文/山東省の大法弟子
【明慧日本2017年8月1日】私は自分に非常に強い顕示心があることに気づきました。大法のことを実証するたびに、人に知ってもらいたいと思い、またこのようにすると、同修を励ますことができると思っていました。長期にわたり、実際はこれが非常に強い顕示心であることを意識できませんでした。
一昨夜、私は1人で横断幕を掲げに出かけました。戻って来てからずっと同修に、「私は横断幕を掲げに行ってきました」と伝えたかったのですが、この何日か、同修に会えませんでした。食事の時、修煉していない家族(常人)に、昨晩自分はどこそこへ1人で行って来たと伝えました。当然、夫は褒めてくれると思っていたのですが(以前、夫はよく私を偉いと褒めてくれていましたので)、今回、夫は私の話を聞いて、突然顔を曇らせ、「あんたはなぜ1人で出かけたのか? あんたと一緒に出かけて疲れると言ったことがあるか。夫婦はみな一緒に散歩しているのに」と言いました。私はすぐ反発しました。「私がしたことは正しいことです」
その後、私は内に向けて探しました。以前、夫は私が三つのことを行うことをとても支持してくれていたのに、今回はどうしたのでしょうか? ちょうどこの数日間、私は「顕示心」を暗唱していました。師父の法は直ちに私の頭に打ち込まれました。「多くの学習者は常人の中で修煉しているため、いろいろな心が捨てられず、そうした多くの心がすでに当然なものになっていて、本人も気づきません。この顕示心理もいろいろなところに現われており、良いことをする時にさえ現われてきます」[1]
私は分かってきました。師父は夫の口を利用して、私に顕示心があるのを見させてくださったのです! これはほかでもなく、私の顕示心ではありませんか?
実際、私の顕示心はほかにもまだ多く現れていました。例えば、娘が私に服やその他の物などを買ってくれると、学法グループ後に同修に話したくなります。また自分の小さな孫娘が他の子供よりきれいに着飾っているとか、頭が良いとか言いたくなります。また夫、娘、家庭のすべてを顕示しようとしていましたが、その顕示心に気づきませんでした。
これほど強い顕示心を持っていて、純粋な心で大法を実証できるでしょうか? 最大限に人を救えるでしょうか? 「見せびらかすこと自体、強い執着心で、非常に良くない心であり、修煉者として捨てなければならないものです」[1]。ですから、私はこの執着心を必ず取り除きます!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』