文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年8月22日】私は2011年に法輪大法に出会って、2013年にやっと本当の意味で修煉を始めた青年弟子です。半年前、修煉して以来最大の苦難に遭い、病気で夫を亡くしました。私はすっかり元気をなくし悲しくて、生活をどのように続けていけばいいか分からなくなりました。夫が亡くなって2週間、私はほとんど1人で、多く学法して発正念をしたのですが、正しくない状態を突破できませんでした。
夫はとても優秀な人で、羨ましがられる仕事と手厚い収入がありました。夫は誠実で真面目で、責任感が強く、会社では部署の責任者であり、社長に重任を委ねられていました。家庭では良き夫で、夫婦仲はとても睦まじかったのですが、夫は小さい時から体が弱くて、また肝硬変を患っていました。
結婚して16年間、夫は何度も入院して、九死に一生を得ました。夫の病気は私たちの頭上を覆う巨大な石のようで、いったん落ちると私たちの生活は粉々に砕けてしまいます。そのため、私は大きいプレッシャーを抱えて、夫の体にちょっとした不調があれば、私はすぐ緊張し、日常の緊張と恐怖感に圧迫され私はよく夫を怒ったりしました。そして、私自分も多くの病を患って、心臓が悪く、不眠、動悸、呼吸困難、婦人病、生理不順、胃潰瘍など、西洋医や漢方医に診てもらって、薬の匂いを嗅いだだけで吐き出すほど薬を飲みました。30歳のとき、数メートル歩くだけで息切れしそうで、人生に絶望しました。人間はなぜ苦しみに耐えなければならないのか、生きる意味はどこにあるかなどの答えを探して、心身両面の苦痛から解脱したいと、哲学や仏教の本を多く読みましたが、答えは一向に見つかりませんでした。
2011年、私は『轉法輪』に出会い、大法は私の暗い生活に明るい光を差しこみました。『轉法輪』を読んで1カ月たたないうちに、各種の病はいつの間にかなくなり、体が軽やかになりました。しかし、あの時は周囲に同修がいなくて、私は明慧ネットの存在も知らず、ただたまに『轉法輪』を読んで、同僚や友人に「法輪功はとてもいいよ」を教えるだけでした。どのように心を修めるか、どのように次元を着実に向上させるかについて、漠然として分かりませんでした。
そのようにして2年が過ぎました。ある日、夫は脳梗塞になって入院し、右側の体が半身不随になって、言語能力を失い、自力の生活能力を失いました。巨大な苦難に直面して、法輪大法の修煉だけが、苦難をのりこえられると思いました。そこで、夫の病床のそばで私は真剣に修煉しようと決心しました。夫が入院している3カ月の介護の合間に私は学法、煉功、発正念、真相伝えをしました。退院した後でも、夫を介護する中でいろいろな新しい試練に遭いましたが、私は法理に照らして自分の不足を探し、良く行うように頑張りました。
修煉してから体が健康になり、小さい体で夫を背負うこともでき、毎日忙しくてもいつもニコニコして、夫に対して昔より優しくなった私を見て、夫も法輪功に感服して煉功を始めました。当時、夫はゆっくり歩けるので、煉功する時に左側の体で動作をして、座禅する時は片方の足を組んで、たまに両足も組みました。
言葉を喋れない夫が『轉法輪』を読むのはとても困難で、一文字一文字発音して、1時間に数行しか読めません。自信を失ったらすこし休憩して、またあらためてチャレンジし、意気消沈したら互いに励まし合い、いらいらする時に私は修煉にまつわる物語を夫に伝え、そのように学法を続けました。夫は毎日午前に『轉法輪』を学んで、午後、師父の説法ビデオを見ます。私は午後の時間に真相を伝えるために出かけました。
しかし2017年3月14日に夫は亡くなりました。一時、私はほとんど修煉の意志も喪失しそうになったのですが、だんだんと冷静になり自分の執着心を内省して、とうとう下記のように整理しました。
一つ目は、人生の本当の意味を理確しておらず、幸せな生活に執着していました。修煉してから体が健康になり、気持ちも明るくなって、以前の辛くて暗い生活に比べて、修煉は本当に素晴らしいと思いました。夫が倒れた後でも、私は楽観的に対処してとても充実した毎日を過ごしました。そのような楽観と充実した気分を保って昔の苦痛の泥沼に戻らないように、やるべきことをやらなければならない、と私は考えました。つまり、私は修煉を生活状態を改善するための手段、災難を免れるための「霊薬」にしていました。口では「業を消すために苦しみに耐える」と言っていても、苦難を思うだけで心はびびってしまいます。つまり、常人の観念を変えておらず、生活の中の苦難を法理に踏まえて正しく扱っていませんでした。
