文/中国の大法弟子
【明慧日本2017念7月17日】今回私は2回目に『轉法輪』を全部暗唱しました。あと1週間で10カ月という時間がかかりました。
1回目に暗唱したのは10年前でしたが、1年6カ月の時間がかかりました。その後、2回目に暗唱をはじめましたが、第三講まで暗唱した時、迫害されて、最後まで貫くことができませんでした。その次は第一講を暗唱したところで何が原因だったか覚えていませんが、中断されました。
昨年9月、特殊な事情はありませんでしたが、どうしても法を暗唱したくなりました。今回は絶対最後まで暗唱しよう、中途半端になってはいけないと強く思いました。
私はサラリーマンで、毎週2日は夜に残業しなければいけません。私は主に残業しない夜の時間を利用して法を暗唱しました。祝日になると必要な家事をやり終えた後は法を暗唱するゴールデンタイムでした。
法の暗唱は主に比較的長い時間が取れる時を利用しました。短い時間には師父の各地での説法、或いは『明慧週間』を読みました。すでに2年間『明慧週間』を毎週漏らさず読んでいます。時には明慧ネットの交流文章も読みますが、本当に大変恩恵を受けています。一緒に大法を修煉している同修ですが、法を正す時間が速やかに前へ進むに伴い、同修の間との差は本当にあまりにも大きくなっています。
法を暗唱する過程は心を修める過程でもあり、修煉が向上する過程でもあります。心が静かな場合、暗唱も速くなり、あまり間違ったりもしません。雑念があると、暗唱の速度が落ち、またすぐ間違ったりします。一時期、私は法を暗唱する前に、いつも発正念をして、意念の中で自分の中の良くない考え、業力と良くない観念または外来の妨害を根絶しました。5分間、或いは15分間発正念をしてから、再び座って法を暗唱すると効果が随分良くなりました。
法を暗唱する中でたくさんの感想がありましたが、ここで二つだけ同修のみなさんと分かち合いたいと思います。
一つ目に非常に深かった感想は、第六講の色魔に関する部分を暗唱する時、私は非常に速く暗唱できました。2、3回読むとすぐ覚えました。多分この方面で着実に修め、色欲の心を取り除いて向上したからかなと思いました。今年私は51歳であり、夫は修煉していません。彼は私より2歳年上で、非常に健康です。しかし、私たちは2、3年前から夫婦の間に男女の関係はありません。私達修煉者ならみな知っていますが、私達絶対多数の修煉者にはこの心がありません。多くの場合は修煉しない相手に邪魔されます。ひいては夫婦の間の事を断つことができなくて非常に苦しむ修煉者もいます。私は自然にこの心を断ちました。夫は自分にその能力がないと感じ断ちました。いま私達夫婦は一緒に寝ていますが、何事もありません。
本当に師父が説法で説かれたように「先日、わたしは『佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる』ということをお話ししましたが、それはつまり、われわれの身体から発散されたエネルギーが、あらゆる間違った状態を正すことができるということです。したがって、この場の働きの下で、あなたがそういうことを考えないかぎり、知らず知らずのうちにあなたの配偶者も制約を受けるようになります。あなたがそんな念を起こさなければ、あなたはそんな念を起こすわけもないのですが、相手もそのことを思いつきません」[1]のとおりでした。
もう一つの感想は、法を暗唱して入静し、完全に心に入った時、本当に坐禅する時と同じ感覚を覚えて、非常に殊勝で妙なるものでした。「われわれにも静功がありますが、われわれの静功はどのように煉るのでしょうか? われわれは皆さんに、どんなに深く入定しても自分がここで煉功していることを知っていなければならないと求めており、何も分からないような状態に入ることは絶対に許さないのです。それでは具体的にどんな状態が現われるのでしょうか? そこに坐ると、自分が卵の殻の中に坐っているかのような素晴らしさ、非常にいい気持ちを感じ、自分が煉功していると分かっていますが、全身が動けないかのように感じる、こういう状態が現われます。これらはみなわれわれの功法に必ず現われなければならない状態です。もう一つの状態があります。坐り続けていると、足が無くなったような気がしてきて足がどこに行ったのか分かりません。身体も、腕も、手も無くなり、頭だけが残っています。さらに修煉していけば頭も無くなったような気がして、ただ自分の思惟があるだけで、わずかな意念だけが自分が今ここで煉功していることを知っています。われわれはこの程度にまで達することができれば十分です。なぜでしょうか? このような状態の中で煉功すれば、身体が最も充分に変化を遂げる状態に達するので、いちばん良い状態なのです。ですからわれわれは、あなたにこのような状態で入静することを要求するのです。しかし眠ってしまったり、ぼんやりしたりしてはいけません。そうすれば良いものが他の人に煉られてもっていかれるかも知れないのです」[1]
この段落を暗唱してから一時期、毎朝坐禅する時、この段落の法全体が私の大脳の中に現れ、非常に心地よく感じました。
私は全世界の同修と一緒に朝の煉功をして11年になります。毎朝3時35分になるとアラームがなり起床します。五式の動作を一気に終わらせ、それから6時の発正念をします。その後、顔を洗い、朝ごはんを作ってから、出勤し、1日の生活が始まります。私が毎朝早く起きても修煉しない夫には少しの影響もありません。時には彼に私が毎朝起きて煉功することを知っているかと聞いたら、彼は知っている時もあれば知らない時もあると答えてくれました。
私達は修煉の中でみな知っていますが、一部の体験は文字に書くことができず、時には書いても、違う感覚を覚えます。法は大きく、師父は偉大です。
同修のみなさん、師父が巨大な肩替わりで私達のために伸ばしてくださった長くない修煉時間を大切にしましょう。真に修め、着実に修め、師父と一緒に故郷に戻って行きましょう!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』