文/中国の大法弟子 理清
【明慧日本2017年8月27日】私は法輪大法を修煉してから21年になりましたが、今になってやっと、いつでもどんなところでも相手のために考え、トラブルや問題が現れた時、自分の原因を探すことはいかに高い境地なのか本当に分かるようになりました。
私は自我が強く何でも真面目にやる人間です。外で仕事をする時は相手に合わせるように注意していますが、夫との意見が異なる時はとことんまで突き進みます。修煉する前には全く気がつかず、修煉してからこの方面で探してずいぶん良くなりましたが、何となく夫との間にまだしこりが残っているような感じで互いに尊重し合うことができません。自ら良い妻になろうと頑張って真・善・忍で自分を律しても、かなり遠く離れていてわけが分からなくなりました。
昨年8月、嫁が子供を生むので私は面倒を見るため息子の家に行きました。家事が終われば学法することはできましたが、嫁とうまくやるのは容易なことではなく、本当に大法で自分を厳しく要求しなければなりませんでした。師父は「本当に修煉するには、心に向かって、内に向かって修め、内に向かって探さなければならず、外に向かって探してはいけません」[1]と教えて下さいました。息子一家と一緒に暮らす間に気づきましたが、息子が何をやっても嫁は気にいらず、しかも彼女が話すときは喧嘩ごしでした。嫁にとっては自分の夫を恨み、疑い、見下げ、要求し、強制することは日常茶飯事で、家にはいつも緊張感がみなぎっていました。
これを見て息子が可哀想だと思いましたが、修煉者として2人をけしかけるわけにはいきません。
どうすれば解決できるかと思っているときに、師父の説法「問題があったときに内に向けて探すことは、大法弟子と常人との根本的な違いなのです」[2]を思い出しました。はじめの頃は問題の原因がわかりませんでしたが、師父のおっしゃった通りに自分を探し、嫁の悪口は言わないと決めました。あちこち探している内に、急に目覚めましたが、今の嫁のすること為すことは、ちょうど家での自分とそっくりではないでしょうか?
夫と私は結婚して35年になりますが、2人の間のトラブルや言い争いなどは、いずれも私が夫のことに何でも安心していられなかったからでした。そして何回も繰り返して注意を与え、何をやっても私の考え通りにやるべきで、そうしないと怒っていました。心の中では夫は何をやっても駄目だ、と見下していました。恨んだり指摘したりすることはよくあることで、彼が黙っていたらそれはそれでいいのですが、もし彼が口答えをしたらきっと争いだけではすまず、戦いにまでいたりました。私はいつも自分の長所と彼の短所と比べて、彼には優れた点が全くないと思っていました。時に夫は従いたくなく、「あなたがリモコンで、私はテレビだ」と言ったことさえありました。でも私は彼の話を聞いても気にしませんでした。私は悪気がないし、全部あなたのためにしている、と考えていました。私は夫を自分の思うように変えようとしていました。
内に向かって探すことで、私は本当に自分が間違っていたことに気づきました。嫁と息子を見て、私は息子がかわいそうだと思いましたが、もしかして私の姑が生きていて、私が今のように彼女の息子を取り扱うのを見たら、姑はもっと悲しむのではないでしょうか? これを考えると私はとても悲しくなり、思わず涙が流れてしまいました。ずっとこのように長い年月を経た夫が可哀想で、私は意図があっていじめていたのではありませんが、いつも彼を自分の能力が発揮できないようにコントロールしたため、夫はこのように意を曲げても折り合って生命の大半を過ごしてしまったのです。
原因を探し当てた後、私は自分を変えようと決心しました。夫が一家の主人であり、違法なことでなければ、何でも自由にやらせようと、私が心を放下したら、夫にはとても多くの良い点があることに気づきました。苦をなめることができ、物事を判断する力が強く、親孝行をする人で、自分の妻や子供を心配し、執念深くなく恩讐を超えて利益を重んじず、何があっても開き直ることができる人でした。特に金銭の面では、稼いだお金はすべて私に渡し、どのように使うかは質問したことはありません。(もちろん私はお金を大事にする人間で、彼も私を信頼している)
私は人をどう説得するか分かるようになりました。嫁と喋る時、私は次のことを彼女に言い聞かせました。「睦まじい家庭が欲しければ、何があっても夫に相談するべきです。片方の意見を押し通したり、命令したり、自分の考えを押し付けたりすると、相手もついかっとなります。離婚しなくても、家庭が和やかになれません」
嫁と何回も交流しているうちに、彼女は私の考えに賛成し、自分の考えを変えました。
また息子にも勧めました。「これからは何かを話し合う時、穏やかに落ち着いて理由を説明しなさい。理に合っていると分かったら相手も賛成するでしょう。怒って当たり散らしたりすると仲が悪くなるか気まずくなるよ」と。
私の説得の下で息子一家の雰囲気も変わって緊迫した空気は二度と現れず、互いに冷静に話し合うことができました。
嫁の面倒を見終わり、家に戻ってみると、掃除があまり良くできていないこと以外は全て良くできていることに気づきました。私は心から夫に感心しました。畑を耕し、野菜も売り、帰ってきたらご飯を作らなければならないのに、彼が漬けた白菜の漬物はとても美味しく、本格的でした。結婚して長い年月が経ちましたが、白菜を漬けるのは全部私の仕事で、彼は1回もやったことがありませんでした。今回は彼が電話で私にどのように漬けるか聞いただけで、このようにおいしくできました。
私と夫は今、互いにお客様に対するように尊重し合っています。夫がどんなことをやっても私は積極的に支持し、彼の言いつけに従い、夫だけではなかなか決められないことがあって私に相談すると、私はいつも善意を持って自分の考えを言うので、家庭の雰囲気はとても睦まじくなっています。
師父に感謝致します! 大法に感謝します! もし法輪大法を修煉していなければ、私は一生自分の過ちを認識することができなかったはずで、師父と大法が私に暖かい家庭を持たせてくださいました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「大法山東輔導站へ」