさんと会話しました。あとになって考えてみて、自分はだいたい修煉者らしく対応したと思います。修煉前の私ならきっと冷静にいられませんでした。

 私は師父の言葉、「平素から慈悲の心を保っていれば、問題が突然現われても、たいてい一息おいて考える余裕があります」[1]をしっかり覚えていました。今日のことを冷静に対応できたのは、私も少し余裕を持つようになったからでしょうか。心性の試練に耐えられて向上しましたので、Aさんに感謝しなければなりません。

 その日Aさんはみんなの前で私にそのような悪い態度を取ったので、きっと私に恨まれていると思っているでしょう。そのため、数日後の朝、会社に行く途中に彼とばったり会った時、私は古くからの友人を見たように明るく彼に挨拶をした時、彼はとても意外な表情をしました。それから私は彼と良い関係を築きました彼は業務をとても熟知していて、私を大いに助けてくれました。

 職場の他の人のあまり友好的でない態度に対しても、私はすべて気にせずに明るく穏やかにみんなと付き合います。そのリーダーは相変わらず私に言いがかりをつけます。ある日、大紀元新聞を同僚に配る私を見て、彼は嫌な顔をして私を止めました。私は少し微笑(ほほえ)んで彼と何も言い争いをしていませんでした。私は内に向けて探したら、自分の問題を発見しました。まず派遣先の会社で新聞を配るのは良いことではありません。それから彼がいない時に私は中国人同僚に新聞を配ると、いつも「かばんに入れてください。今は読まないで、帰りの電車の中で読んでください」と言います。時に「中国にまた鳥インフルエンザが現れました。中国共産党は真相を隠ぺいして公に報道せず、民衆の命の安全を全く考えていません。今帰国するなら要注意です」と付け加えます。皆は私の誠意を感じて新聞を拒否する人がいません。

 仕事において、私はなるべく情緒に影響されずに仕事だけを判断の基準にし、段々と皆は協力してくれて、仕事の展開も順調です。プロジェクトの責任者の1人として、今このプロジェクトの進捗、人員の配置は私が決め、取引先の人員も私の手配に従います。各種のファイルの書式も私が先にフォームを作って皆はそれを使います。未経験の新しいコーディングツールに対しても、私はちょっと勉強すればすぐ熟練し使うことができ、多くの問題を解決しました。今は頭の回転がとても鋭敏で30代の時とあまり変わりがなく、業務内容をとても早くマスターできます。体力も増して連日残業しても疲れず、同チームの他の誰よりも勤務時間が長いのです。2カ月もかからない内に取引先の信頼と好評を得ました。それはすべて法輪大法を修煉しているお陰だと私は思い、大法のこの上ない威力はどんな困難も解決できるからです。

 闘争心において自分は小さい関を乗り越えて向上したと思いますが、前文に述べた公園で煉功する時に突然悟った自分の安逸心、慈悲でない心、名利心などは、どういうことでしょうか? 私は熟考しました。私たちのチームに仕事の能力が足りない人もいて、仕事の態度に問題がある人もいます。あるシステム機能処理の仕事は、完成間際に取引先に改善を要求され、時間がないため、私は休日に残業してやっと解決し、内心にチームメンバーに対して不信感、嫌いだと見下す気持ちが生じました。また、メンバーたちはよく残業するにも関わらず、仕事の進捗は計画よりもよく遅れるため、責任者に私が定めた計画が合理的でない、スケジュールがきつすぎると何回も怒られました。

 自分が決めた計画が間違っていないと皆に証明するため、次の段階の人員配置をする時に、本来メンバーたちに割り振るべき仕事を私は自分に割り振りました。以下のようなメリットがあると考えました。1、私が自らやれば、仕事の質を上げてミスを減らせる。そうすると、メンバーたちが犯したミスを直すために自分は残業する必要がなくなる。2、自分が担当する部分をきっととても早く完成できるので、私の定めた計画の合理性を証明できる。3、そうすると全体の進捗がきっと早くなり、私の評価もきっと上がって、自分の会社に対して有利なことです。

