優秀学級委員の物語
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文╱中国の大法弟子 清泉

 【明慧日本2016年12月31日】2015年の年末、高校1年生の息子は学校から帰って来て、嬉しそうに優秀学級委員の賞状を見せてくれました。そして、「担任の先生とクラス委員会は2人の候補者を選び出して、その中から、クラス全員に投票してもらって、本年度の優秀学級委員を決めることになっていた。僕(体育委員)と規律検査を担当する学友が候補者として選ばれたが、投票の結果、僕はクラスの唯一の本年度の優秀学級委員と当選した。クラス36人の学友の中、31人が僕に投票した」と教えてくれました。

 息子の無邪気な顔を見て、私は思わず大きな感慨を覚え、昔の事が映画のように目の前に浮かんで来ました。

 師父の説法録音を3回聞いて、頑固な病気が治った

 息子が2歳の時、突然ぜんそくの発作がおこりました。その時熱もあって、息をする時、ゴロゴロと喉が鳴り、しかも大きな音をしていました。息子は体が弱く、なかなか歩けず、毎日抱っこしてあげなければなりませんでした。食欲もなく、何を食べさせでも、二口食べたらもう食べてくれません。夜も寝付きが悪く、息が苦しそうに、いつも泣き騒いでいました。私は息子を連れて、市の一番有名な小児科の医者に見てもらいました。医者は「これは小児ぜんそくで、出産直後に冷えてしまったらこうなるのよ。成長して、10代になれば、自然に治るから。このような病気を完全に治すことはできません。とりあえず薬を飲んでみてください」と言われました。当時、医者は一番よい抗生物質の薬を処方してくれました。

 2週間が過ぎても、改善が見られず、医者はさらに薬の量を増やしました。しかし、1カ月過ぎても様子は変わらないままでした。祖母は心配そうに「この薬の飲み方は駄目じゃないの。まだ幼児なのに」と言いました。息子の苦しそうな様子を見て、私も焦って居ても立ってもいられませんでした。

 最も苦しい時、私は法輪大法を思い出しました。当初、私は治療しても病気が治らないため、仕方なく法輪大法を修煉し始めました。そして、九死に一生を得ました。しかし、中国共産党が法輪功を迫害してから、私は労働教養を科され、本心に反して修煉を放棄せざるを得なくなりました。息子が苦しんでいる姿をこのままぽかんと見ていてはいけないと思い、私は自分の心理の障害を突き破り、こっそり『轉法輪』を取り出しました。さらに師父の説法録音を息子に1回、2回、3回と聞かせました。息子は次第に良くなり、寝ていても呼吸が穏やかになり、しっかり寝られるようになりました。

 3回目を聞き終わってから、息子のぜんそくの症状は完全に消えてなくなりました。当時、私は大法に対する感謝の気持ちを言葉で言い表せず、ただただ涙を流しました。

 私は家で正々堂々と法を学ぶようにしましたが、夫は猛反対しました。彼は私をベッドに倒し、クビを絞め、死ぬほど殴りました。私は黙って耐えました。夫は離婚すると私を脅しました。義理の父はある国営企業の役員で、家族は私のことで義理の父の将来に影響を与えるのを恐れて、彼らはいつも公安局に私のことを報告しました。将来は何が起きるか私はよく分かっていました。しかし、私は良識を守ろうとして、家庭暴力の理由で夫に離婚訴訟を起こしました。神は善良な人を見守ってくださり、私は願い通りに子供の親権を手にいれました。

 大きな手が息子を水の中から持ち上げた

 小さい時、息子はとてもわんぱくで、じっとしていられず、頭に安全意識はまったくありませんでした。小学2年生の冬休みのある日、息子は外に遊びに行きました。しばらくして、彼は全身びしょ濡れで帰ってきました。靴も濡れて、綿入れの上着も濡れて、雨が降っていないのに、私はとてもびっくりしました。息子は怒られるのを恐れて、照れくさそうに、「お母さん、僕は池に落ちた」と言いました。

 どういうことかと聞くと、息子は話をしてくれました。息子は団地の公園で遊んでいて、池の側の大きな石の上に立っていました。しかし、誰かが石の近くに爆竹を投げて来て、パンと音がして、息子は驚いて、水の中に落ちてしまいました。水がもう肩まで越してきました。息子はあまりにも怖くて、「助けて」と叫ぶ余裕もないこの時、一つの大きな手が息子を持ち上げてくれたように、彼は上がって来ました。

