1冊の本・『轉法輪』が私を変えてくださった
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年7月14日】私は3回目の妊娠をしてから、休暇を取って会社を休みました。以前2度も流産を経験し、今度も流産の兆候が現れ、胎児を護るため、私は入院しました。このように、びくびく・ドキドキしながら、ようやく我が子の誕生を迎えました。

 子供が生まれると、職場復帰は難しくなりました。なぜなら、息子は生後6カ月ごろから病気がちで、そのため、息子を抱っこして病院に通うことが私の仕事になりました。

 ふだん、私にとって一番怖いことは、息子が「可愛く」なることでした。息子が「可愛く」なると、例えば、瞼が二重になったり、唇が赤くなったりすると、病気になるのです。そのような場合、私は昼夜を問わずいつもベッドのそばに座り、40℃まで発熱している息子の世話を細心の注意を払ってしています。

 1996年、息子が4歳になった時、宝の本『轉法輪』に出会いました。一通り読んだだけで、自分の世界観が変わったことに気付きました。例えば、今まで宝くじに当たった人をとても羨ましく思っていましたが、その気持が一瞬にしてなくなりました。「失と得」の関係が分かったからです。その後、前の夫の会社が従業員に制服を購入した時、ついでに買ってもらった洋服を現金にして、夫の会社に返しました。当時、夫は会社の責任者でしたので、その分のお金を彼に返しました。

 それ以後、私は息子の健康を心配しなくなりました。なぜなら、『轉法輪』から、人間はなぜ病気になるのか、そして、どうすれば病気にならないのか、その道理が分かったからです。不思議なことに、息子も病気にならなくなり、本当に「一人が煉功すれば、一家全員が受益する」[1]、その通りになりました。

 息子が小学校に上がった時、他の親達は皆自分の子にとても期待していました。しかし、私は息子に、「しっかり勉強してね。でもテストで0点を取ってもママは怒らないよ」と言いました。息子の嬉しそうな表情を見て、「しっかり勉強すれば、0点になることがあるのかしら?」と聞くと、息子は幼い声で「ないよ」と答えました。

 プレッシャーのない中、息子はのびのびと成長し、成績もずっと良く、高校3年生の時、常にクラスのトップでした。私は「あんた、二番目になれないの? 他の同級生にもチャンスをあげたらどうかしら?」と言うと、息子は笑って「お母さん、ごめんね。僕も仕方がないの。僕がよくない時、彼らもよくないのだから」と言いました。

 大学を卒業した後、息子は就職せず、毎日パソコンの前に座り、外国へ行き、留学したいと言い出しました。その様子を見た身内の人達は皆、「このままで留学して大丈夫ですか?」と心配し、「留学するための勉強をしたほうがいいよ」とか、「仲介を探さなければならない」とか、いろいろ言われました。私はまったく心配せず、「人にはそれぞれ運命があるから」と思っていました。時には息子に「家の近くで守衛の仕事を探したら」と冗談で言ったら、息子は「無理でしょう。僕は定年退職者ではないから」と答えました。

 1年後、息子は出国し、留学しました。身内達はこれでやっと息子が福の報いを得たことが分かりました。留学するまでの期間中、私は彼の勉強を特に手伝うこともなく、それより、むしろいつも息子にご飯を作ってもらったり、買い物や片付けなどの家事を頼んだりしました。大法弟子は人を救う責任を背負っているため、私はいつも早朝に出かけ、夜遅く帰って来るので、息子に家事を分担してもらわなければなりません。彼はいつも喜んでこれらのことをしてくれました。また、パソコンの技術面での問題を解決してくれたり、「三退」名簿を脱党センターに送ったりしました。これらのことは今まで、身内の人達に内緒にしていました。

 もし私が法輪大法を修煉していなければ、このようなさっぱりした気持ちで息子の将来に対応できなかったことでしょう。そして、私の家庭が中国共産党の迫害により離散させられ、息子と別れて10年経過した情況下でも、私は息子を通して、前の夫に今同居している女性との婚姻届けを出すようにと伝えました。この『轉法輪』は私の人生を変え、そして、私は親戚や友達から羨ましがられる人となりました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『オーストラリア法会での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/7/7/350731.html)
 
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