ドイツ人女性の話 小道を放棄し 真の経を得る
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 【明慧日本2017年10月3日】エヴァ・マリーさんは、「自分が学んできた引き出し得るすべての超能力によるあらゆる方法が、一夜にして意味がなくなる」とは、これまでまったく考えていませんでした。

エヴァ・マリーさん

 それはヨーロッパでも広く知られている日本からの方法で、すでに長い間学んでおり、他の人に教えたりもしていました。ある日の晩、静座(静座によって精神の修養と身体の健康を図る方法)ていると、「何をやっているのですか? 神との結びつきには他の方法があります」という非常にはっきりした念が、頭の中に反映されてきました。マリーさんは非常に驚き、このメッセージが本物だと直感し、突然立ちあがって、すぐにこの方法を放棄しようと決めました。

 驚き悟った後の放棄

 それは1997年のある日の事、大学卒業間近のエヴァ・マリーさんはすべての学生を呼んで、「○○方式を今後続けることはしません」と厳正に告知し、「なぜなら、これは正法正道ではないからです」と言いました。しかしこのことで、マリーさんの当時の唯一の収入源も絶たれてしまいました。

 この20年前の出来事を思い起こし、自分のどこからこの勇気が湧いて来たのか、自分でもわからず、「超能力によるすべての活動と、それに関する生計の道もすべて終わりました。しかし、正道がどこにあるのか、これからの道をどのように歩めばよいのか、それはまだわかりませんでした。自分はまるで天と地の間にまる裸で存在しているかのようで、何も持たず、行く先もわからないかのようでした」と当時を振り返りました。

 人はパンだけで生きるのではなく 信仰によるものである

 精神の追及をしないということは、エヴァ・マリーさんにとっては不思議なことでした。マリーさんはドイツ・ケルン西南部の農村に生まれ、非常に伝統的なカトリック教徒の家庭で育ち、日曜には教会へ行って礼拝し、午後は黙想(もくそう・黙って思いにふけること)し、土曜日は懺悔しました。信仰はパンと同じで、不可欠なものでした。

 宗教生活は成人にとっては一つの習慣になり得ますが、子供にとっては、一つの大きな苦しみにもなります。

 エヴァ・マリーさんは、「私にとって、宗教は戒律、懲罰、死罪と恐れを意味し、もちろん、その中に少しばかりの愛もありますが、多くは苦しみを受け、強迫性があり、本当に人の心を開くことはなく、慈悲を感じた事もありませんでした。教会では、多くの事に対しておかしいと感じていました。布教する時はもっともらしいことを言っていましたが、自分が宗教を実践する時は違う方法を行っていました」と話しました。

 若者の心の中に宗教の戒律と形式に対する反抗する心や、衝突、距離感がありますが、マリーさんは神の存在を信じていました。「母親は聖母マリアを信仰していました。自分が行いをやり尽くしても八方ふさがりの時は、母親はろうそくを灯して祈り、高層生命に助けと誘導を祈っていました。母親がどんなことをしようと、最後には神が私たちに方向をお示しになり、神は存在し、神への信頼があらゆる事柄において決定する作用を働くのだ、と感じました。そして、このことは私に大きく影響しました」

 神に通じる道を探す

 32歳の年に、マリーさんは心理学を学ぼうと決めました。マリーさんは、何が人を何らかの行為に駆り立てるのか、自分の行為とその生活状態との間の関係は何か、人はいかにして自分と他人にプラスの影響を与えるのか、についてはっきりさせたいと思いました。しかし、大学卒業後、心理学は単なるマリーさんの職業であり、各種のカウンセリングや心理学療法、超能力による方法の伝授を行うかもしれないが、それによって自活するだけのものである、ということにも気が付きました。そして「科学ではあらゆる物事を解釈できません。心理学は若い科学で、その他の科学と同様で、限られた次元でしか私たちの問題を解決することができません」

 そこで、マリーさんは西洋科学の中で、「部分的に問題を解決する」答えを追求しながら、同時に、次から次へと超能力による各種の方法を試し、現代科学が与えることのできない高層の知恵を追い求めました。マリーさんは、「私は、天地の間には何かがあり、私たちにあるのはこの肉身だけに過ぎない、と深く信じていました。霊体は本当に存在し、ただ私はその連絡方法を見つけることができませんでした」