二つ目は、私は夫婦の情にずっと執着しました。修煉をする前、夫と仲睦まじかったのですが、精神面の交流はあまりありませんでした。夫は倒れたことをきっかけに修煉の門に入り、修煉に関してよく私に質問しました。夫は私の答えを素直に聞き入れ、そのような「交流」の中で私はとても気持ち良くて、いつの間にか夫に対する「情」を深めました。彼の病気に対して、私は口では「全てを師父にお任せする」と言い、表向きは放下したようですが、心の底で「私たちはしっかり修煉すれば、師父はきっと夫を救ってくださる」と思い、師父に求める心がありました。また、近代医学に基づいた、病気に対する観念は私の頭の中に強く存在しており、私は常人の観念から抜け出ていませんでした。
夫が携帯電話で遊ぶ時、またはテレビを見たり朝寝坊をしたりする時、私の恨む心が「登場」して、どうして精進しないのかと夫を恨んで責めました。それは、「修煉を通じて夫の病気を治す」という求める心が満足されない時に生じた恨みですが、私は「これはあなたのため」だとよく口にしました。夫婦の情に執着し、求める心があり、修煉に対して不謹慎で、良い結果を結ぶはずがありませでした。。
三つ目は、夫に頼る心と安逸心です。十数年来、ずっと私が夫の生活の面倒を見ていて、自分はよく家事を切り盛りしていると私は思っていましたが、夫に依存心があるとは、思いもしませんでした。しかし夫が亡くなってから、家の水道光熱費、車検、自動車保険、銀行の貯金、その手続きを私は一切知らないことに初めて気づきました。大小に関わらず、夫は家のことを上手に手配したので、私はあまり頭を使わず夫の言う通りに行動していただけです。修煉をしてからでも、どこに真相を伝えたら良いか、私の学法状態は良いか、朝の煉功に起きられずどうすれば良いか、警察から妨害を受けてどう対応して良いかなども夫に意見を聞き、完全に夫に頼るような心理状態で、自分が修煉者であるという自覚は薄かったのです。
四つ目は、私は法を学んでいても、心を修めることを理解していませんでした。『轉法輪』を読む回数が多くてスピードも速いのですが、法理との間にずっと隔たりがあるように感じて、問題に遭ったら法理に照らし合わせることを知らず、正しい念と正しい行いをすることも尚更できていませんでした。ここに挙げた四つの執着心に実は普段から気づいていたのですが、思い切ってそれを取り除く努力をしていませんでした。師父は「事々対照し 做すところ到るは是れ修なり」[1]と説かれましたが、私はただ執着を意識しただけで、実際の行動に移してそれを除去せず、「做すところに到らなかった」のです。
修煉して数年来、とても強い情の中に陥っても自覚がなく、また自分を新しい学習者にしてしまい、厳しく律していませんでした。執着心の根本に触れたくなく、本気で自分を変えようとしませんでした。衆生を救い済度する責任についてなおさら意識しておらず、真相を伝えることをやってはいますが、任務を完成するようで心を込めていませんでした。
生前、夫は十数年間も釣りに夢中で、釣りに多くの金と時間をかけて、我が家には釣り道具を収納するための専用ロッカーまでありました。暴風雨でも猛暑の日でも、夫は早起きして、辛労に耐えて、十数年間の週末と休暇をほとんど全部釣りに費やしました。毎回、帰ってから何月何日、どのダムで、釣った匹数或いはキロ数、魚の種類など詳しく記録しました。夫は修煉してから、殺生をしてはいけないと分かり、その上、釣りを続ける体力を失ったので、釣りはしませんでしたが、しかし心の中で釣りに対する執着をずっと放下しませんでした。テレビを見る時に釣り番組を依然として好み、家の釣道具を友人に贈ろうと私が提案しても夫は断わり、今でも家に数十本の釣りざおと数年前に買った餌が置かれています。亡くなる数日前、私は再度釣りざおの処分を言い出しましたが、彼は断りました。最後の数日、夫はずっと口を開いて「水、水、水」と絶えず言い、それから貪るほど水を飲み、まるで水を離れた魚のようでした。特に命の最後の12時間の間、彼は呼吸するたびに口を大きく開けて、とても苦痛な音を出して、まるで酸欠の魚のようでした。また目の中から魚の上まぶたのようなものが膨らんできて、病院の人も「なぜ魚のような上まぶたになったのか」と言いました。痙攣する時に舌を切らないように、医者は夫の口の中に開口器を入れました。口の外に出ている部分は曲がった金属の取っ手で、釣り針の形とそっくりで、夫はずっと「釣り針」を噛んだまま息を引きとりました。
夫が亡くなってから、長い間私が突破できなかった体の正しくない状態、例えば学法する時に眠くなる、学法しても頭に入らない、焦る、頭がぼうっとする、ものを見る時に目の前がかすむなどは消えました。夫が亡くなったあと、夫に対する情に由来した執着心は自然になくなりました。「情」という悪魔は私を操ることができなくなったからだと思います。
苦しみの中で、私は毎日多く学法して内に向けて探して、悲しい、寂しいなど悲観的な情緒を排斥しています。今後、私は安逸心を除去して修煉を厳粛に扱い、本質から法輪大法に同化して、着実に修煉していこうと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『洪吟』「着実に修める」