 私は息子に、「昨年、あの池では小学生が溺れて亡くなったのよ。ちょうどお昼だったので、周りに人がいなくて、彼は助からなかった。その為、公園は1年間も閉鎖してしまったのよ。これから、気をつけなさい。師父のご加護がなければ、あなたは命もなくなっていた」と言いました。息子は「分かった」と頷きました。そして、新しい服を着替えて、何も起きなかったように、また遊びに行きました。

 「師父と大法を信じているから、私は大丈夫です」

 息子が小学校3年生の夏休みのある日、友達と一緒に隠れん坊をしていました。この時、誰かが「屋根に上がろう。そうすれば、見付からない」と言いました。息子は数人の友達と一緒に屋根に登りました。この時、友達の中の1人が息子を屋根から突き落としました。洗濯物を干すための針金が息子の脇下から刺し通しました。その傷跡は5、6センチぐらいあって、血がいっぱい出てきました。息子は落ち着いて、心の中で「師父、助けてください」と師父にお願いしました。そして、奇跡が起きました。出血が止まりました。

 子どもたちは大声で「おばさん、大変だ。大変だ」と叫びました。私は急いで下りて、息子が怪我した光景を見ました。私はびっくりして、急いで家に戻り、千元を持って、部屋着のままで、タクシーを頼んで、病院に行きました。病院に到着すると、息子は「お母さん、僕は修煉者だよ、病院に行くことはないでしょう」と言いました。私は息子に圧倒されました。息子は続いて「僕は遊び過ぎだと分かっている。しかし、僕は師父を信じている。大法を信じている。僕は大丈夫だよ」と言いました。

 息子の法輪大法を信じる揺るぎ難い気持ちが分かりました。そこで、「じゃ、あなた自身で判断してね」と言いました。息子は再度強く「師父と大法を信じているから、大丈夫だ。家に帰ろう」と言いました。家に帰ってから、私は一睡もせず、息子のためにガーゼを何度も替えました。一晩で8、9回ガーゼを変えました。厚いガーゼに血が染み通りました。息子はじっとして、動けず、少し眠りについても、すぐ目が覚め、一晩に何度も目が覚めました。1週間後、息子はベッドから下りて、動けるようになり、1カ月してから体は完全に回復しました。

 自転車にぶつけられ、本人は無事だった

 息子が中学1年生のある日、もうすぐ1時になるというのに、彼はまだ家に戻って来ません。私は心配して、外に出て、彼を探しに行きました。しかし、一周しても見付からず、家に戻ろうとした時、息子が家の前にいました。彼は全身ほこりだらけて、顔にも埃がいっぱいで、私を見ると大声で泣き出しました。きっと何かがあったと思って、彼を慰め、怪我がないかと聞きました。息子はないと言ったので、私達は家に帰りました。

 彼は泣きながら話をしてくれました。お昼頃、放課後、自転車で家に帰ろうとした時、ちょうど曲がり角のところで、向こうからオートバイが急スピードで走ってきました。そして、息子の自転車と衝突して、息子は自転車から道端の芝生に飛ばされ、とても強く打ってしまいました。しかし、オートバイは停まらずに、そのまま行ってしまいました。息子は痛くて、道端に座り込んだまま立ち上がれず、最後にようやく無理に立ち上がって、足を引きずりながら、自転車を押して家に帰って来たというのです。

 私が計算すると、事故が起きて、すでに四十数分ぐらい経過していました。「そのオートバイの人の顔を覚えているか、車のナンバーを覚えているか」と聞いたら、息子は「黒のマスクをして、顔がはっきり見えなかった。そして、車のナンバーも見なかった」と言いました。私は彼の服を脱がせて、体に怪我がないかと調べました。腕には少し擦り傷があって、すこしアザが出来た程度で、他には怪我はありませでした。「師父のご加護がなければ、とっくに骨が折れて、筋も切れていたでしょう」と言い、息子は師父の御恩に感謝する気持ちでいっぱいでした。少し昼寝をしてから、午後、息子はまた普通に学校に登校しました。