 37歳だったマリーさんはまだ大学課程を終えておらず、懐が心許無かったのですが、道を見つける過程ではケチケチせずに、何年もの間、本を買い、さまざまな療法の講習会に参加し、高層生命との接触方法を一心に探し、1銭残らず、すべての希望を探し求めることに投入しました。そこには、神の存在に対する信念と、未来の生計の道のための計画も含まれていました。

 そしてその晩、静座中に伝わってきたメッセージは強烈で真実なものであり、マリーさんは喜んですべてを放棄したのでした。

 紆余曲折

 それから間もなく、エヴァ・マリーさんは大学を卒業し、ビジネスの場でコミュニケーションをとるための研修センターを開設しました。1998年秋、マリーさんは心理学者に連れ立ってケルンへ行き、研修カリキュラムに参加しました。昼休み、教室のドアが内側からカギを掛けられたことにマリーさんは気が付きました。聞いてみると、なんとカリキュラムの主催者は昼休みの時間を利用して、室内で法輪功煉功をしていました。

 「法輪功とは何ですか?」とマリーさんが聞くと、カリキュラムが終わった後、主催者はすべての功法を実演して見せてくれ、その時にマリーさんは『轉法輪』と『法輪功』を手に入れ、家に持ち帰りました。

 面倒を見ている3歳の息子がベッドで眠った後、マリーさんは本を開き読み初めると止まらなくなりました。「何度読んでも涙が出て来て止まらず、衝撃を受け、この本は天機を全部明かしており、本当の『啓示録』でした!」。マリーさんは2日間で『轉法輪』を読み終えました。本の中のいくつかの章節に特に感動し、たとえば「憑き物」について、マリーさんは、「多くのいわゆるエネルギーは、ほかの空間が招き寄せたよくない物質が作用を働いたものだ、ということがわかりました」、「以前学んだすべてのものは、私が正と邪、本物と偽物の区別をつけられるかどうかの試練であったことを理解しました。自分が過去の人生の中で用いて来た超能力による方法は、今回の人生で縮小され、何度も経験して来たのは、正法を修煉する心が本当にあるのかどうかの試練であったことに気が付き、このことに気がついた私は、嬉しさのあまり、いつまでも泣き続けました」

 「私はすでに自分のあらゆるすべてを放棄し、人生の夢や計画、金銭の投入を放棄しました。しかし、その時、私はまだ正法を探し出しておらず、すべての勇気を寄せ集めてすべてを放棄した時、体の中が極度にガランとして(すすり泣き)・・・それがまさか、その後すぐに法輪大法を得られるとは思っておらず、やっと大法の大道、進むべき道を見つけ出しました」

 「この本を読み終わった後、実際、師父はずっと人生の道で私を導いてくださり、付き添い(すすり泣き)面倒を見てくださっていたことが心の中でわかり、すべてを準備してくださいました。探し求める中での試みと諦めを含め、再び試みて陥っていませんでした。これらがすべて師父の按排だったのです。師父は(大法書籍の中で)説かれていましたが、私たちのためにすべての良くないものを取り除いてくださり(すすり泣き)、私は心の中で絶えず自分に向かって『今やっと、私は正道を歩いている!』と言い続けました。なんと、これまで経験してきたすべての体験は単なる試練であり、今日のために準備されたものだったのです」

 家産を放棄し 家庭環境をしっかり築く

 1999年7月、中国共産党が法輪功に対して迫害を開始しました。エヴァ・マリーさんは、共産党の恥知らずな迫害や、濡れ衣を着せ罪に陥れる抑圧に憤りを感じました。そこで、ドイツの法輪功学習者と共に迅速に各種の活動を組織し、社会の各界や、人権団体、政府、メディアに事実を明らかにし、まちがった見解を正し、このようにして18年の間、活動を行ってきました。