 実は予想通りに、私は1日余りでメンバーたちが5日間もかかる仕事を完成しました。そこで、次回会議の時に責任者はその情況を報告しようと思いました。

 しかし、公園で煉功したあの日に突然自分のいろいろな執着心に気づいた時の光景を思い出しました。今の自分は何をしようとしていますか。今回の仕事の割り振りに自分の複数の執着心を現わしました。1、チームメンバーのレベルが足りないと思っています。2、協力し難い人をできるだけ使わないようにして、また上にその情況を報告もしようとして、全く慈悲心がありません。3、取引先に自分の能力を見せびらかし、それは顕示心です。4、好評をもらって自分の会社にもっと多くの仕事の機会をもらいたい、それは名利心ではないでしょうか。 5、自分が正しいと証明したいために他の人を貶すことをしてしまい、それは闘争心です。常人社会の名利を求めるために人と争い、まったく常人にも及びません。次元をどうして向上できますか、座禅する時に痛くないはずがありますか?! 私は直ちに責任者に報告したい考え方を止めて、仕事の日程表も調整して、毎日の朝礼時間にチームメンバーとできるだけ多く交流を行い、仕事を指導し促すようにしました。私は修煉者の基準で自分に求めて、皆とよく協力するようにしました。

 また、サラリーマンとして、私の1日の半分以上の時間を職場で過ごすので、職場は師父が私に按排して下さった修煉の場所だ、どんな時にも、どんな所にも心性を向上する機会があると私は悟りました。

 3、金銭に対する貪欲を除去する

 修煉する前に私は先物、外国為替、株の売買を全部やっていました。例を一つ挙げますと、数年前に私はある大手商社の社内管理システムの開発プロジェクトに参加するため、その商社に派遣されて、そこで以前一緒に働いたことがある多くの中国人社員と再会しました。毎日午後3時の休憩時間に、私たちは集まって休憩しながら株式の市況や、今日はどんな株を買ったか、儲けたか損したかを熱く交流します。

 修煉してから、私は株の売買などを全部止めましたが、しかし金銭に対する執着心は他の形で現れていることが発覚しました。私は2回もネットで金銭にまつわるメッセージを受けました。

 1回目は、あるヨーロッパーにいる女子留学生がフェイスブックに「家族は全員殺された。父が残してくれた金を日本に送るのを手伝ってほしい、報酬を払う」のようなメッセージを受信し、私は少しためらって、そのような事を手伝って報酬をもらうのは、修煉者の基準に合わないと思いました。私は警官ではなく、そのようなトラブルを解決するための専門家でもなく、そして煉功者は働いて得る報酬以外の金をもらってはいけないと思っており、私は断る返事をしました。またドバイの某銀行の責任者と自称する人が、私に彼の客先の人に成り済ますことを頼むとのメッセージを送ってきて、金を騙し取った後に一緒に山分けすると言われました。私は少しも躊躇しなく彼の名前を友人のリストから削除しました。

 先日、私の従業員の給料を計算した時に、数カ月前にある従業員に払った給料の金額が数万円少なかったことを発見しました。経理を担当する妻に確認してから、私はすぐ差額をその従業員に渡しました。たとえ彼本人も経理もその差額を知らなくても、その金は私のものではありません。ここで放下できなかったら、それはほかでもない金に対する執着心です。また数日前、会社の帳簿を見て、私は偶然に1カ月前に協力会社に送金した金額が数万円少なかったことに気づきました。妻に聞いたら、妻は詳しく知らないがその会社の請求書が間違っていたのかもしれないと言いました。修煉者は誠実と信用を守らないといけないと思い、私はすぐ協力会社に確認すると、結局、請求書は間違っておらず、妻のミスでした。

 上記の事に遭ったら、私はいつも師父が『轉法輪』に説かれた言葉を思い出します。「われわれは自然に任せるように言っているのです。時に、それが自分のものだと思い、他の人もあなたのものだと言ってくれても、実際はあなたのものではない場合があります。あなたは自分のものだと思い込むかも知れませんが、最後になるとあなたのものでなくなります。その点から、そのことに対してあなたが無頓着でいられるかどうかを見ますが、無頓着でいられなければそれは執着心なので、この方法を用いて利益にこだわる心を取り除かなければならないのです」[1]

 以上は執着心を除去する中での些細な体験です。もちろん、よく心性を守られていなくて関を乗り越えなかった失敗談も多くあります。幸い修煉の方向を明確にさせたので、過ちを犯したりしましたが、正しい方向へ自分自身を是正することが出来ました。師父のご加護、ご教化に対して感謝致します! 早く常人の執着心を取り除いて、大法に同化できるように待ち望んでいます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/5/16/346762.html)
 
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