修煉の殊勝と厳粛さを体験する
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文/中国長春市の大法弟子 清心

 【明慧日本2017念7月16日】私は教師です。1999年に法を得たばかりの時、法輪功に対する迫害が始まりました。当時、テレビで法輪功を中傷するのをみて、涙がほろほろと流れ、非常に辛く感じました。法輪功は素晴らしいと知っていたので、将来は必ず修煉しようと思いました。5年が過ぎて2004年になってやっと再び大法の修煉に戻ってきました。師父の法を正す進展に追いつけるように、私は毎日時間を大切にして学法し、法を暗証しました。朝は決まった時間に起きて煉功し、4回の発正念を基本的に保証でき、師父の慈悲と大法修煉の厳粛さを感じ取り、大法の中で修めだした正念の威力を体験しました。

 一、正念は法からやってくる

 一時期私は朝起きて煉功してから、発正念し、法を一段落暗唱しました。また出勤の途中で数回暗唱してしっかり覚えられるようになり、校門に入ると発正念を始めました。

 一度始業式で、すべての教師が学生に向けて宣誓することになりました。大法弟子は師父にしか誓わない、学生がどうやってこれらに耐えられるだろうか、と思いました。ですから、宣誓の時、私は何も耳に入れず、心の中で黙々と師父に「師父、私は大法弟子です。必ず師父のお話を聞き、大法の中で自己をしっかり修め、正しい念を持って正しく行い、師を助けて法を正し、三つのことをしっかり行い、最後まで揺るぎなく大法を修煉します」と誓いました。

 旗を掲げ始めた時、衆生を毒害してはいけないと、赤い旗が上がらないようにと一念を発しました。その結果、長い時間が経ってやっと音楽がはじまり、赤い旗は旗竿の半分まで上がってからもう動かなくなりました。旗が縄に巻きつけられたため、赤い旗を下ろしてから、再び挙げましたが、力を尽くしても最後まで上がらず、頂点から結構離れているところでもうあがらなくなりました。最終的に半旗を掲げました。事後、先生たちは背後で始業式に半旗を掲げるのは不吉なことだと言っていました。その後、学校では旗竿を倒して人に修理してもらいましたが、修理できず、いつ旗を挙げても半旗になってしまい、その後赤旗を挙げることはなくなりました。

 この事を通じて私は大法弟子の正念は威力があると悟りました。正念は法からやってきます。私達が法をしっかり学び、法に同化すれば、法の中の一つの粒子となり、神の念を発します。もし大法弟子が常に純粋な考えを保つことができれば、発した正念は強大な威力を持ち、邪悪は直ちに解体され、根絶されます。師父は「大法弟子が神の正念で最後の道をしっかり歩むことを期待しています」[1]と説かれました。ですから、修煉の中で私たちは必ず学法を強化し、発正念を重視し、邪悪を解体し、衆生を救い済度しなければなりません。

 二、師父は私のために痛みを肩替わりしてくださった

 一度朝出勤して学校のホールに入った時、清掃員が床を拭いたばかりで、大理石で造られた床は滑っていました。私は不注意で転んでしまい、足を挫き、その痛みは忍び難いものでした。当時はちょうど出勤時間で、私は人に見られることを恥ずかしく思い、激痛を我慢して立ち上がり、心の中で、大丈夫だ、私は大法弟子だから、何の影響も受けない、という一念を発しました。事務室に着いた時、心の中で絶えず師父の法「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[2]を念じました。第3、4節目には私の授業がありました。同僚が私を教室まで支えて行きました。学生らは私の足が地面に着けられないことを目にして、椅子を持ってきて、私に座って授業させようとしました。しかし私は座って授業することができないし、そうしたこともありません。しかも授業の内容にまた板書もあったため、片足に力を寄せながら、2時間のレッスンをやりました。お昼に家に帰ると靴を脱ぐこともできず、家族が助けてくれて靴を脱ぐと足は浮腫んでいて、皮膚は黒紫色でした。私はベッドに横になって、しばらく休憩しようとしましたが、一旦横になると足に激痛が走り、置き方をいくら変えても痛かったのです。その痛みで私は絶えず涙を流しました。夫は私がこれほど苦しんでいることをみて、病院に行って写真を撮って見ようと言いました。私は「大丈夫です、しばらく経つと大丈夫です」と伝えました。どうしても耐えられなくなると、心の中で師父に助けを求め、私が乗り越えられるように、少し痛みを緩和して頂きたいと願いました。しばらくすると私は眠り、目覚めてから本当に痛くなくなりました。師父が私のため痛みを肩替わりしてくださったと知りました。しかし、足をまだ地面に着けることができませんでした。夫はテレビをみながら、ご飯も作っていない状況をみて、私は壁と椅子を押して、身体を支えながら、片足でキッチンまで跳ねて行き、食事を作りました。夜になると甥が車で私を学校まで送ってくれたので、2時間の授業をやりました。甥は翌日も学校まで送ってくれました。3日目には浮腫みが消え、私はゆっくり歩いて出勤しました。最終的に何の影響も受けず、食事を作る回数も減らさず、授業を1回も遅らせることはありませんでした。

