同修を救出する中 警官への怨恨心を取り除く
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2017年10月3日】今年の7月、私の地区で2人の同修が不当に連行されました。その中の若い男性同修が留置場に拘禁され、私は焦りました。大法弟子に最も迫害を加えた公安局の警官に真相を伝えに行かなければと思いました。ここ数年、その警官は私のことも尾行しており、監視を続けていました。

 以前、その警官が私を尾行した時に、数回目撃しています。その際に、私は常に警官に対し目くじらを立て、険しい顔で冷ややかな態度を取っていました。終いの2回、警官と接触した時に、状況は大分緩和されました。今年になってから、その警官に対する態度を改めるべきだと思いはじめました。

 この春、私はその警官に1通の手紙を善の心をもって書きました。内心、警官に対する態度が大いに改善できたと感じました。

 2人の同修が不当に連行された件について、その警官に直接会って、面と向かって法輪功への迫害の真相を伝えるべきだと考えましたが、気持ちを上手くコントロールできない気がして、行動に移すことがなかなか出来ませんでした。その後、同修からの手紙の中でも、その警官に会い真相を伝えたいと言及していたため、もうこれ以上避けることが出来ないと私は悟りました。しかし、公安局を訪ねれば、その警官は回避することを予測して、携帯電話で彼にメッセージを送ることにしました。すると、「用事があるなら電話で話そう」という返事をくれました。電話では話ができないと断りましたが、「まず、電話で話しましょう」と彼は主張しました。

 警官と電話が繋がりましたが、どこから話せばいいのか分かりませんでした。すると「どういった要件ですか?」と電話の向こうから警官が喋り出しました。しかし、私は真に警官のために思っているのだろうかと自分に問い、質問に返答することが出来ませんでした。そして、涙が流れてきました。「泣いているのですか?」と警官は気づき、「それでは、どこか場所と時間を決めてもらって、話を聞こう」と約束をしてくれました。

 師父の写真の前で、「警官の背後にいるすべての邪悪を解体し、警官の本性の一面が目覚め、自分で未来を選択できるように」と師父のご加持をお願いしました。私は正念を発しながら、約束した場所に着きました。

 その時、私の心の中はとても穏やかで、何の戸惑いもありませんでした。警官が現れて私を見て、「あなたは前よりずっと良くなりました」と言いながら私と道端に座り込み、雑談を始めました。私は警官に告げるべき言葉を事前に頭の中で整理しておきました、警官の間違った考えを指摘しながら、正しい迫害の真相を伝えました。警官は何も反論せずに、静かにずっと私の話を聴いていました。

 私達の話の途中で、海外の同修から真相を伝える電話が警官の携帯電話に入りました。「見てごらん、1日中このような電話ばかりだ」と警官は私に愚痴をこぼしました。私は警官に変わって、電話の向こうにいる同修に今の事情を説明してから電話を切りました。

 「朝から晩までこうだ」と警官は愚痴をこぼしました。「その人達はなぜ、お金や時間を費やして真相を伝えようとしているのか、分かりますか?」と警官に逆に質問をしました。

 私達の会話は1時間半ほどに及びましたが、それでも2人ともその場から離れようとしませんでした。時刻はすでに午後の5時半になり、警官の帰宅時間になりました。その時の会話は警官を変えることが出来ませんでしたが、少しでも大法弟子の「善」の一面を感じ取ることが出来れば、幸いだと思いました。

 最後に警官は、「今日我々2人は一緒にここで和気藹々でしたが、もし、いつか、あなたが収容されて、拘禁されることになったら、再び対立関係になるのでしょうか?」と聞いてきました。「ならないでしょう、私は人を救い済度する使命を果たしている使者であり、あなたは救われる側で、私達は対立する関係ではないのです」と警官に話しました。

 その後、警官にまた手紙を書きました。まず、あの日、私に会ってくれたことの感謝の気持ちや、あの日、警官の善意を感じたことを手紙に書きました。そして、警官は信号を無視して道を横断するのは良くない行為で、事故を起こせば他人にも自分にも迷惑をかけてしまうことだと、指摘してもらったことの感謝の気持ちを述べました。自分のこのような行為は、他人のことを考えない現れだと反省しました。また、手紙の中で警官の未来を考量した言葉も書き添えました。そして、これから対立することになるかもしれないことを聞かれたことを振り返りました。「もし、これからあなたが取った行動が、正しくないと判断し、その行動はあなた自身にも、他人にも害を及ぼす行動だと知った時には、私は阻止しに行きます。それはあなたを敵視している事だと誤解して欲しくありません」と手紙の最後に書きました。

 再び、同修が不当に刑務所に入れられ、同修の家族に公安局に行き、釈放を求めるように勧めました。その過程で再び、警官に対する怨恨の感情を持ち始め、警官と対抗する人心が生じました。これらの心はすべて他人の事を仕返ししたい報復心だったのです。同修の家族は公安局へ行く決意をして、私も同伴しましたが、あの警官は出張のため留守だという理由で、私達との面会を断りました。国保大隊(法輪功迫害の実行機関)も互いになすりあって、私達との面会を避けました。家に戻り、私は心を静めて、内に向けて探しました。自分の人に対する怨恨心と対抗心が再び現れたことに気づきました。しかし、あの警官と会った時の場面を思い起こせば、心に慈悲で、穏やかな気持ちが満ちてきますが、同修の釈放を求めることとなれば怨恨心が生じてきます。自分の魔性と佛性は頭の中で入れ替わりながら、入り混じっていました。

 自分のこれらの人心を見つけて、直ちにその警官にメールを送りました。ここ数日の出来事と自分の考えを警官に伝えました。警官から返事はきませんでした。また、もう一通のメールを送りました。メールの中で、私は「ここ数年、あなたのことを傷付けました。あなたに対し、知らず知らずのうちに対抗心と怨恨の気持ちを持つようになりました。この18年間、迫害を受け続けてきて、無意識の内に形成した良くない考えが多すぎました。でも、これらの良くない考えを取り除く努力をしたいと思っております。私と同修達もこのような人に対抗する気持ち、怨恨心を取り除く努力をしたいと思います。あなたと肩を並べて座っていた時の心情を思い起こせば、現在、自分の怨恨心はあの穏やかな心情に対する冒涜だと思います。どうか、許してください、わざとあなたを傷付けるつもりはありませんでした」と書きました。また、警官に「他人を思う人間の心は善であり、慈悲であるものですが、他人に報復しようとするその心は悪であるものです」と書き加えました。

 警官にこのメールを送って以来、人に対する怨恨心が現れる度に、直ちにそれを捕らえて、取り除き、常に修煉者にあるべき心情を保てるようになりました。その他の司法部門の公安局や、検察庁、裁判所の人員に対しても平常心を保ち、不平不満があった時には、本当にその人たちのために思うことが出来たのかを、自分に問いかけるのです。そうすればこれらの問題をどう対処していけばよいのかが、見えてくるのです。

 以上は、個人の浅はかな認識ですが、不足の部分があれば慈悲なるご叱正をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/9/3/353307.html)
 
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