修煉の道には いつも罠が潜んでいる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年7月11日】2年前の夏休み、ちょうど職場で4年に一度の公費での旅行が回ってきたときの事です。私は敦煌(とんこう)への旅を選択し、一緒に行く人達はみな他の学校の教師でした。団体旅行だったので、約20人ほどで、その中に隣の中学校で国語を教えている男性教師がいて、学校内でただ1人敦煌への旅を選択して来ていました。

 当時、夫(前夫)はずっと他の省で仕事をしており、休日に家に帰ってくるのですが、私は直感で、の心の中にはすでに別の女性がいると分かっていました。帰って来るのはただ、大学入試の受験に直面している出来の良い息子がいるからです。は息子の受験に影響が出るのを恐れて、しばらくの間、浮気をしていることを隠していました。

 国語の先生であるこの男性は文学を好み、古体詩を書くことを好んでいました。一つの観光地に着くたびに、いつも詩興(しきょう・ 詩を作りたいと思う気分。詩情)がわき、常々典故を引用し、瞬く間に幾つかの詩を吟じます。彼は自分の詩歌を人に聞かせる事を好んでいました。どこの旅の途中にも私と彼はちょうど同じ机で食事をしました。彼は毎回新しい詩歌を思いつくと皆に評価してもらっていました。私も以前国語を教えた事もあり、詩が好きでした。ですから話も合い、気が合いました。

 その結果、だんだんと思いの中に、この男性教師とこのように意気投合することを嬉しく思っていることに気づきました。彼は知識を追求することを好み、博物館に行きたかったようで、私も行きたかったのですが、この20人の団体で博物館に行きたいと提起した教師は彼1人で、他の教師達は皆全く興味が無いようでした。私も女性教師なこともあって態度を表わしにくく、博物館に行くことが出来ませんでした。しかし、私がひそかに驚いたのは生活の中の意外な所に、このように意気投合する人がいるなんてということでした。またさらに、2人が仲良くなっていくのを見つけ、心の中で彼が言っていた言葉を思い起こしました。

 朝起きてすぐに旅館の食堂に行くと、その男性教師もほとんど同時に来ていて、私たちは自分の食べる物を選び、一緒に食事し雑談をしました。この人はたった1人で、娘を連れて生活していました。私が思ったのは、私には現在家があるが、名ばかりに過ぎません。

 もしこの感情が発展していくと、私のような修煉者は意識の中で犯罪を犯す事になります。私は警戒し始めました。このように全てにおいて馬が合い、暗黙の了解でほとんど心が通じてしまいます! 私はすぐに師父の説法を思い出しました。「常人の脳を制御することはいとも簡単なことです」[1]

 私が警戒していくにつれ、自分のいわゆる文学を好む気持ちが徐々に消失していき、話や馬が合うということも次第に無くなっていきました。私は「真・善・忍」を修めており、法輪大法を修煉しており、大法に符合しない一思一念は全て取り除くべき思想業力なのだと思いました。そして、私は彼と多く話さないようにしました。

 それから、帰る道の空港ロビーで、わざと職場の教師たちと一緒にいました。その結果、この男性教師は空港ロビーを何度も回って私を見つけると、とても興奮しながら「○○映画を見ましたか?」と聞いてきました。彼に「少し知っていますが、全部は見ていません」とだけ答えました。

 私は続けてわざと彼を避けるようにして、大法の法理を用いて自分の内心を正しました。旅行が終わりに近づくにつれて、一切が初めの状態に戻りました。

 師父は説かれました。「どんなことが現われてこようと、心性をしっかり制御しなければなりません。大法に従っているものだけが本当に正しいのです」[1]。ですから、1人の正法時期の大法弟子として「事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」[2]なので、自分を律することで、それでやっと魔難を突破でき、ひいては怪しく光る仮面に覆い包まれた魔難から突破できるのです。なぜなら修煉者は一つの天に続く大道を歩んでいるからです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作: 『轉法輪
 [2] 李洪志師父の詩: 『洪吟』「着実に修める」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/4/350586.html)
 
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