文╱中国の大法弟子 心明
【明慧日本2017年7月25日】1992年、息子が4歳の時、私は夫と離婚しました。離婚した時、嫁ぎ先は子供の親権をくれず、その上、子供との面会も許しませんでした。その為、私は彼らをとても恨んでいました。その後、前夫はすぐに再婚し、子供は父方の祖父母と一緒に暮らすようになりました。
両親の離婚は息子の幼い心を大きく傷つけました。息子は物心付いた時、従兄たちがパパとママに甘えたり、一緒に遊んでもらったりしているのを見ると、いつもこっそりと立ち去りました。父方の祖父母は年で息子を連れて遊びに行くことができず、その為、息子はよくゲームセンターに遊びに行きました。小学校の時、息子の面倒を見てくれる人がいなくて、彼はよくお小遣いを渡され、自分でご飯を買って食べていました。時には、彼は家族に黙って、ご飯代をゲーム遊びに使いました。
小学校はずっとこのように過ごして来ました。
中学に上がってから、息子はよりゲームセンターやネットカフェにはまり、学校をさぼるようになり、さらに大きくなると、祖父母の言うことをますます聞かなくなりました。父親はゲームセンターに行くのをやめさせようと、よく息子を殴りました。しかし、まったく効果はありませんでした。1回、父親はベルドで息子を打った後、まったく動こうとしない痩せこけた息子を見て、父親も心を痛め、親子は抱き合って大泣きしました。息子は「お父さん、ぼくは打ち殺されても、やめられないよ」と言いました。当時、息子に対して、どうすることも出来ませんでした。
離婚した後、私はずっと母と一緒に暮らしていました。母は珪肺のため、1996年から法輪功を修煉し始めました。煉功してから、母はとても早く健康を取り戻し、すっかり元気になりました。それを見た私も法輪大法の修煉に入りました。しかし、1999年7月20日、江沢民が主導する中国共産党は法輪功に対し、天地を覆い隠すような残酷な迫害を行いました。母は大法に正義の声を上げただけで、何度も不当に連行され、労働教養処分を科せられました。私も法輪功を修煉するために、3年間の労働教養の刑を科されました。
2002年、母は先に家に戻って来ました。ある日、母は外でぶらぶらしている息子に会って、彼を家に連れて来て、美味しい料理を作って食べさせました。そして、息子に「まだネットカフェに行っているの?」と聞くと、息子は「行かないとイライラするから」と答えました。母は息子を責めないで、この数年、私達が受けた迫害を話し、そして、「法輪功は真・善・忍を修めて良い人になるように教える佛法です」、「テレビやラジオで言っているのはすべて虚言で、くれぐれも信じないようにしなさい」と話しました。さらに、「お母さんもおばあちゃんも大法弟子だから、あなたもきっといい子になれるよ。これからはしっかり勉強して、立派な子になりなさい」、そして、「どうしてもゲームセンターやネットカフェに行きたくて仕方がない時、『法輪大法は素晴らしい』と念じれば、大法の師父はきっとあなたを助けて下さるのよ」と言いました。
それから、息子は時間があれば、母のところによく来るようになり、そして、いつもおばあちゃんが大法の本を読むのを聞き、時々、おばあちゃんと一緒に大法の資料を配りに行ってくれました。
中2に上がると、息子は以前のようにおばあちゃんのところに来なくなりました。ある日、母は息子に会って、「まだゲームセンターに行っているの?」と聞くと、息子は自信満々に「もう行っていないよ。イライラする時、『法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい』と念じれば、すぐ落ちつくよ。以前、よくゲームセンターに行って、勉強をあまりしなかったから、今、頑張らなくちゃならないので、あまりこっちに来る暇がなくなった」と言いました。おばあちゃんは彼をいい子だと褒めて、きっといい大学に入れるよと励ましました。
子供の変化に父方の祖父母も驚きました。母はそのチャンスを利用して、彼らに大法の真相を話しました。今度は、彼らも全部聞き入れてくれて、法輪大法は素晴らしいと信じるようになり、さらに、私の息子との面会も許してくれました。
息子は本当に一所懸命に勉強するようになりました。学友は皆たくさんの参考書を買ってもらっていますが、家にはあまりお金がないため、休みの時、息子は図書館に行って本を借りて、必要な所を書き写しました。そして、よく図書館に行って、ご飯も食べず、持参した水で一日を過ごしていました。
あっという間に、高校入試の日になりました。「努力は人を裏切らない」と言われる通り、息子は難関高校に合格しました。彼は成績が良かったため、いきなり特進クラスに入りました。難関高校の特進クラスは、お金を払っても入れない所なのです。
高校の時も、息子はとても頑張りました。大学試験の前に学校では何度も模擬試験を行いました。息子の一番いい成績は560点で、クラスで中の上のレベルでした。担任の先生はランクのやや下の一流大学を受けた方がいいと勧めましたが、息子はどうしても省のトップ大学を受けたくて、そして自分の好きなコンピューター科学を専攻したいと粘りました。
試験前、私達は息子にいかなるプレッシャーもかけず、彼もとてもリラックスして試験に臨むことができました。それぞれの科目の試験問題は息子にとっては難しくないようでした。ある科目の試験問題を30分ほどで全部答え終わった息子は急いで答案用紙を提出せず、見直しながら、心の中で「法輪大法は素晴らしい」、「真・善・忍は素晴らしい」と念じて、ぎりぎりまでチェックしました。成績が公表されました。息子の点数は610点で、模擬試験より50点もアップし、トップ大学の合格点より30点も超えていました。先生も学友も彼が実力以上に力を発揮できたことに大変驚きました。
息子は理想の大学に入学しました。
大学でも息子はとても一生懸命勉強しました。彼は3年間でほとんどの学業を終え、日本語(学校では英語を学ぶ)を独学しました。彼は日本の大学院の修士課程に進みたいと考えていました。私達は彼をとても応援しましたが、しかし、海外留学する場合、結構なお金が必要で、家の経済力ではとても支え切れません。しかし、息子の努力によって、前夫の家族との間の隔たりをなくしたため、息子はすべての親族から支援を得ることができました。
大学卒業後、息子は日本の大学院に申し込みました。手続きしている間、とても難しそうなこともすべて順調に運びました。
もうすぐ出発になりました。お別れの食事会で、親族は皆彼を褒めて、彼のさらなる成長を願いました。
食事会の最後に、いつも無口な息子は皆に挨拶をしました。息子は立ち上がって、とても丁寧にお辞儀をして、そしてとても真剣な表情で、「今日の僕がいるのは、すべて法輪大法のおかげです。まず、法輪大法に感謝しなければなりません」と言いました。同席した人は皆とても驚きました。息子は思わず込み上げたあと、しばらくしてから、「私を見守り、助けてくれたすべての人に感謝します。私はきっと頑張ります。ありがとうございました」と言いました。皆は彼に拍手を送り、祝福しました。
確かにその通りです。法輪大法は息子に幸せを運んだだけでなく、私と前夫の家族にも幸せを運びました。私たちは心が浄化され、仲直りができました。