 足は痛くなくなりましたが、足の甲の外側に固い腫瘍ができ、骨みたいでした。一度朝煉功する時、足からガタンということが聞こえましたが、痛みはありませんでした。煉功が終わった時その腫瘍が消えたことに気づきました。本当に「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある、とわれわれは言います」[2]のとおりでした。もし当時病院に行き、写真を撮ったら骨折と言われたでしょう。筋骨まで傷つけられた怪我を直すには100日間ぐらいかかるという諺があります。ですから、3日どころか、3カ月経っても回復できなかったかもしれません。弟子のために苦痛を肩替わりしてくださった師父に感謝します。師父は弟子を助けて骨折して変形した足を修復してくださいました。師父が保護してくださって、私は本当に幸せです。

 三、修煉の厳粛さ

 一度学校ではすべての教師に病院に行き、身体検査を受けるようにさせました。当時、私はどうせ自分には病気がないから、かつ大法を実証できると思い身体検査に参加しました。その結果、胆石があり、乳腺に固い塊があり、婦人病などの病業の虚像が現れました。大法を実証することができなかったばかりか、自分に精神的に負担を増加しました。時々痛くないか確認しました。特に卵、魚、肉などタンパク質の多い食物を食べた後、背中が痛く感じました。毎回それは病ではないと認めず、法を暗唱したり、発正念したりして乗り越えました。このような状態が続き、一度痛みがあまりにも酷くて、横になって寝ることができませんでした。横になると起き上がることができず、座って寝ました。厳しい時は息を吸う勇気もなく、私はこの病業の虚像は当年の母(すでに他界している)の症状と同じであることに気づきました。母も胆石でした。毎度母のことを思い出すと涙がほろほろ流れました。今回はいかに法を暗証し、発正念し、善解し、内に向けて探しても効かず、ひいては数日間食事もせず、もうろうとして、その状態がとても長い間続きました。

 後になって同修と切磋し、真面目に内に向けて探した結果、自分が情に対する執着を放下できず、またこれらの病業の虚像を完全に否定せず、知らず知らずにそれを認め、実際は100%師父と大法を信じていないことが分かりました。師父は「人に占ってもらう時、あなたはすでに彼の言うことを信じています。でなければ、どうして占ってもらおうとするのでしょうか? 彼に言えるのは表面的なもので、以前のあなたのことです。しかしあなたの実質はすでに変わっています。よく考えてみてください。人に見てもらった以上、それを聞き入れ、信じてしまうのではありませんか? それによって、精神的に負担がかかってくるのではありませんか? 負担がかかると、気が気ではなくなりますが、それは執着心ではありませんか? この執着心をどうやって取り除けばよいでしょうか? これによって、人為的に難をまた一つ増やしただけではありませんか? 新しく生じた執着心は、よけいに多くの苦しみに耐えて、はじめて取り除くことができるのではありませんか? 一つ一つの難関に、修煉して向上していくか堕ちていくかの問題がかかっています。ただでさえ難しいのに、さらに人為的に難を作ってしまえば、どうやって乗り越えていくのでしょうか? ほかでもないこのことによって、あなたは難や厄介なことに遭遇するかも知れません」[2]と説かれました。私はまさに人為的に難を一つ増やしたのではないでしょうか。

 自分にこれほど大きな関を設け、これほど多くの苦しみを味わい、なんと深刻な教訓でしょう。しかし私と同じ学校のもう1人の同修は身体検査に行きませんでした。彼女になぜ行かなかったのかと聞いたら、煉功者には病気がないから、何を検査してもらうのかと言いました。彼女はすべてが虚像であると言ってくれました。彼女に比べると本当に自分のことを悔しく、恥ずかしく思いました。あまりにも悟性が優れていなかったのです。実際このような方法で法を実証する必要はまったくありませんでした。これほど長年修煉して病気にかかったことがなく、みな私が若く見えると言います。これで大法の素晴らしさをすでに実証したのではないでしょうか。

 修煉には小さいことはありません。人間か神かは一念で分かれます。如何なる人心や、執着も旧勢力により利用されて拡大され、自分自身を台無しにさせます。今日この体験を書いて公にしたのは、心の中からすべての病業の虚像を徹底的に否定し、すべての人心と情に対する執着を取り除き、また同修に私の体験を戒めにして頂きたいからです。修煉は厳粛です。必ず修煉の道をしっかり、正しく歩み、人間の理に従わず、人間の情を放下し、揺るぎなく師父と大法を信じ、正しい念で正しい行いをしてこそ、やっと本当に師を助けて法を正すことができます。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『精進要旨(三)』「三界内の法を正すことを妨害することに参与したすべての乱神を全面的に解体せよ」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/12/349490.html)
 
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