【明慧日本2017年9月3日】13年の冤罪を経験し、迫害を受けた吉林省通化市の法輪功学習者・張宏偉さんは拷問されて、活力あふれた若者から自力で生活ができない障害者になった。現在のところ、張さんは痩せこけて衰弱し、微弱な声で話せるが、目が開いたまま動かず失明した。また、腰がひどく曲がっており、直立することが出来ず、壁を支えに少しずつ移動しながら歩く身となった。
刑務所で、張さんは引き伸ばしの刑で苦しめられた。また、死人ベッドに縛り付けられ、熱湯をかけられ、目を指で弾(はじ)かれ、眉毛と髪の毛を引っ張られ、針で刺され、殴られ蹴られ、強制的に4、5本の不明な液体薬を点滴され、不明なカプセル薬を飲まされた。そのため、張さんの目はだんだんと見えなくなり、最後にはとうとう失明してしまった。
現在、張さん一家は未だに警官の嫌がらせを受けている。張さんは自分の生活環境を変えようと思い、今年7月3日、大連市行きの切符を買ったが、駅の待合室に入る前に現地の派出所の警官に身柄を拘束され、深夜になってようやく帰宅した。
張さんは元吉林省通鋼会社の公安課の職員で、1997年に法輪功に出会い、「真・善・忍」の基準に従って自分を要求した。ある住宅ビルでガス爆発が発生した時、張さんは事故現場に突入して人を救助した第一人者であった。
1999年7月、法輪功は江沢民により中傷され弾圧された。張さんは法律に基づいて北京へ陳情に行き、政府に法輪功の無実を説明したが、通化市の北京に駐在する事務所の警官に連行され、2カ月近く拘禁された。期間中、張さんの勤務先の責任者は、自分が巻き添えにされないように留置場へ行き、張さんに辞職するように強要し、張さんはその要求を受け入れて辞職した。
一、北京で連行され、懲役13年の判決を下される
2001年1月20日、張さんは北京で「法輪功を迫害する事実を暴く真相資料」を作成したため、北京市房山区派出所の警官に連行され、懲役13年の判決を下された。その後、北京市房山留置場から長春鉄北刑務所へ移送され、2002年3月からは吉林省刑務所に移送され、拘禁された。
期間中、張さんの家族はずっと張さんを探していたが、まったく情報を得られなかった。2002年9月、家族はやっと張さんの行方を知った。
13年の冤罪を経て、九死に一生を得た張さんは、2014年1月19日、刑期満了日を迎え、着替えもさせてもらえず、朝6時40分に6人の警官により車に押し込まれた。
二、刑務所で受けた迫害
吉林刑務所で拘禁された十数年、張さんは法輪功を放棄しないという理由だけで、朝4時半から夜8時半まで板に座らされ、殴られ罵られ、話すことを許されず、目と鼻を指で弾かれ、眉毛と髪を引っ張られ、死人ベッドに縛り付けられ、たばこで燻(いぶ)され、熱湯をかけられ、針で刺されるなどの数々の残酷な拷問を受けた。
拷問の実演写真:引き伸ばしベッド |
張さんは何回も引き伸ばしベッドに吊し上げられ、受刑者は警官の指示の下で、昼夜を問わず張さんを苦しめた。針で張さんの陰部を刺し、腰の下に針などを敷いて、それによって、張さんは極めて苦しい姿勢を取らなければならなかった。受刑者は、また、よごれた靴下や汚い布で張さんの口を塞いだりした。また、トイレに行くことも許さず、さらに張さんの手足を固定して、連続68日の間暴力を振るった。
2009年4月9日、張さんは吉林鉄道病院に運ばれ、胃にポリープができ、胃がただれ、十二指腸潰瘍ができ、肺部は石炭化し、肝臓には血管腫があると診断された。当時の張さんは、すでに飲食ができず、骨と皮ばかりに痩せこけていた。
6月12日、張さんの父親と姉が刑務所に訪れた時、張さんの様子は、立つことができず、顔色は真っ青になり、腹部は脹れて、ものを食べると吐き出してしまい、毎日僅かな量のミルクに頼って命を維持していた。父親と姉は涙を流しながら一時出所を求めたが、刑務所側は「条件を満たさない」と返事した。
三、張さん一家が受けた迫害
張さんの岳父の宋文華さんは、3回不当に拘留されたことがあり、2003年に不当に労働教養を強いられ、2004年に迫害されて死に至った。
張さんの妻は、かつて3年の労働教養を強いられたことがある。そして、懲役3年の判決を下され、刑務所外の服役となった。また、夫の張さんを救出する手段をとったために1カ月半拘禁された。
張さんは息子が1歳の時に拘禁され、出所した時に息子は大きく成長していた。張さんの息子は、幼い時期から苦難に満ちた環境で、相当の圧力に耐えてきた。
張さんの岳母は夫を失った苦痛を伴いながら、娘と娘婿が何度も迫害を受けている状況下で、孫を連れて苦難な日々を過ごした。