 お金を拾っても必ず届け、クラスで手本を示す

 息子は小さい時から、歩くとき前を見ないで、いつも地面のあちらこちらを見て、ネジや釘などを拾って来ました。私はいつも「また屑拾いをしてきたの?」と冗談で言いました。この習慣があるため、彼は小学校に入ってから、いつも1元や5元を拾って来ました。当然このような小銭の落し主は見付からず、彼はいつも担任の先生に届けました。

 ある日、クラス会議の時、担任の先生は「うちのクラスの○○○さん(息子を指す)はお金を拾ったら、いつも先生に届けてくれますが、他の人はお金を拾ったら使ってしまうようですね」と言いました。それから、クラスの他の学友もお金を拾えば、先生に届けるようになりました。

 中学校に進学した後、息子は10元や20元を拾ったことがあって、担任の先生に届けました。今年、高校に進学したある日、息子は帰ってきて、「お母さん、今日、運動場で50元を拾いました。僕は放送室に届けて、放送したら、なんと受け取りに来た人が何人もいたよ」と言いました。私は笑いながら「中には、本当にお金を失くした人もいれば、嘘をつく人もいるからね。でも、放送室の人はきっと何か識別する方法があるでしょう。あなたは心配しなくてもいいよ。あなたは大法の要求通り、真・善・忍に基づいて自分をしっかり修めればいいのよ」と言いました。

 学友の目からみた優秀学級委員

 息子は熱心で、優しいだけでなく、同情心にも富んでいます。ある日、夜の自習が終わって、その1時間後にやっと家に帰って来ました。私は思わず彼を責めました。息子は「ある学友が足を捻挫して、片足で自転車に乗るため、彼の事を心配して、彼を家まで送ってあげた。だから帰りはすこし遅くなった」と言いました。また、何回も、学友の自転車のチェーンが外れて、彼は取り付けてあげたため、両手を真っ黒にして帰ってきたこともありました。

 息子は朝6時30分に登校しています。彼を少しでも長く寝かせるため、私はいつも朝ごはんを用意してから、彼を起こすようにしています。息子は早起きがけっこう苦手のようです。ある日、彼はとても早く起きて、すぐにお湯を沸かしました。私達は普段ミネラルウォーターを飲んでいるため、飲む度に沸かし、普段はお湯を用意していません。私はとても不思議に思いました。彼は「○○さんは風邪を引いて、この2、3日、学校にお湯がなくて、薬を飲めなかった。僕は彼の水筒を持って帰ってきた。お湯を入れて、彼に持って行くから」と言いました。その後も、同じことが何度もありました。

 息子に腕時計を買いました。しばらくしてから、ある日、息子は「お母さん、学友は私の腕時計を見たいと言って、渡したら、彼がうっかりして、時計を落して割れました。彼に賠償してもらうべきでしょうか」と言いました。私は「壊れた時計は?」と聞けば、息子は「ゴミ箱に捨てた」と言いました。「じゃ、その時、何か言った?」と聞いたら、「何も言わなかった。黙っていた」と息子が答えました。息子は少し怒った様子でした。私は「もういいのよ、友達でしょう。お母さんはもう一個買ってあげるから」と言って、その後、もう1個の時計を買いました。息子もとても喜んでいました。

 息子の外国人の先生がクロアチアに帰国することになりました。帰る前に、自分のバスケットボールを息子にプレゼントしてくれました。それを家に持ち帰って私に見せてくれましたが、なかなか上等なバスケットボールでした。息子もとても気に入りました。しかし、彼はそれを私物にせず、その日にクラスに持ち帰って、クラス全員に使用させました。

 ある日、放課後、息子はクラスのためにもう一つのバスケットボールを買いました。生活委員に頼まれて買ったそうです。「外国人の先生がくれたバスケットボールは?」と聞けば、「他のクラスの友達に貸し出したら、なくなったそうだ」と言いました。息子はまったく怒らず、とても平然とした表情でした。

 息子は私と互いに寄り添いながら、平穏で健康できょうまで歩んで来られたのは法輪大法の佛光に浸り、時々刻々に師父の慈悲なるご加護を受けているからです。人間の最も美しい言葉を使っても、私と息子の法輪大法のご恩に対する感謝の気持ちを言い表すことは出来ません。師父に心から感謝致します。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/22/339178.html)
 
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