 昨年、エヴァ・マリーさんの父親は85歳になりました。マリーさんは父親と2人の妹が住んでいる場所からは離れた所に住んでいます。研修センターの仕事を調整し、毎月1回、時間を作っては父親を訪問し、食事を作ったり、洗濯をしたり、父親の生活の面倒を見て、ついでに妹達とおしゃべりをしました。学習者が迫害制止を訴えてきた18年間、マリーさんはずっと多くの時間をねん出して、法輪功が迫害を受けている真相を精力的にはっきりと伝えてきました。もともと父親は教会を離れたマリーさんに対して、機嫌がよくなかったのですが、マリーさんが正しく生きているのを見て、何一つ文句を言うことはありませんでした。一方、妹達2人は、自分たちが長い間父親の面倒を見て来たので、自分たちが損をしていると感じ、不平に思っていました。エヴァ・マリーさんはこのことに気づいていたので、心の中にある考えがありました。

 昨年のある日、息子を連れて父親を訪問し、リビングルームで家族でコーヒーを飲みながらおしゃべりして、雰囲気は平和そのものでした。途中で静かになった頃合いを見計らって、エヴァ・マリーさんは咳払いをして落ち着いて言いました。「お父さんがまだ元気で生きているうちに、一家の財産を娘の私たち3人に均等に分けようと考えています。このことで私も息子と話し合いました。法輪大法を修煉して私がどのように変わったか、あなた達は見て知っています。私の生活習慣、生活態度、真・善・忍が私の子供たちにプラスの影響を与えているのを見てきました。彼らも知らず知らずのうちに影響を受け、物事に当たっては真・善・忍に従って行っています。彼らは真相を伝えに行く事を非常に支持してくれています。私がお父さんに対してあなた達ほど面倒を見ていないのに、家産を3人で3分の1ずつ分けるのは、不公平だと思うでしょう。何といっても、お父さんのために多く面倒を見てきたわけですからね。そこで私は、自分の分を放棄します。そうすれば、あなた達もその分多く受け取れるので納得がいくでしょう。このことは息子とも話し合い、彼も同意しています」。そして、マリーさんは父親の方に顔を向けて、「私はお父さんを大切に思っているし、私たち3人の娘のためにしてくれたすべての事にとても感謝しています。大学に行かせてくれたこと、車を買ってくれ、お父さんに会いに家に帰れるようにしてくれたこと、あの頃は私は貧乏学生でした。私を大事に育ててくれたことに感謝します。姉妹が仲良くできることを心から願っているので、この言葉をあなた達に伝えなければなりません。『もし、大法と出会っていなかったら、私は憤懣と腹立たしさの中で窒息して、死んでいたかも知れません』」

 「私の憤懣と腹立たしさは幼少時代、毎度教会に行っていた頃から始まり、妹2人は毎回心療内科医にかかっていました。というのも、彼女たちは意気消沈しがちだったからです。私がその後、もし法輪大法と出会わなかったら、最終的に憤懣と腹立たしさの中で窒息して、死んでいたかも知れません」

 他に誰も一言も話す人はおらず、家の中は水を打ったように静まりかえっていました。エヴァ・マリーさんは少し中断してから、再び続けて言いました。「私は大法修煉の機縁を非常に大事にしています。私は自分の人生のあらゆるすべてを用いて、大法に対する迫害を暴露し、これは迫害が終わるまで続けます。いかなる力も私を阻止することはできません。それと同時に、私はお父さんの世話をし、愛し、引き続き会いに来ます。私は職業を持ち独立して、子供を育てる能力を持っています。私は尽力してすべてをしっかりと築いていきます。そして、私は引き続き法輪功を紹介し、迫害制止に力を尽くし投入していきます。あなた達はお父さんのために多くのことをしたのですから、当然、私より多くもらうべきです。ですから、私は自分の取り分の財産を放棄します」

 上の妹がマリーさんの話を遮り、「もう何も言わないで言いわ、私たち姉妹3人で均等に分けましょう」と言うと、誰も異議はなく、これ以後、マリーさんが法輪功の活動に参加することに、誰も批判しなくなりました。

 追い求めてきた人生の道を振り返って、時間とお金を投入しましたが、小道に対して名残惜しさが少しもなかった自分自身を、マリーさんは幸いだったと思いました。師父は『轉法輪』の中で私たちに、「千年、正法を得ざるも、一日、野狐禅を修するなかれ」と説かれましたが、マリーさんは心の底から、このお言葉は真に正しいものだと思いました。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2017/9/23/353922.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2017/9/24/165531.html)
 
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