文/河北省の大法弟子
【明慧日本2017年11月4日】私たちの煉功点に、ある年配の同修がいます。この同修は「明慧ラジオ局編集部の朝煉功の番組が開始されてから、私は一度も煉功を怠けたことがありません」と話しました。この話しを聞いて、周りの多くの同修は驚きました。長い間煉功したくない同修もいれば、眠いという睡魔から突破できず、朝3時半に起きれない同修もいます。私は心を修めることと三つのことは重視していますが、煉功することに関しては三日坊主の状態を繰り返していました。
私も同じ経験があります。朝煉功が開始された頃、私の心の中には矛盾した考えがありました。朝煉功を望んではいますが、本当は次の朝、早く起きることを考えて怖れていました。それは長い間この安逸心から突破できず、なかなか決意することが出来ませんでした。しかし、私は発正念をして安逸心を取り除き、毎朝頑張って早く起きることが出来るようになりました。数日間、辛さに耐えたあと、私は自然に起きられるようになりました。私は大法のためにこの世に下りてきており、衆生は救われることを待ち望んでいることを考えると、もう少し眠っていたいとかの思いに対して、私はとても恥ずかしく思いました。
この文章を書くにあたって、自分に多くの良くない状態があると気付きました。例えば、主意識が強くない、雑念が多い、干渉されやすいなど色々ありました。今までは、第六講の走火入魔を学ぶ時、いつも自分と関係がないと思っていました。しかし、自分が目を閉じると、主意識が緩んだり、わからなくなってしまうと、思想業が入ってきます。普段、常人の仕事をするときは妄想する暇などないと感じているのですが、座禅するとすぐに妄想が始まるのです。
ここまで書いてくると、師父に申し訳なさでいっぱいになりました。長年の間、私は師父が延ばしてくださった貴重なこの時間を、無意識的に旧勢力に譲っていたのです。私は三つのことをしっかりと行っているのに、どうして身体の状態が良くならないのか、周りの常人も私の状態を見て理解できないため、大法の信頼を失い、そのために私は大きな罪を犯していると思いました。
また一部の同修は煉功するとき、「法輪大法大圓滿法」の要求に基づいていません。例えば第一から四式の功法は膝を少し緩めた状態にすべきですが、同修たちの膝はまっすぐのままです。合掌のときも腕が一直線になっていません。座禅に至っては姿勢が良くなくて、結印も両手は下腹部のところに置くべきなのに、前の胸の近くにある人もいます。第五式の功法を煉るとき眠ってしまう人もいます。同修を責めているわけではありませんが、この基本的な動作はもう少し注意さえすれば、きっと上手く要求通りにできます。
実はこの世は大法弟子の煉功場であり、大法弟子が同じ時間で煉功するとき、他の空間から見ると、なんとそれは神聖で壮観なことでしょうか!
個人的な次元に限られているため、適切でないところがあれば、同修のご指摘をお願いします。